母は私が生まれてすぐ、病気で亡くなったのだという。
聞けば元々体の弱い人で、ふたりも子供を産めたことだけでも奇跡らしい。
もちろん私の記憶に母の姿はない。
けれど写真で見る限りにこやかで綺麗な人で、私は母似ではないことだけは明らかだった。
というか目つきの悪さといい、無愛想さといい、どう見ても父似だ。
そんな家庭なので、私が物心ついた頃にはすでに家のことは全て美智子さんがやってくれていた。
兄や私の世話を始め、学校行事への参加なんかも美智子さんがしてくれていたため、母親のようなものだ。
けれど美智子さん自身は『母親代わりを名乗るだなんて奥様に悪いから』と、あくまでハウスキーパーとしての立場を貫いている。
長い付き合いだというのに家族全員に常に敬語を使っているのも、そのためなのだと思う。
母を亡くしていても、寂しいと思ったことはない。
美智子さんがいるし、他にも親戚もなにかと気にかけてくれているし。
……それ以上に、生きていて一緒に食事をとっているのに決まった会話しかない、そんな父に対してのほうが距離を感じる。
うちの父は神経質そうな見た目通り、真面目で堅く少し気難しい人だ。
そんな父に、私も兄も父同様医師になるべきだと厳しく育てられてきた。
全国的に有名な国立大学の医学部に通い、医師として従事しながら出世コースに乗り、今では40代後半にして大学病院の教授を務めている。
父はそんな自分が歩んできた道が最良の道であり、私や兄もそうあるべきだと疑わない人。
特に反論する理由もなかったし、勉強も苦手ではなかったから幼い頃からそれに従ってきた。
友達と遊ぶことより勉強、部活をするより勉強。全ては父のような将来のため。
けれど父の敷いたレールを進んで行ける兄と違い、私はそれについて行けなかった。
高校は医学部進学に強い進学校を受験した。
けれど学力の足りなかった私はそこに落ちてしまい、父はひどく落胆し激昂した。
そして家から一番違い高校に通い、空き時間全てを勉強に割くように、と今の高校を選んだのだった。
だけど正直、高校に入ってから徐々に感じている。私はきっと医学部は行けないであろうこと。
元の志望校より偏差値の低い今の学校では成績上位に入れている。
けれど、医学部受験に必須科目の理数系は伸び悩んでいる。
……それに。
私の夢は、そこにはないと知ってしまった。
「ひなの。父さんはお前のためを思って言ってるんだからな。
いいな、余計な夢を見るんじゃないぞ」
『余計な夢』。
その言葉に小さく「はい」と答えると、自分の中から希望が消えて行くのを感じた。
喉が詰まるように苦しい。
目の前が真っ暗になって、自分がどこにいるのかもわからなくなる。
……彗に、会いたい。
彗の優しさに、触れたい。