「今ひなちゃんは、変わろうとしてる最中なんですよね。嬉しいことも大変なことも、いろんなことを乗り越えて」



嬉しいことも、大変なことも乗り越えて。
そう、新しい自分になるために。



「そういう経験がときには勉強より大切なこともある。だから見守ってあげましょうって、奥さまも生きていたらそう仰るんじゃないでしょうか」



美智子さんからこぼされた『奥さま』のひと言が耳に留まる。
奥さまって、つまりお母さんのこと……?



「美智子さん……お母さんのこと知ってたの?」

「えぇ、私は奥さまと旦那さまがご結婚されたときからこのお家に勤めてますから」



美智子さんは私が物心ついたときにはすでにうちにいたけれど、お母さんのことも知っていたんだ。
家の中では自然と母に関する話題がタブーのような存在になっていたことから、初めてその話題になる。



「旦那さまはこう見えても奥さまに弱くてですね。ひなちゃんのお名前を決めるときも、旦那さまが漢字で『柊那乃』にすると言ったのを奥様が『ひらがなの方がかわいい』と喧嘩になって旦那さまが折れて……」



懐かしむように語り出す美智子さんに、お父さんは「み、美智子さん」とそれ以上の話を遮った。



「余計なことは話さなくていい。着替えてくる」



照れ隠しなのか、眼鏡をクイッと持ち上げて早口で言うと、お父さんはリビングを出て行った。
その姿から、つい先ほどまでの圧は一気に消え失せていた。


お父さんが動揺してた……。意外すぎる。
初めて見る一面に、緊張感から解放されながらも驚きを隠せずにいる。
すると美智子さんはキッチンから濡れたタオルを持ってきて私の頬にあてた。



「旦那さまはああ見えて照れ屋さんですからね。でも、叩かれてもよくはっきり言えましたね」

「……大丈夫、だったかな」

「大丈夫ですよ。思いはちゃんと伝わってます」



初めて言葉に表した、夢や彗に対しての思い。
それをしっかりと感じ取ったように美智子さんは微笑む。