そんな愛しい記憶を抱きしめて、季節はめぐる。
そして、10回目の春を迎えようとしたある土曜日の夕方のこと。
「ひなちゃーん、いるー?」
新宿から自転車で20分ほどの距離にある、住宅地。その中の小さな一軒家のドアを開け、女の子は私を呼んだ。
「勝手にあがるからね、お邪魔しまーす」
居間のたたみの上で寝ていた私は、その声とドタドタとあがる足音で目を覚ますと、ボサボサ髪のまま襖を開けて彼女をで迎えた。
「柚花ちゃん、いらっしゃい……」
「ちょっと今起きたの?もう午後4時だよ?」
「今日締切でさ、今朝まで仕事してたから……ふぁ、よく寝た」
「あっ、顔に畳のあと。また居間で寝落ちしたでしょ」
大きなあくびをする私に、彼女……柚花ちゃんは叱るように言った。
「もう、早く顔洗って出かける準備して!あぁもう、家汚い!ゴミ溜まってるし洗濯物も!」
「はーい……」
私を洗面所に押し込むと、柚花ちゃんはそのうちにとテキパキと散らかった居間を片付けてくれる。
あの頃小学2年生だった柚花ちゃんも、今や高校3年生。お母さんによく似た美人さんとなり、性格もよりしっかりとした子に育った。
「ったく……元医学部志望の秀才が、今や生活力ゼロの締切ギリギリ作家になってるなんて。天国のお兄ちゃんも呆れてるよ」
「いや、彗なら笑う。絶対に」
「……たしかに」
ふたりでそう言いながら、居間に置かれた壁際の棚にある、彗の写真を見て笑った。
あれから私は文系の大学に志望校を変え、無事合格した。
在学中に出したコンテストで入賞したことから、28歳になった今は小説や脚本などを書く仕事をしている。
けれど締切前になると生活が疎かになってしまうことから、柚花ちゃんが時折こうして様子を見に来てくれているのだ。