5.いきなりの変化
 
「どうせ死ぬのに、プリントなんかもらってどうするんだよ!」

 声変わりしてるのかな? っていうぐらい甲高い声で天乃くんが叫んだけれど、僕にはその意味がよく分からなかった。

(え? 死ぬ? 死ぬって言った?)

 呆然とする僕の横で、静かにアンジが床に散らばったプリントを拾っている。
 それからアンジはのそりと腕を伸ばし、ベッド脇にある棚の上に据え付けられた、テレビの脇へ差し込むようにしてクリアファイルを置き、口を開いた。

「捨てるなら勝手にしろ。だが、それとユキナリの厚意を踏みにじるのとは別の話だ」
「っはあ!? 勝手に来といて」
「勝手に来られる訳がないだろう。先生に頼まれた」
「もういらないって言っておいてよ」
「ユキナリは、お前のために救急車を呼んだんだぞ」
「余計なことしてくれたね。見殺しにしてくれてよかったのに」
 
 なんだか一気に疲れてしまった。
 どうやら僕は本当に余計なことをしてしまったらしい。
 アンジがまだ何か言おうとしていたのを、腕で遮った。

「わかった。ごめんね、もう来ないよ」
「おい、ユキナリ」
 
 人生で初めてのお見舞いが、口論と罪悪感で終わるのが悲しくて、僕は一言声を掛ける。
 
「でもね。君が死んじゃうのは――少ししか会ってない僕でも、悲しいよ」
「っ! キレイゴト! 言う、な……ぐ」

 真っ赤になった天乃くんが、前のめりに屈んで苦しそうに息をする。
 ピコーン、ピコーンとモニターがけたたましい音を鳴らす。
 バタバタと廊下から看護師さんが走って来た。額から大量に汗を噴き出させながら、天乃くんは胸を押さえて、絞り出すように言う。

「だ、いじょぶ、です。興奮、した、だけ」

 血圧を測る、脈を取る、点滴の量を早めるためにプラスチックのダイアルを回す。
 僕の目の前で繰り広げられる医療行為は、どれも現実味がない。
 幸いすぐに落ち着いて、看護師さんからは「興奮させちゃだめよ」と声を掛けられる。忙しいようで、またパタパタと病室から出て行ったのを見送った。

 僕たちが天乃くんに目を戻すと、ベッドに横になった彼は、冷めた顔で頭上の点滴を眺めている。
 
「……はあ……ボクはもうすぐ死ぬ。なにもかも、無駄だ。帰れよ」
 
 僕たちを見ることもなく言い捨てる天乃くんに無理を強いてまで、病室に留まる理由は――僕らにはなかった。

   †
 
「もうすぐ、死んじゃう、て……」

 呆然としたままバスから降りて、トボトボと家路につきながら、僕は呟く。
 隣を、アンジが無言で歩いている。

 お昼前のこの時間、薄曇りで太陽が少し隠れているせいか、いくぶん暑さがマシに感じられる。季節が秋へと進んでいるせいもあるだろう。早く涼しくなって欲しい。けどその時、天乃くんはいるんだろうか? と考えたら、背筋を寒気が駆け抜けた。

「だから授業出なくても、何も言われなかったってことかな」
「だろうな」
「ご両親とか、いなかったね」
「だな」
「ひとり、なのかな」
「かもな」

 僕は、冷たく相槌だけ打つアンジに、苛立ちを覚えた。
 普段は無感情な彼に助けられているくせにと、必死に唇を嚙みしめて我慢する。

「ユキナリは、お人よしだな」
「え?」
「助けたのに礼を言わないどころか、無駄とまで言われたのに、あいつの心配をするのか」

 ぴたり、と足が止まる。
 背中に張り付いたリュックの感触が気持ち悪い。田舎の住宅街に、歩いている人の気配はない。時々、車が通るぐらいだ。

 土曜日なのに、静か。

 だからこの世界には今、僕とアンジしかいないみたいだ。
 もしそれで、自分が死んじゃいそうだったら?

「……天乃くんは、強いなあ」

 少し先で立ち止まって、僕を振り返るアンジが首を捻る。
 
「強い?」
「うん」

 頷いてから、確かめるように一歩、足を動かす。すると自然とまた、歩ける。そんなのは普段意識したことがない、当たり前のことだ。
 けれど同い年なのに、それが当り前じゃなくなる人がいる。まるで現実味がなくて――怖い。

「僕なら心細くて、誰か一緒にいてよって泣き叫んで、命を諦めるなんてできそうにない」
「おもしろい考え方だな」
「そかな」

 海風が前髪を巻き上げて、おでこをひやりと触っていく。やはり秋に近づいている。
 
「どうしたら、いいんだろう」
「どうもしなくていいだろ」
「っ」

 この時ばかりは、アンジの冷たさがキツく感じた。
 でも、僕が何を言ってもただの理想論だろう。それも分かっている。少なくとも、僕と天乃くんとの関係は薄い。たった三回だけ会った、同い年。他人と同じぐらいだ。
 横を歩くアンジが、テンションの変わらない声で淡々と言う。

「お前はただ頼まれた。それをやった。仕事は終わりだろ」

 まるでそれがAIみたいで、僕は思わず笑ってしまう。ヘイ、アンジ。いい感じの曲を流して? て言ったら黙ってやりそう。やめておこう。
 
「その通りだけどさ。アンジって時々、人間じゃないみたいだね」
「!?」

 珍しく目を見開いたアンジを見上げた僕は、口をポカンと開けていたらしい。

「……なんだ。腹減ったのか」
「ええ!?」
「すげえ口開いてる」
「まじ!?」

 僕の代わりにお腹がぎゅるるるる、と盛大な返事をする。そういえば、昼に近い時間だ。
 
「そこのコンビニで何か買って食うか」
「あーうー……そだね」

 アンジの言うことは正しい。
 
 コンビニで何を食べようかと迷って、結局おにぎりと唐揚げにして、近くの公園でモグモグ食べて。
 じゃあまた月曜日にってアンジと手を振って別れて家に着いたら、自分の部屋でネトゲにログインする。ログインボーナスをもらって、フレンドとデイリーミッションをこなして、いつの間にやら「ごはんよ~」て母親に呼ばれて。
 
 日曜日も全く同じ。だらだら起きて、ネト〇リで途中まで観ていたアニメの続きと新作タイトルのチェックをして、夕方からはまたゲーム。
 そうやって、すっかり天乃くんの深刻な状況は忘れるんだ。だって名前しか知らない相手だから。僕は薄情なのだろうか?
 
   †
 
「今まで休んでいたが、今日からボクは君たちの力になることにした」

 月曜日、しらうみ北高校の二年三組は、朝から騒然としていた。
 教壇で腰に手を当て仁王立ちしている天乃くんが、演説を始めたからだ。
 
(えっ、ちょっと待って。何言ってるの?)

 それを席から見るはめになった僕は、ただただパニック。
 病室で生きることを諦めて暴言を吐いていた人物と、同じ人間なのだろうか。僕は、時空を曲げてしまったのかな。それとも天乃くんが別人に生まれ変わったのかな。
 だってまだ二日しか経っていない。退院てそんなすぐにできるものなのだろうか?
 
「こう見えて、都内有数の進学校に通っていた。成績は学年で一桁キープ。将来の夢は医者だった! どうだ賢いぞ。遠慮なく頼りたまえ!」

 うん、全員ポカンだよね。分かる。

「おい、なんだお前いきなり」
 
 僕が躊躇っているうちに、三ツ矢が口を開いた。教室内は静まり返っているので、普通の声量で十分端まで聞こえるだろう。
 三ツ矢は僕の背後で、ふんぞり返った姿勢で足を組み、ポケットに両腕を突っ込んだまま凄みを利かせた。

「初日でいきなり来なくなったやつのことなんか、知らねえよ」
「うん! 悪かった。今日からボクは生まれ変わることにしたんだ。ボクのことは、遠慮なく『天使』と呼んでくれ! その名の通り神の御使い。君たちの願いを叶える助けをするぞ!」
「天使、だぁ!?」

 ザワザワ、ザワザワ。
 教室は一斉にクラスメイトたちのざわめきに飲み込まれる。

 ――えーっと、さっき賢いって自分で言ってたよね。僕らにも分かるように、説明してくれるかな……