4.初めてのお見舞いは

 市立病院の前には、市バスの停留所がある。
 
 土曜日の朝に、僕はアンジと駅前のロータリーで待ち合わせをして、一緒にバスに乗った。何気にお互い私服姿は初めてかもしれない。といっても、ふたりともただのTシャツとジーパンだけれど。

「お見舞いとかって初めてだし、何がいいのか分からなくて、手ぶらになっちゃった」

 よいしょ、とバス最後部の長椅子に腰かけて僕が言うと、アンジはその隣にどかりと座った。
 
「良いんじゃないか? 大して知らないクラスメイトに何か持って来られたところで、困るだろ」
「そうだよね! 欲しいものある? て聞けば良いよね」
「ああ」

 がたごとと揺れるバスの中で、僕は段々罪悪感が募る。
 わざわざ無関係なアンジを連れてくるほどのことだっただろうか、と考えてしまう。
 
「……付き合ってもらって、ごめんね」
「いいや。どうせ暇だ」
 
 アンジの横顔を盗み見てみるけれど、いつもと変わらず無表情だ。
 僕みたいなつまらない奴と、なぜ仲良くしてくれるんだろうか。クラスが一緒だからか。きっかけはなんだったっけ、と考えているうちに『次は、市立病院前~市立病院前~』と車内アナウンスが流れる。

「降りないのか?」

 席から立ちかけた中腰のアンジが振り返る。

「ごめ!」
 
 焦って、膝の上に置いていたリュックを背負おうとしたら、肘をどこかにぶつけた。痛かった。
 
 ICカードでタッチ精算して、わたわたとステップを降りると、もわりとした空気を頬に感じる。バス停の目の前がもう大きな病院のゲートで、送り迎えの車が行きかう道路上の横断歩道を渡ればすぐ、玄関だ。

「えーっと受付ってどこかなあ」
「適当に聞いてみるか」
 
 エントランスの自動ドアをくぐると、室内はエアコンがよく効いた冷たい空気なことにホッとする。総合受付と書かれたカウンターと、会計窓口がすぐ目に入った。広いロビーには、たくさんの患者と思われる人々でごった返していた。土曜日なのに老若男女が街中から勢ぞろい、みたいな感じだ。
 
 総合受付カウンターでお見舞いに来たというと、受付票に名前と電話番号と訪問先病室番号を書けと言われて、さらに体温を測られた。受付票を出す代わりに、胸へ『来客』シールを貼られる。これで病棟に入って良いらしい。
 面会時間は、午前中は十一時まで。今は九時半。大丈夫、そんなに長居しない。

「うーんと、八階、かな」

 病室の番号と照らし合わせて、案内板を確認した僕が言うと、アンジが頷きながら壁にある『▲』ボタンを押す。
 
「だな」

 片側に三基ずつあるエレベーターの銀色の扉は、ぴかぴかに磨かれている。それぞれの一番奥の扉は、両開きでとても大きい。きっとベッドごと運搬できるようになっているのだろう。
 周囲には他の見舞客も何組かいて、差し入れと思われる紙袋や、着替えと思われるバッグを持っている。学生は、僕らだけ。
 なんだか、居づらい。他人なのに。無関係なのに。まだ学生なのに。色々な『非・属性』が頭に浮かんでは消えていく。弱点属性や無属性なら対応のしようもあるけれど、場にそぐわない気分になって、落ち着かない。
 
「来たぞ」

 クールなアンジがいなかったら、きっと僕は回れ右をして帰っていたに違いない。やっぱり病院は独特の雰囲気があって、馴染めない。Tシャツ(スポーツブランドロゴの入った、無難な白)の胸に貼られた『来客』シールを、今すぐ剝がしてしまいたい。

「うん」
 
 ごくんと唾を飲み込んで、エレベーターに乗り込み、8のボタンを押す。
 途中途中で点滴スタンドをガラガラ引きずる人や、患者着姿の人もたくさん乗ってきて、ぎゅうぎゅうになった。
 エレベーター内のフロア案内図を見ると、どうやら科ごとに病棟が分かれている。八階は、小児科と循環器内科だった。天乃くんは、どちらだろうか。どちらでもないような、どちらでもあるような。

 ポーン。
 八階の扉が開き、ホールの目の前にデカデカと『ナースステーション』の看板が見えた。左右には談話室があり、テレビを眺めている人々がいる。壁際には、給茶機や自販機、電子レンジが並んでいた。

 看護師さんを呼び止めるのも悪いなと思ったので、ナースステーションで書類を書いていた、事務服姿の中年女性に声を掛ける。
 
「あの、803号室のお見舞いに来ました」

 女性は僕たちの胸にあるシールをちらりと見て、すぐに応えた。
 
「はーい、右側の奥ですよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
 
 がっかりしたような、ホッとしたような。
 ダメって言ってくれたら帰れたのに、とか思う僕はやっぱり意気地なしだと思う。
 少しどんよりしていたら、背後でアンジが派手なくしゃみを何回もした。

「……独特の匂いがするな」
 
 珍しく顔をしかめていたのを見て、僕の頬が緩む。

「おいユキナリ。笑うなよ」
「笑ってないよ。僕も苦手だなって思って」

 消毒液や洗剤、それからなにかよく分からない匂い。
 僕たちは変な顔をしながら、803号室を覗いた。扉は開いたままで、部屋の外壁に貼られたネームプレートを見ると二人部屋のようだ。名前は、『天乃透羽(とわ)』しかない。
 入って右側には空きベッド。左側は薄いグリーンのカーテンで覆われていて、中に人がいるかどうか分からない。

「あのー、天乃くん、いますか?」
 
 声を掛けながら、一歩一歩踏みしめるようにして、病室に入っていく。
 いるとしたら、左側だ。
 
 カーテンを開ける勇気はないので、窓側へ回ってみると――電動ベッドの頭部分を少し持ち上げた状態で本を読んでいる、天乃くんがいた。

「あ」
「……」

 天乃くんは、僕たちがいることに気付いているはずなのに、文庫本から顔を上げようとしない。

「えっと。僕は同じクラスの矢坂幸成(やさかゆきなり)。こっちは、来栖庵士(くるすあんじ)。勝手に来てごめんね」
「……なに」

 やっぱり顔を上げない。けれど、認識はしてくれたみたい。

「大丈夫? 心配した」
「大丈夫じゃないから入院してる」

 ハア、と大きな溜息を吐く天乃くんの肩は、パジャマ越しでも細い。
 色は白いし、手首はほとんど骨みたいだ。ぽっちゃりな僕とは大違い。
 なんだか申し訳なくなってしまって、僕は急いでリュックからクリアファイルを取り出す。コンビニで、お菓子を三つ買ったらもらえるVtuberコラボのやつが余っていたから、それに入れてきた。
 キラキラなエフェクトを背負ったイケメンの決めポーズが、アニメ風なイラストで描いてあるそれは、病室にはあまりにも合わなくて、さらに罪悪感が募った。

「えっと。ごめんね。これ、学校のプリント」
「……」
「授業のとか、連絡のとか入ってるから」
「……」
「どこに置いたらいいかな」
「は~……」

 天乃くんが、忌々し気に本をパタンと閉じた。しおりはしなくても大丈夫なのだろうか。どこまで読んだか分かるかな? と余計なことを思う。

「いらない。持って帰って」
 
 それから、ギッと睨まれる。
 彼の薄茶色の大きな瞳が、潤んでいる。
 まつげが長くて、確かに三ツ矢が「ハーフ?」て言ったのも分かる。

「えっと、そういうわけにはいかないよ」
「いらないって」
「大事な書類もあるんだよ」
「いらないって言ってんだろ」

 さすがの僕も、この押し問答にはイラっときた。

「僕もいらないよ」
「は?」
「だってこれ、天乃くんのだから」
 
 僕が押し付けるようにクリアファイルを渡すと、天乃くんはそれを床に叩きつけた。
 実際にはただのプリント入りクリアファイルなので、静かにふぁさりと落ちただけだけど。
 
「どうせ死ぬのに、プリントなんかもらってどうするんだよ!」