20.天使の提案

 僕は思うんだ。
 確かに、甘い誘いに乗った方が悪い。
 けど、誘う方がもっともっと悪いって。それこそ、考えが甘いかもしれないけれど。――

「……ほんとに、お茶、するだけでいいって言われたの」

 テーブルの上にみんなの飲み物がそろってから、白崎さんは口を開いた。
 
「うん」
 
 相槌(あいづち)を打つのは、姫川さんだ。ずっと隣で、白崎さんの膝の上にある手を、握っている。

「あたし……あーちゃんには言ったけど、ママが入院しちゃって。お兄は赤ちゃん産まれたばっかりで、お世話大変で。だからあたしのバイト代、全部生活費にして……そんな中、旅行ってなって」
「うん」
「しんどくって」
「そだよね」
「でも、いえなくってっ……」
「言えないよね……」

 するとトワが、思いっきり大きな溜息をフーッと吐いた。きっとわざとだ。

「まったく。白崎さんは、馬鹿だな」
「っ!」

 きゅ、と唇を痛いくらいに噛みしめる白崎さんは、また目に涙を浮かべる。トワは、大袈裟な演技でヤレヤレと肩を(すく)めてみせた。

「順番が違うんだよ」
「え」
「いいか。誰にも頼れないならまだしも。白崎さんの側には、親しい間柄の人間がここにこんなにいるだろう」
「……」
「身近に相談。次に、身近な大人に相談すべきなんだ。最後の最後に見知らぬ他人……にはSNSで愚痴吐くくらいにしてくれ。今後その順番は間違えるなよ」
「……っそんなの!」

 反論しようとする白崎さんを尻目に、トワは目の前にあるパフェにスプーンを突っ込んで、クリームを持ち上げた。

「理想論、か。そうかもな。んじゃ逆に考えてみるんだ」
「逆?」

 ぱくり、と甘くて白いものを一口食べてから、トワはさらに言った。

「もしもだな。姫川さんが、深刻な悩みを白崎さんに打ち明けなかったら、どう思う? お兄さんだったらどうだ? しかもそれで、事件に巻き込まれたら?」
「あ」

 やっと、白崎さんは気づいてくれたようだ。

「嫌だろ?」
「っ……ごめ」
「うむ。何かに巻き込まれるとか迷惑とかではなく。言ってもらえなかった。姫川さんの一番悲しいところはそこだ。だろう?」

 姫川さんも、目に涙を浮かべている。
  
「ふふ。天使くんってほんとに天使みたいだね。全部お見通しなんだもん……リンちゃんが言ってくれないの、ほんと悲しかった」
「ううう、あーちゃん……」
「もう、心配で、心配で……無事でよかったっ」

 横から白崎さんにぎゅううと抱きつく姫川さんを見たら、僕までもらい泣きしそうで、鼻をずびびとすする。それを横目で見たトワが、にやりと笑った。これはきっと、良いアイデアが浮かんだ時のやつ。天使になりたいくせに、悪魔の微笑みだ。

「とにかくこの件は、もうおしまい。さて、天使たるボクから皆に提案があるのだが」

 予想通り、口の端にクリームを付けた天使が何か言い始めたのを見て、姫川さんが座り直す。
 僕はポケットから取り出したハンカチを姫川さんに差し出してから、くしゃくしゃなことに焦ったけれど、姫川さんは黙って受け取ってくれた。
 
「ぐす。提案って?」
 
 僕のハンカチでそっと涙を拭きながらトワに尋ねる彼女を見ていたら、僕は心臓がドキドキしてしまう。泣いている女子を慰める方法なんて知らない。どうしたらいいのだろうとオドオドしつつ、白崎さんにはポケットティッシュを差し出した。

「うむ。そうだな……五千円、てところか」
「五千円? て? ぐす」

 姫川さんが首を捻りながら、僕にハンカチを返す。
 僕もそれと一緒に首を傾げつつ受け取って、カバンにしまうついでに財布を探しておく。いつでも出せるように。

「明日のテーマパークは、私服行動だ」
「うんうん」
「そうだったわね」

 僕と姫川さんが頷く一方で、アンジはもくもくとプリンを食べているし、白崎さんはびくびくと次の言葉を待っている。

「白崎さんに、コーディネートを依頼したい」
「えっ、あたし?」
「そうだ。原宿には、洋服屋がたくさんあるだろう。明日のボクをオシャレにしてくれないか? スタイリストのギャラとして、五千円払う」

 トワがえっへんと胸をそらして、付け足す。

「ちなみにボクは、かなりダサイぞ!」
「ぶっ」
「ちょっ」

 僕と姫川さんが同時に吹くと、白崎さんの表情がみるみるゆるんでいく。

「ギャラって……」
「うん。全身選んでもらうんだ。非常に時間も手間もかかる。給料を払って当然だろう。早速この後どうだろうか」
「それ、僕も是非お願いしたいな! 原宿で服買うのってワクワクするよ」

 僕もいつもTシャツとジーパンだから、違う服を買ってみたい。って、せっかくノリ気になったのに、姫川さんは眉根を寄せて僕をじっと見た後、苦言を呈した。
 
「ユキくん……サイズ……あるかしら」
「げ! あーちゃん、それは言わないで!」
「少しぐらい痩せなさいよ。せっかく……」

(せっかく?)
 
「あははは!」
 
 白崎さんが、泣きながら笑った。

「天使くんもユッキーも、ほんとにいいの? すごく高いけど」
「ああ。これは正式な雇用契約だ。白崎さんのセンスは素晴らしいからな。是非よろしく頼む」
「あの、僕のようなぽっちゃりさんでも大丈夫ですかね……」

 僕が恐る恐る手を上げると、白崎さんは思いっきり頷いた。

「うんっ、もちろん。むしろやってみたいって思ってた。ユッキー可愛い顔してるのに、もったいないもん」

(可愛い顔!?)

「そそそそおですかね?」
「挙動不審ウケる」
「もー、ユキくんてば……リンちゃん、私もお願いしたいな」

 白崎さんは、それでもまだ、躊躇(ためら)っている。
 それはそうだろう、三人合わせて一万五千円もの大金になるのだから。

「ふむ。もしギャラが高すぎると思ったのなら、そうだな……投資と思えば良い」
「投資?」
「ああ。カンパなら分かりやすいか? 白崎さんが将来稼げたら、返してくれ」
「将来……」
「うん。貸しでもない、あくまで投資だ。だからボクたちは、損したって良いと思って出す。スタイリングという労働対価も、ちゃんと受け取る。だから問題ないんだぞ」

 白崎さんはしばらく黙り、一生懸命考えていた。
 それから、決意とともに顔を上げる。
 
「じゃ、みんなリンクコーデしたいんだけど、い?」
「もちろんよ!」
「はは、リンクコーデという単語自体が分からんが、頼む」
「僕も分かんないけど、いいよ!」

 話している間にプリンを食べ終わったアンジが、無言で白崎さんに五千円を渡していて、闇取引みたいだった。
 
「ちょ、来栖くん、なんか言ってよ! やば、怪しい売人にしか見えないっ! あは、あははははっ」

 姫川さんがドはまりして、ずっと笑っていた。
 
   †

 冬に入りかけているテーマパークは、肌寒い。
 ホテルから出て、パークのエントランスに集合した僕たちは、白崎さんに選んでもらった服に身を包んでいる。
 
 僕は腕に白い二本線の入った、ゆったりめの濃いグレーのカーディガンに、黒いカーゴパンツ。中はデニムシャツで、いつもと全然違う雰囲気。
 華奢なトワは、細めの黒パンツに白ロンTの上からライン入り濃いグレー色のニットベストで、その上からデニムシャツをラフに羽織っている。
 アンジはガタイの良さを生かして、だぼついた濃いグレーのパーカーで腕に白いライン入り、下はダメージ入りの黒デニムで、腰にデニムシャツを巻いている。
 女子ふたりは、おそろいの黒いミニスカートの上にゆるめの濃いグレーのスエットで、厚めのデニムシャツを羽織っている。頭の上の、耳みたいにふたつ並んだお団子ヘアまでお揃いだ。

「改めて……一班リンクコーデ!」

 白崎さんの言葉に、僕は思わずテンションが上がった。

「おおー!」
「すご、男子みんなオシャレになったわ!」

 姫川さんのコメントは、ごもっともだ。
 服屋さんでそれぞれ着ていく予定の私服を説明したら、ドン引きだったから。ダサくて本当にすみませんの気持ちだった。

「てめーら、なんだそりゃ」

 背後から不穏な声がしたので全員で振り返ると――三ツ矢が、ゴテゴテしたスカジャンを羽織ってご登場ドーン。白崎さんが我慢できずに速攻「ダサっ!」と言い捨てている。
 
「やば。引くほどダサいわ」
「チンピラなのか?」
「ねえねえ見て! 背中に虎がいるよ!」

 姫川さん、トワ、僕の順で遠慮なく発言したら、こちらに殴りかかりそうな勢いだったので、アンジが立ち塞がって止める。ところが、三ツ矢はめげない。

「リンカ~。昨日、はぐれちまったしさ。今日ぐらい一緒に回ろうぜ、なあ」
「やだ!」
「いや、そもそも無理ぽいよ……」
 姫川さんが恐る恐る言うと、トワが
「だな。後ろで先生がすごい顔してるぞ」
 とトドメを刺した。
 
「ああ!?」

 振り返る三ツ矢は、橋本先生が鬼の形相で腕を組んでいるのが見えたに違いない。たちまち動きを止めた。

 なにせ、事前に『高校生らしく品位のある服装を』ってホームルームで何度も言われていた。いくらなんでもスカジャンは、品位に懸念があり過ぎるだろう。二班のリーダー、不適切な服装でテーマパーク離脱も――

「こらあ! 三ツ矢ぁ!」

 ――あると思います。