15.後夜祭に、夢を馳せる

 市立病院の病室は、偶然この間と同じ部屋。違うのは、交通手段。道を覚えたから、今日はバイクでアンジと連れ立ってやって来た。
 
 見舞いに訪れた僕たちに、トワが盛大に眉尻を下げる。
 カーテンの中、ヘッド部分を斜めに持ち上げてあるベッドの上で、トワは文庫本を読んでいた。最初の時とは違って、きちんとしおり紐をページに挟んでから、顔を上げて出迎える。ほんの一か月で、ずいぶん態度が変わったな、と僕は不思議な気持ちになる。
 
「大げさにして、悪かったな」
「そんなことないよ!」

 ただ否定する僕とは違い、アンジは冷静に状況を説明する。
 
「大丈夫だ。あの場はすぐに元通りになったし、二日目も問題なく終わった」
「そうか」

 救急車を呼ぶより担任の橋本先生の車の方が速いだろうと、アンジがトワを背負い、先生と僕が付き添って病院へと運び、トワはそのまま入院することになった。
 アンジがトワをすぐにその場から離れさせたのが功を奏して、「具合悪くした人がいたみたい」で済んだ。 
 文化祭から一週間経って、ようやく落ち着いたとトワからメールをもらった時、僕は心の底からホッとした。毎日気が気でなく心配していて、それこそ心臓に悪かった。

「えっと。まずこれ、僕が預かってた」

 ごそごそと僕がリュックから取り出したのは、キーロックの番号を聞いていて本当に良かった、トワのノートパソコンだ。

「ありがとう、助かった」

 トワはそれを受け取ることはせずに、鍵のかかる引き出しにしまうように促す。
 ガラガラと開けた引き出しには、スマホと財布が入っていたので、丁寧に避けてから本体を置く。キツキツだけど、なんとか入った。
 
「こちらこそだよ。あと姫川さん、すぐに疑い晴れたよ。天使くんのお陰だからお礼したいって」
「そうか、良かった。礼なんていらないぞ」
 
 僕とのそんな他愛のない会話すら、トワは少し苦しそうに息切れをする。
 一か月ぐらいは寝ていないとならないらしい。トワの細い腕に突き刺さった透明の管の先には、透明の点滴袋がぶら下がっている。ぽつ、ぽつと定期的に落ちる水滴はとてもゆっくりだ。

「……もう、無理しないでよ」
「そうだなあ。でも、嬉しかったんだ」

 トワは、何かを思い出すようにぎゅっと目をつぶってから、また開く。
 潤んだ大きな瞳が、きっと病室ではないなにかを見ている。
 
「嬉しい?」
「うん。今までのボクは、ずっと勉強ばかりしていた」

 静かな病室に、トワの唾を飲み下す音が響く。
 僕は黙って、次の言葉を待った。

「病院と家で。学校なんてほとんど行っていないも同然だ」
「そう、だったの」
「残りの命を自由に使わせてくれって名目で、ここにはひとりで来た。医師である母は、オンラインカルテで僕の状態を把握している」

 お父さんは? という僕の疑問はすぐに伝わったようだ。自嘲(じちょう)的な笑みを向けられた。

「父は有名な外科医で、優秀な兄にご執心なんだ。ボクのことはあくまで兄のスペアで作ったと公言している。スペアにもなれない役立たず、とも」
「なんっでそんな」
「三ツ矢も似たような人種だ。特権階級に固執(こしゅう)する奴らは、弱き者を見下して生きる。そういう性質で本能で、治るたぐいのものじゃない。だから」

 ふう、とトワが大きく息を吐いて僕をまっすぐに見つめる。

「気にするなよ」

 トワは僕の罪悪感を見透かしている。だから楽になれるように、自分のことを打ち明けた上で、その言葉を放ったと分かった。
 
 ――何もできなくて、ごめんね。
 
 何度も何度も、僕はその言葉を吞み込んでいた。けれど、もう言おうとすることすらもやめよう。こうやって、人に見せたくない部分までさらけ出してくれたのだから。

「……早く学校来てよね。みんなで、後夜祭しようって言ってるんだ」
「こうやさい?」
「文化祭の締めに、天使くんがいないだなんて、ありえないだろ。姫川さんもリンさんも、クラスの打ち上げは行かなかった。リンさん来ないからって三ツ矢が大暴れしてたらしいけど」
 
 くしゃりと笑うトワは、儚くて本当に天使みたいだ。

「それはすまなかったな。楽しみだ」

 ふ、とトワがアンジの顔を見上げる。

「アンジも。ありがとう」
「……ああ」

   †
 
「遊ぶって、それか」

 呆れ顔のトワが、手にスポドリを持ったまま僕を見つめる。トワの家の庭先で、僕は両腕の中に、手持ち花火のビニール袋を三セット抱きしめている。
 文化祭の買い出しの時、ホームセンターの片隅にひっそりと残っていたのを、ついでに買っておいたものだ。
 
「そだよ! 季節外れだけど、やらない?」
「いいな。……初めてだ」
「え!?」

 アンジが水を張った大きなバケツを庭先に置きながら僕らを見て、一言。
 
「しけってるかもしれないけどな」

 縁側には、姫川さんと白崎さんが並んで座って、トワの第二の母を自称しているエリコ渾身の差し入れである、サンドイッチやお菓子をつまんでいる。
 アンジの言葉に、僕は慌てた。
 
「げ! しけってたら、……ごめん」
「あはは。そん時はそん時~」

 瞬時に落ち込む僕をフォローしてくれるのは、白崎さんだ。
 私服の短いスカートが今日も危ういので、なるべく視線を上げておく。姫川さんは、細身のデニムとシンプルなTシャツだけれど、スタイルの良さだけで綺麗に着こなして見える。だからやっぱり、直視できない。
 

 ――今朝、ご飯を食べていた僕に『今日退院。もう大丈夫』とトワからメールが来た。
 それを見た僕は、急いでアンジと姫川さん、それから白崎さんの三人にメールを送る。

 ユキ>>『今日退院だって!(ゆきだるまがバンザイしているスタンプ)』
 
 すると白崎さんが速攻『後夜祭は、今夜!?』と返事してきて、姫川さんからも同じようなメール。リビングでそれを見た僕は、声を出して笑った。一緒にいるの!? と思ったぐらいのタイミングだったからだ。
 キッチンで洗い物をしていたエリコが何事? と焦って床をびしゃびしゃにしたのも面白かったけれど、なによりもトワが戻ってくることが嬉しい。

 ユキ>>『今夜!』
 
 僕のスマホがピロピロ鳴るのを見て何かを察した母親が、床を拭きながら「差し入れは任せろ」と笑ったから、僕もサムズアップを返す。
 
 アンジだけは『トワの都合は聞いておけ。驚かしたらダメだからな』と冷静な返事だった。
 僕は、トワにサプライズはできないんだ、とまた悲しくなったけれど、そうも言ってはいられない。

 ユキ>>『今夜どうですか』
 トワ>>『ん? 飲むのか?』

 ノリがいい天使は、にやり顔のスタンプを返してくる。

 ユキ>>『飲むし、遊ぶ。今夜みんなで、家行くね』
 トワ>>『みんな? まあ、分かった』
 
 金曜日の授業をそわそわ受けるだなんて経験、僕にとって初めてのことだった。
 
 今までは、週末といってもなんの用事もないし、ネトゲにログインしてダラダラするだけ。
 僕がみんなを誘って遊ぶだなんて、それだけでものすごい出来事に思える。前回の教訓でネトゲのフレンドには『今日はログインできない、ごめんね』とメッセを送っておく。『リア充〇ネ、いてら』て返してくれるフレンドのことも、僕は好きだな。――

 
「お、()いた!」

 縁側からぴょんと飛び降りた白崎さん(だから、スカートの裾!)が、明るい顔で僕たちに寄って来た。僕の手には、バチバチと火花を散らす割と激しめな手持ち花火がある。
 幸い今夜は風が弱く、肌寒いくらいの気候だ。十月の終わりに花火をするだなんて、考えたこともなかった。

「ほう。金色から赤色に変化していくのは、ナトリウムからリチウムか? 炎色反応でこうも綺麗になるものなんだな」
「はいはい、ウンチクうるさい天使くん。あんたも持ちな」
「えっ、えっと」
「ほら、ここ持つ!」

 しゅううと飛び散る鮮やかな火の星々の中で、戸惑う天使がなんだかとても綺麗に見えて、僕はスマホで何枚も写真を撮った。火花で焦点が合いづらい。撮ろうと四苦八苦してみるけれど、結局全部ブレた。その間、トワはずっと顔面がくしゃくしゃになるぐらい笑っている。
 
「うわ。熱を感じる」
「そりゃ花火だもん」
「はは。白崎さんは真理を突くなあ」
「しんり? 難しいことはいいのよ! じゃんっじゃん燃やせ!」
「はっは! 物騒だな」

 はしゃぐ二人の脇で、姫川さんが大人しめの花火を遠慮がちに楽しんでいる。
 
「どうした、姫川さん」

 暗い表情なのを察したトワが明るく声を掛けると、姫川さんは眉根を寄せたままトワに「ごめんね」と言った。

「何がごめん?」
「私のために色々してくれたのに。私、何も返せてない」
「おや、巫女(みこ)だと聞いたが。天使が見返りを求めると思うか?」
「もー。私、結構真剣にっ」
「ボクも真剣だぞ。なんたって神の御使(みつか)いだからな。与える一方でいいのだ。それこそがボクのやりたいことと理解してくれ」
 
 唇を嚙みしめる姫川さんの気持ちも、僕には分かる。
 トワのお陰で、姫川さんは汚名を返上したどころか、今や『成績優秀で絵も描けるすごい人』となったのだから。ちなみに、姫川さんに再びすりよってくるクラスの女子たちには、冷たく接して距離を取っている。
 
「このボクに後ろめたい気持ちがあるならば。有名人になって『天使くんのお陰なんです!』て何かのインタビューで言ってくれたらいい」
「なにそれ~。私、やばいやつじゃん!」

 はっはっは、とトワが夜空に向かって大げさなぐらいに笑う。

「姫川さん。世の中にはツールも手段も発表方法も溢れている。何かをやりながらだって、なんでもできる。ボクらの世界は広い! なにも、あきらめなくていいんだぞ!」
「っ」
「命ある限り。走ればいい。そうやって、夢の向こうへ行けばいいっ!」

 言いながら、トワは両手に激しい手持ち花火を持って、ぐるぐる回る。
 周囲にびっくりするほど火花が散って、火を振りまいた本人が慌て出して、それを見た僕らはお腹がよじれるぐらい笑った。
 
 特に僕は笑いすぎて、いっぱい涙が出た。