また、夏美は同居人にも恵まれたと思う。暦も春子も、年齢はバラバラだが程よい距離感で付き合える自立した大人の女性。
互いの生活にそれほど干渉せず、かといってドライすぎることもなく、夏美の寝不足を心配してくれるくらいの情がある。
その関係性がとても心地いいので、夏美としては当面ルームシェアを解消したくはない。
ただ――。
春子の部屋と廊下を挟んでちょうど対面にある、夏美の部屋。
壁一面の書架には趣味で集めた書籍の他、小説を書くために集めた資料本や漫画、まだ十冊にも満たない、夏美の宝物である自著の本が並んでいる。
(やっと好きな仕事を好きなようにできるようになったと思ったら、今度は〝結婚しろ〟だもんねー……よっぽど世間体が気になるんだな)
夏美は部屋の端のベッドに、顔から倒れ込んだ。深いため息をつき、ポケットからスマホを取りだす。
レンタル彼氏の【タクヤ】から、メッセージが届いていた。
【実家訪問の件、大丈夫です。基本料金と指名料に出張料と交通費がプラスされて、合計一万四千円になります】
予想していたよりも良心的な金額に、夏美はホッと胸をなでおろす。
(一万四千円……それであの母を黙らせられるなら、安いもんだよね)
作家になることを反対されて以来実家とは疎遠になっていた夏美だが、ひと月前に大手出版社が開催しロマンス小説のコンテストに入賞した直後、母から電話があった。
入賞は夏美にとってもうれしいもので、実家に戻るつもりはなくても、この結果があれば両親も多少応援する気持ちになってくれるのではないかと、微かに期待したのだ。
だから、電話に出た。母の口から、祝福の言葉が出てくる可能性に賭けて。
* * *
「もしもし、お母さ――」
『夏美、あなた、まだ小説家の真似事なんか続けていたのね。賞金十万円なんてもらう方が恥ずかしいようなコンテストに応募して。フラフラするのもいい加減にしなさい!』
(……そうか。忘れていたけど、母はこういう人だった)
母親のヒステリックな声を聞き、夏美の心はは悲しみでも怒りでもなく、静かなあきらめの気持ちでいっぱいになった。
本に興味のない彼女にとって、文学賞といえば芥川賞か直木賞。近年盛り上がっている本屋大賞を知っているかどうかも怪しい。
そんな人に認めてもらおうと思っていた自分が馬鹿だった。
『きちんとした正社員の仕事に就くつもりがないなら、こっちに帰ってきて結婚しなさい』
煩わしい母の小言に夏美はしばらく思考を遠くに飛ばしていたが、『結婚』のひと言に思わず我に返り、スマホを握ったまま顔をしかめる。