「あれは男ね。間違いないわ」
朝、春子が出て行った後のダイニングで、暦が断言した。
こういう時の暦はテレビの中で毒舌をふるうご意見番的なタレントのようで、夏美は心の中でだけ敬意をこめて〝コヨミ・デラックス〟と呼んでいた。
「春子さん、彼氏できたっぽかったんですか?」
夏美は徹夜明けなので食欲がなく、朝食には味噌汁だけをもらった。
原稿中はドーナツやポテトチップス、カフェの期間限定ドリンクやハンバーガーなど、ジャンクな食べ物の方が執筆のエネルギーになる気がするが、〆切開けは胃に優しい暦の和食がありがたかった。
里芋よりネギを多めにしてもらった味噌汁を啜ると、疲れた体と心に栄養が染みわたっていく。
「彼氏かどうかはわからないけれど……いつも以上にメイクに気合いが入っていたし、なにより雌の匂いがしたわ」
「め、めす……?」
「ええ。長く生きてるとね、わかるのよ。この子、発情しているわねって」
断言するとともに皺の刻まれた目元がひゅっと細められ、夏美は身震いした。そして、暦の目を盗んで自分のくたびれたスウェットの袖を鼻に近づけ、すんと嗅ぐ。
(私も変な匂いまき散らしてたらどうしよう。でも、私の場合は彼氏とかそういうんじゃないし……)
それでもコヨミ・デラックスには見抜かれてしまうかもしれない。夏美は一気に残っていた味噌汁をかき込むと、「ごちそうさまでした」と席を立った。
「あら、もう少しゆっくり食べたらいいのに。お仕事、ひと段落したんでしょう?」
「ええ、そうなんですけど、並行している案件もいくつかあって」
嘘ではないが、急ぎの仕事ではなかった。今はただ、暦のそばにいる勇気がない。
「そう。夏美ちゃんが文壇で活躍するのはうれしいけれど、根を詰め過ぎたらだめよ」
「文壇と言っても、私はロマンス小説界の隅っこにいるような作家ですが……」
「なに言っているの。あなたは言葉のプロなのよ。もっと胸を張りなさい」
人生経験豊富な暦にそう言ってもらえると、夏美は素直に嬉しかった。
(暦さんがお母さんならよかった)
叶うはずのないそんな願いを、思い浮かべてしまうほどに。