風邪と思う気持ち
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朔夜side
12月上旬。
とある土曜日の午前6時。
体が羽毛布団から絶対に出ないように、体を丸くする。
布団の中はこんなにも温かいのに、なぜ布団の外は吹雪……は大袈裟だが、そう思えてしまうくらい寒いのか。
そんな文句を毎朝思うが、今日は頭痛でそれどころではなかった。
どうやら風邪を引いてしまったらしい。
頭が痛いのだから、余計布団からは出たくない。
でも薬はリビングにある。
かと言ってわざわざ枕元にあるスマホで母か父を呼び出すわけにもいかない。
……いてぇな、でも行くか……
そうして、布団から出て自分の部屋を出る。
そのあまりの寒さと頭痛に意識は朦朧とするが、僅かな力を振り絞って階段を下りる。
手すりに掴まりながら、ゆっくりと。
でもあと5段というところで、ついに限界を迎えてしまった。
階段に座り込む。
……さっむ……痛い……
誰かが見つけてくれるまで待つか、と考えていると。
「あれ、朔くんっ?どうしたの!?」
たった今起きてきたのであろう唯鈴の声が、階段の上の方から聞こえてくる。
……唯鈴か。
早めに見つけてもらえてよかった……
そして彼女の声に、なぜだかとても安心した。
唯鈴は慌てながらも足音は最大限抑えて下りてきてくれて、その上自分が来ていたオーバーサイズの上着を俺にかけてくれる。
薬のこと一心で、上着を着てくるのを忘れていた。
どうりで寒いわけだ。
唯鈴にありがとうを言おうとして、喉も痛いことに気がつく。
何も言えず俺がぼーっとしていると。
「朔くん、ちょっとごめんね?」
そう言って唯鈴は、自分のおでこと俺のおでこの熱さを、両手を使って比べた。
そして落ち着いた口調で俺に伝える。
「朔くんお熱あるよっ。頭痛い?もしかして薬取りに行こうとしてたの?」
俺は頷く。
すると唯鈴は、俺の頭の上に優しく手を置いて、撫で始めた。
「っ……な……」
「朔くん頑張ったね、偉いよ。でもこういう時は、人に頼るべきっ。一緒に暮らしてる人が3人もいるんだから。まだ寝てるとか、申し訳ないとか、遠慮しなくていいんだよ。椿さんたちを呼ぶのが難しいなら、私を呼んでくれればいいから、ねっ?」
………ほんと、優しいな、唯鈴は。
そう思いまた頷くと、唯鈴は俺をベッドに連れていこうと体を支えてくれる。
「薬は私が持っていくから、朔くんは安静にしててねっ」
唯鈴がこうして優しくしてくれるのは嬉しい。
けど、男としては情けない姿を見せたな、と思う。
階段を上がる途中、唯鈴も途中バランスを崩していたから唯鈴が転倒して怪我をしないか心配だったが、なんとか俺の部屋まで戻ってこれた。
「……あり、が……と」
「うんっ、それと喉も痛かったんだね。なら無理して話さなくてもいいんだよ?でも、朔くんがお礼を言おうって頑張ってくれたことは、すごく嬉しいっ」
「っ……」
……なんか、熱上がりそ。
風邪とは関係ない理由で体温が少し上がった気がしたが、唯鈴が持ってきてくれた薬を飲むと、そんなこと気にしていられないほどの眠気に襲われたため、俺は目を閉じた。
目を覚ましたのはその3時間後。
ノックが聞こえたと思ったら父が部屋に入ってきて、病院に行こう、とのことだった。
頭痛も喉の痛みもだいぶマシになっていて、身支度はすぐ済ませることが出来た。
唯鈴のおかげだな。
だから、病院に行く前にお礼を言おうと思ったのだが。
「あら朔、大丈夫?」
「うん。それより、唯鈴は?」
まだ喉は少し痛いけど、気になって仕方がなかったから尋ねると。
「唯鈴ちゃんなら、ついさっきお出かけに行ったわ」
「出かけた?どこに」
「わ、私は知らないわよ?どどどこに行ったのしから〜?」
とニヤニヤしながら言われた。
まぁ、母さんが嘘をついていることは丸わかりなのだが。
唯鈴が1人で出かけるのは珍しいな。
どこに行ったんだ?
気になって電話をかけようかと思ったが、唯鈴にもプライベートがあるのだから、とやめることにした。
父の運転で病院に向かうこと5分。
唯鈴と出会った日に世話になった所と同じ病院に到着した。
あの日から今まで一度も体調を崩さなかったから、この病院を訪れるのは半年ぶりだ。
外も中も見た目は特に変わっておらず、何かあるとすれば、もうすぐやってくるクリスマスの装飾が受付などに飾られていることくらいだ。
呼ばれるまで診察室の近くの椅子に座って待つ。
何もすることがないので院内を見回していると、ふとあることを思い出す。
そういえば、あの時世話になった看護師はまだいるだろうか。
そうすぐに転職はしないだろうから、まだいると思うんだが。
なんて考えていると、隣に座っている父がスマホの画面を指さしながら、カリブ海は透明度が凄いんだよ、などと言ってきたので、呼ばれるまで海の話をして待っていた。
その20分後、俺は診察室に呼ばれた。
その時驚いたのが。
「杉野さーん」と俺の名前を呼んだのが、なんとあの時の看護師だったのだ。
そのあまりの偶然に俺は、噂をすれば、と思わず声に出そうになってしまった。
向こうは何のリアクションもなかった。
まぁ、覚えている方が不思議だよな。
その後は俺も特に気にせず、診察を受けた。
診察結果は案の定風邪。
どこでもらったかな、と日々の学校生活などを思い返していると、父さんに
「じゃあ、薬を貰いに行ってくるよ」
と言われたので、ロビーの隅にある椅子に座って待っておくことにした。
しばらくして、クリスマスの飾りが全部でいくつあるか数え始める程度には退屈していると、例の看護師がキョロキョロしているのが見えた。
そして俺と目が合うと、その看護師はこちらにやってきた。
「えっと、杉野くん、だったかしら?」
「?はい、杉野朔夜です」
「そう、杉野朔夜くん。突然でごめんなさい、杉野くんって、以前女の子を抱えてきてくれたことがあったわよね?」
覚えてたのか。
「はい」
「あの子は元気?どうしても気になっちゃって」
そういうことか……って。
「あの、仕事とか、大丈夫なんですか?」
看護師は、そう簡単に時間を作れるほど忙しくない職業ではないだろう。
俺みたいに風邪を引く人が多いこの季節は特に。
だから、この話している時間が仕事に影響が無いのか気になったのだ。
でも看護師は、何も慌てることなく優しく笑って、
「それなら大丈夫よ。他の人に今度借りを返すってことで代わってもらったから」
と言った。
借りを作ってまで?
そんなに唯鈴のことが気になるのか。
まぁ、倒れた原因が分からなかったからな。
俺は勝手に納得して、父さんを待っている間この看護師と話していることにした。
「あの子のお名前、私確か知らないわよね」
「あ……そういえば、そうですね。遠永唯鈴です。唯鈴の漢字は、唯一の唯にりんと読む鈴です」
「そう、なのね。本当に、あの子にピッタリな名前ね」
俺は漢字の意味が分からないから、頭の上にハテナが浮かぶ。
由来を聞きたかったが、親でもない人から意味を聞くのは違う気がした。
そういえば、唯鈴は自分の名前の意味を知っているのか?
親はいないって言ってたし、知らない可能性が高いな。
綺麗な名前だから、少し知りたい気持ちがあったんだが。
それに何より、唯鈴本人が知りたいだろう。
そう思うと、唯鈴は今何をしているのだろうと気になった。
俺は、自分で思っている以上に唯鈴のことを大切に思っているらしい。
そう気づいた次の瞬間に、看護師が再び質問をしてきた。
「それで、あの子は元気?」
そういえば、この質問に答えるのを忘れていた。
「ああはい、元気ですよ」
「そうなのね!よかったわぁ、あの日からずっと気がかりで」
「それは、倒れた原因が分からなかったからですか?」
「え?あ、ええ、そうよ。起きた時はもう元気そうだったけど、その後も何もなかったのね。安心したわ」
半年も前の患者を気にしていたなんて、本当にいい人なんだろうな。
そう思うとこの優しさに頼りたくなってしまい、俺は尋ねた。
「あの……」
「何かしら?」
「もし自分の大切な人から……」
大切な、唯鈴から言われたこと。
「自分はもう死ぬ、と言われたら、どうしますか?」
あまりにも急な問いに、看護師は目を丸くする。
驚かせてしまったな。
でもどうしても、この人ならどうするのか知りたくて。
「その、もう死ぬ、というのは……残された時間が少ないという捉え方でいいの?」
おそらく、
「はい」
その返答に、看護師は少し間を空けてから答えを出した。
「私は……どうやってでも、その人を助けようとするわ。自分の大切な人なんだから、特にね」
「どうやってでも……?」
「ええ、そうよ。でも……でも万が一助けられないのだと分かったら、私はその人の望む通りにしてあげたいわ。まぁ、助けられないと知っていても助けたいという気持ちは無くならないから、最後まで諦めないけど」
「最後まで、諦めない……」
その答えを聞いて、俺の中で何かが強く固まった気がした。
諦めない、そうだ。
俺は諦めない。
日々の幸せを心の底から喜ばせてくれない運命から、唯鈴を救いたいんだ。
その思いを作らせてくれた看護師に、お礼を言おうと思 したのだが。
その人を見ると、今まで浮かべていた微笑みを消して真剣な顔をしていたから、思わず言葉が引っ込んでしまう。
「自分の大切な人は、いついなくなってしまうか分からないの。だからその分、その人との時間を秒単位で大切にして、より濃い時間を過ごす。それを心に記憶しながら生きていくことが大切だと思うわ」
気持ちが安らぐような柔い声。
それでいて、力を持っている声だった。
俺のこととは言っていないのに、この人に真っ直ぐ目を合わせられると、俺に向けて言われているような気がした。
大切な人を助けなさいと。
ずっと、そばにいなさいと。
「そう……ですね。俺も、大切な人との時間を、その人本人と同じくらい大切にしていきたいです」
そう言うと、看護師は明るい笑顔を向けてくれた。
その表情はどこか安心しているようにも思えた。
すると、もう気になっていたことは聞き終えたからか、看護師は「さて、伝えたいことは伝えられたし」と話題を変える。
「忘れないうちに言っておきたいのどけど……もうすぐ今年が終わるわよね?朔夜くんたちは、初詣には行くの?」
初詣って……急だな。
「行くつもりではいますけど、どこの神社に行くかは、まだ……」
「本当っ?」
看護師はなぜか嬉しそうにする。
「それなら、捧命神社がオススメよ!階段が長くて大変ではあるけど、ここから電車ですぐだし、あそこから見る初日の出は絶景だからっ。よければ行ってみてね」
その神社は、聞いたことのない名前だった。
でも景色は綺麗らしいし、行ってみるか。
唯鈴が目を輝かせている姿が目に浮かび、少し頬が緩んでしまう。
いい情報が知れた。
「教えて下さって、ありがとうございます」
「ええ、初詣楽しんでねっ」
「はい」
そして、看護師はどこかへ歩いていった。
そういえば、あの人の名前知らないな。
他の看護師は名札があるのに、あの人はなかった。
それを疑問に思っていると父が帰ってきたので、俺は赤い顔で家に帰った。
「ただいま〜……あれ、朔夜、この靴って……」
靴?
と思いながら父さんに続き玄関に入ると、中から俺の名前を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。
靴は我が家のものではないのが3足。
これはもう、アイツらしかいない。
「朔夜!風邪引いたって大丈夫か!?」
「昴、声うるさい……」
「あっ、悪い。紘さんこんちわ!」
「昴くんこんにちは」
そう、階段をドタドタと音を立て下りてきて俺の心配をしたのは昴だ。
そして昴がいるなら……
「朔、大丈夫?あっ、紘さんおはようございます!」
「紘さん、おはようございます。朔もおはよう。朔が風邪引くの、結構久しぶりじゃない?」
当然のように明那と真琴もいる。
「ああ、3年ぶりくらいか?」
「だよね。あ、もう椿さんに渡したけど、ゼリーとか色々あるから食べれそうだったら食べて」
「ああ、ありがとう真琴」
「どういたしまして」
それで。
「なんでお前らいるんだ?」
「朔のお見舞いだけど」
「いや、そうじゃなくて」
「……?ああ、唯鈴が俺達を呼んでくれたんだよ」
「唯鈴が?」
そしてそこで、ニヤニヤしていた母さんを思い出す。
ああ、そういうことか……
母さんはあの時、唯鈴が俺のために3人を呼びに行っていることを知っていたのだ。
だからあんな笑みを浮かべていた。
なるほどな。
それにしても、唯鈴はなんでそこまでして……
3人は玄関まで迎えに来てくれたけど、唯鈴の姿は今のところ見えない。
何してるんだ?
「なぁ、唯鈴って……」
「朔くんっ、おかえり!」
真琴に唯鈴の居場所を訪ねようとした時、リビングへと繋がっているドアの向こうから唯鈴が顔を出した。
そしてなぜか、唯鈴はエプロンを着ていた。
どうやら何かを作っていたらしい。
「朔くん、大丈夫?」
「ああ。頭も喉も、だいぶ良くなった。唯鈴のおかげだ」
「えへへ」
「っ……それで、エプロンなんか着て何してたんだ?」
そう聞くと唯鈴は俺の手を引いて、リビングへと向かう。
ダイニングテーブルの上に視線がいき、俺は目の前にあるそれに驚く。
「これ……雑炊?」
「うんっ、椿さんに教えてもらいながらだけど、頑張って作ったんだっ」
唯鈴がこれを作った?
他の誰でもない、俺のために?
それが仕方ないほどに嬉しくて思わず笑顔になる。
「俺のためにありがとう、唯鈴」
「どういたしましてっ。もう食べられそうだったら、お茶碗用意するよ?」
「ああ、頼む」
「りょ〜かいっ」
まさか唯鈴に雑炊を作ってもらえるとは。
風邪引いて良かったかも……なんて。
唯鈴はすぐに食器を用意してくれて、熱々のたまご雑炊を口に入れる。
熱い……けど、
「……うま……」
「ほんと!?やったね椿さん!」
「唯鈴ちゃんが心を込めて作ってくれたからよっ、ねぇ朔?」
「ああ、マジで美味い」
「!そんなに言われると照れちゃうよっ」
そのやり取りを見ていた父さんはニコニコ笑っていて、明那と真琴も優しい眼差しをしているのに。
「朔夜っ、俺にもちょーだい!」
昴だけは違った。
「ヤダ。これは俺の」
そうキッパリ断っても、昴は折れない。
「なんでだよ〜、いっぱいあるんだから一口だけでも!お願い!」
「………しょうがないな」
「ありがと〜朔夜〜!」
キラめく昴の瞳にやられて、俺はつい許可してしまう。
昴は、何回かフーっと息をかけて雑炊を冷まし、口に入れた。
「うっま!椿さん、唯鈴!これめっちゃ美味い!」
「ふふ、よかったっ」
「昴くんいい表情するわね〜」
病人を前に、大きな声で感想を述べる昴。
でもまぁ、昴らしいな。
度が行き過ぎてはいけないが、素直なのはいい事だ。
その素直さに助けられたヤツも、今までたくさんいるだろうし。
俺がこう思えるようになったのは、工夫された言葉で俺たちの間を取り持ってくれる唯鈴のおかげだ。
絵の話をする時も、俺のネットのことに触れるのではなく、単純に好きな色の話に持っていってくれたりする。
そうすることで、自分の好きなことについて楽しく話せる。
唯鈴には本当に、助けられてばかりだな。
そう思い良い気分になっていたのに。
昴が、一口食べたにも関わらずまだ食べ続けるのだ。
「ちょ、おい昴!」
このくらいで、と思うかもしれないが、唯鈴が俺のために作ってくれたものなのだ。
そう簡単に譲れやしない。
「一口だけって言っただろ?」
「ん〜ん!」
「ん〜んじゃねぇ、それは俺のだ」
「もー!朔夜のケチ!」
「当たり前だろ」
そこで俺は、唯鈴に聞きたいことがあったのを思い出す。
「唯鈴、なんで真琴たちを呼んでくれたんだ?」
「だって、そしたら朔くん元気出ると思ったから!」
「っ……」
そう、なのか。
これも俺のために……
幸せすぎて、今が怖いくらいだ。
「朔くんよく昴くんと言い合いしちゃうけど、一緒に過ごしてると、3人のことを大事に思ってるのすごく伝わってくるよ!」
その言葉に昴がニヤッとして。
「へえ〜?そうなのか朔夜〜?」
「っ……知らね」
「なんでだよお前のことだろー!?」
恥ずくて言える訳ないだろ……っ
……でも、大切には思ってるよ、昴。
真琴も、明那も。
この気持ちを口に出せない俺は、いつまで経ってもガキだなと思うけど、あの看護師に、そして自分に誓ったから。
大切な人との時間を、大切にすると。
母さん、父さん、昴、明那、真琴、そして唯鈴。
こんなにも優しい人たちがたくさんいるこの環境は、とても恵まれたものだ。
ネットで叩かれたって、今すぐ隣で感じられる居場所が幸せなら、十分だ。
なんて、この時の俺は思っていた。
唯鈴の笑顔の裏に、残酷な運命が決まっているとも知らずに。