夢を視た。
 鮮やかな花々が咲き乱れ、大きな桜の木から薄ピンク色の花びらが舞っている。
 そこに二人の男女が、仲睦まじく並んでいた。
 その姿はもちろん、桜と黒稜だ。
(この前視た夢と、同じ……?)
 同じ映像を桜は今朝視たばかりであった。
 しかしその映像は乱れることなく、ただただ穏やかな時間が流れている。
(ああ、そうなのね……)
 桜は直感した。
(私達の未来は変わらない。きっと変わらず、私と黒稜様はこのまま幸せに暮らしていくんだわ)
 二人を見守る桜の心は実に穏やかなもので、自然とこの先も大丈夫だと、そう思えた。

『桜』

 黒稜の優しい声がしたような気がして、桜は振り返った。


 と同時に、桜は夢から目を覚ました。
 辺りはまだ真っ暗だった。
 蕾が膨らんだ花々の並ぶ花壇の前で、桜は黒稜に抱えられていた。
 どうやら桜が倒れる寸前に黒稜が支えてくれたようで、二人はそのままの体勢だった。
『桜、無事か?』
「黒稜様…、…っ!黒稜様っ…!!」
 桜は黒稜の背中に手を回して、ぎゅっと抱き着いた。
「黒稜様、黒稜様……!!良かった!!無事なのですね!!」
 先程かなり出血したはずだが、黒稜は然程顔色も悪くなく、思ったよりも元気そうだった。
 黒稜は優しく微笑む。
『ああ、どうやら無事だ。桜のおかげでな』
「私の…?」
『私の傷を、桜が祈りの巫女の治癒の力で治したのだ。術が終わってすぐに傷が塞がり始めて、今ではこの通りだ』
 そう言って見せられた黒稜の左手首には、傷跡の一つも残っていなかった。
 それを見て、安堵からまた腰が抜けそうになる桜を、黒稜は力強く支えた。
 しかしすぐに桜は黒稜をきっと睨み付ける。
「黒稜様!もうあんな無茶はお辞めくださいませ!いくらあやかしの力があると言っても、限度と言うものがあります!」
 桜に怒られた黒稜は一瞬目を丸くして、しかしまた柔和な顔へと戻る。
『桜も、言うようになったものだ』
「黒稜様!」
『分かっている。心配を掛けて悪かった。しかし、どうしても試してみたかったのだ。して、何か成果はあったか?』
「あ……」
 黒稜にそう言われ、桜はようやく気が付いた。
「私……」
 小さく呟いたその声が、桜の耳に届いていることに。
 遠く聴こえる川のせせらぎ。
 ふくろうのような、低く響く鳥の声。
 風で揺れる木々の小さな音まで。
 そのすべてが桜の耳に届いていた。
「……っ!!黒稜様っ!私……っ!!!」
 自然と一筋の涙が流れる。
「私…っ、私、聴こえます…っ、耳が、聴力が戻って…」
 そこで桜の言葉は途切れ、涙が溢れ出す。
 そんな桜を黒稜は強く強く抱きしめた。
『良かった…良かった……本当に…』
 自分のことにように喜ぶ黒稜に、桜はますます涙が止まらなくなった。
「黒稜様のおかげです…貴方がいなければ、私はとっくに生きることを諦めていた…。貴方に出会えて、本当に良かった…」
 涙ながらに伝える桜の言葉を、黒稜は一つ一つ大切に拾った。
『それは私の台詞だ。桜がいなければ、私はこの命などとうに捨てていただろう。お前のおかげで、私はまた前を向くことができたのだ』
『ありがとう、桜』
 そう言って、桜の涙に濡れた頬を拭いながら、黒稜は桜に口付けを落とした。

 そうして呪いの解術式は成功し、桜の陰陽師の力も、聴力も、戻ってきたのだった。