「おーい!聴いてる?」

 青年の顔が間近にあって、桜は驚いて身を引いた。

「さっきからずっと話し掛けてるんだけど、全部無視?人の話はちゃんと聴きましょうって、お父さんお母さんに習わなかった?北白河のお嬢様だろ?あんた」

(何を言っているのか、よく読み切れない…)

 暗さも相まって、桜には青年の口の動きが読み切れなかった。それ故、彼が何を話しているのか、桜にはいまいち分からない。
 青年は桜の身体に躊躇なく触れる。桜はびくっと身体を震わせた。

「あら?もしかして男に触られたことない?びくびくしちゃって可愛いじゃん」
(この人は、何を言っているの…?)
「あー、そっかそっか。あんた、耳聴こえないんだっけ?」

 青年は桜から離れると、どこかからさっと取り出した札に、何かを呟きそれを桜に投げた。

「…っ!」

 桜はぎゅっと目を瞑るが、特に痛みなどはやってこなかった。
 目を開けると、青年がにっと笑った。

「これで少しは聴こえるだろ?」
「え…?」

 青年の声が、すっと桜の耳に届いてきた。

「どうして…?」

 青年はきょとんと首を傾げると、平然と答える。

「だってあんたが掛けられているのは呪いだろう?一時的な緩和くらいなら出来る」

 そう事も無げに言い切った青年に、桜は更に警戒の色を濃くした。
 呪いを緩和する力なんて、聴いたことがない。
 きっと黒稜も知っていれば、桜にその方法を使ったはずだし、道元すら知らなかったのではないかと思われた。

 そんな強力な力を使える人間だ、この人は危ない、そう咄嗟に思った桜は後退った。

「えー、せっかく緩和してあげたのに。でも長くは持たなそうだなぁ。あんたに掛けられてる呪い、かなり強力みたいだし」
(やはり、そう、なのね…)

 黒稜も道元も分からなかった呪いだ。

(あの時の稜介さんは、桔梗さんを救いたい一心でこの呪いを生み出した。稜介さんはこの呪いの解術式までは作っていないかもしれない…)

 薄々思っていたことだが、この呪いは解けないかもしれないのだ。
 ひゅっと冷たい風が通り抜けたかと思うと、桜の真後ろで低い声がした。