桜はそこでふと雪平の言葉を思い出す。


「貴様を地獄に送り、次はその妹、そして嫁の文江、その後が道元だ!!!」


 雪平は桜を亡き者にした後、弥生や文江、道元を襲うつもりであったらしい。
 傷を負った雪平がすぐに動くとは考えにくいが、北白河の家は無事だろうか。
 桜はそれが気掛かりだった。

【黒稜様、一度北白河の家に帰る許可をいただけませんでしょうか?】

 桜の言葉に、黒稜はぐっと眉間に皺を寄せる。

「家族が心配だからか」
「はい…」
「酷い扱いをされていたのにか?」

 桜は目を丸くして黒稜を見た。
「どうして、そのことを…」

 桜は黒稜に北白河の家にいた時のことは一切話していなかった。それなのにどうして桜が家族からいい扱いを受けていないことを知っているのか。

「この家に来た時の桜を見たら大体察しはつく。年頃の娘にしては荷物も少なく、着物も良い物を着ていなかった。それに悪い噂のある御影家に嫁がせようだなんて、真っ当な父親がすることではない」

 確かにその通りだった。

 御影があやかし屋敷だと噂されているのを知った上で、道元は桜を嫁がせたのだ。北白河家の厄介者である桜を、さっさと追い出したかったから。

「大切にしてくれなかった人間なんかを、何故助けようとする?」
「…………」
「雪平の時もそうだ。御影が生み出してしまった呪いではあるが、それを桜に向けたのだ。死んで然るべき人間だ。それなのに何故雪平を生かした?」

 黒稜の言うことはもっともだと思う。
 しかし桜は、黒稜のようには割り切れなかった。

「確かに、その通りです…。けれど、例え自分が傷付いたとしても、助かる命があるのなら、私は、助けたいのです。一人の寂しさは、よく知っているから…」

 優しかった家族に見捨てられ、嫌と言う程孤独を味わってきた。

 それがもし、死という別れに寄って生まれてしまう孤独だったとしたら。
 桜には想像もできない。

 大好きな人ともう会えない孤独。
 それは一体、どういうものなのだろうか。
 そんな思いはしないで済むならしない方がいい。
 救える命があるなら、救いたい。

 雪平にだってきっと、家族がいるはずだ。残された家族の人生を背負う覚悟など、到底桜にはできそうにない。

「黒稜様、私は貴方と一緒にいる時間が、幸せ、です。けれど、誰かの大切な人を奪ってまで、自分が幸せでいたいとは、思いません。弥生がいなくなれば父と母が悲しみ、雪平がいなくなれば、その家族や友人が悲しむかも、しれないのです。私は、誰かに悲しい想いをしてほしくないのだと、思います…」

 甘い考えだということは、桜にも十分分かっている。
 自分が死ぬかもしれないのだ。
 それでも桜は、非情にはなれなかった。

 黒稜はふっと浅く息を吐き出すと、桜をゆっくりと抱きしめた。

「く、黒稜様っ!?」

 黒稜の突然の行動に驚きを隠せない桜。
 じたばたともがいていた桜であったが、黒稜の優しい腕に落ち着かないながらも身を任せた。

「きっと私は、お前のそういうところに惹かれたのだろう。周りを憎むことなく、ただただ優しく綺麗な心に」

 自分も桜のようであったなら…。

 黒稜はそう思った。
 桜は呪いを受けたというのに、周りを憎むことをしなかった。

 しかし黒稜は違う。
 大切な者を目の前で失い、自分の迂闊さと非力さを呪った。

 そうして自らも憎むべきあやかしとなってしまった。

 もしも、だなんて考えたところで意味はない。
 だからこそ、今度は大切な者を失うことのないよう、黒稜は桜を強く抱きしめ誓ったのだ。

「桜、お前は私が必ず守る」