次の瞬間、目に映る世界に、桜は息を呑んだ。
 また時が流れたのだろう。
 御影の家の空気が淀んで、真っ黒な何か、良くないものが世界を支配しているように感じた。

(な、なに?この感じ…あやかしではない…?)

 桜は必死になって気配を探ってみたのだが、桜には経験のない出会ったことのない嫌な気配だった。
 鮮やかだった庭の花々は枯れ果て、その生命を失っていた。
 庭に面した部屋から、ぶつぶつと声が聴こえる。

「桔梗、聴いてくれ。あの陰陽師として有名な家系である、藤原も神宮寺も陰陽師の職を辞するそうだ。そりゃそうだよなぁ!!あやかしを祓う力が使えなくなった陰陽師だなんて、聴いたことがない。帝様にはそんなやつ必要ないもんなぁ!!」

 桔梗は目を瞑り床に伏したまま、沈黙を貫いている。

「なんでこんな簡単なこと、すぐに思い付かなかったんだ…。力ある陰陽師から、その力を奪ってしまえばいいだけの話じゃないか!そうすれば必然的に私が最強の陰陽師だ!!」

 呪いに関する文献を手にしてしまった稜介は、元々聡明であったこともあり、いとも容易く強力な呪いを生み出してしまった。

 あやかしに対しても人と同じように分かり合おうと接してきた稜介だったが、呪いを完成させるために、何百ものあやかしを手にかけていた。

 あやかし退治などしたことのなかった稜介なのだが、桔梗の為に盲目となり狂気に心を食い尽くされてしまった今では、その命を使うことに何の躊躇いもなかった。

 この時稜介が生み出してしまったものが、陰陽師の力を奪う術式、五感に影響を及ぼす術式、そしてあやかしを使役する術式の三つだった。

「あとは北白河と雪平くらいのものだ…あの二人がいなくなれば、きっと俺が国直属の陰陽師になれる。そうすればお金は今の倍、いや、何十倍にもなるだろう!」

 稜介は、ぴくりとも動かない桔梗の頬を、優しく撫でる。

「もうすぐだ、桔梗…こんな病気、すぐに治してやるからなぁ……」
 にこりと笑う稜介の目元は真っ黒で、腕も脚も痩せ細っていた。

「桔梗……桔梗…」

 妻の名を狂ったように呼び続ける稜介を見ていられなくて、桜はぎゅっと目を瞑った。
 きっともう桔梗は亡くなっていて、稜介も強大な呪いの代償で先は長くない。

(雪平の…言った通りだったわ……)

 桜にかけられた呪い。 
 それを作ったのは、雪平から聴いた通り、黒稜の父である御影 稜介だった。
 桜だって、何度呪いなどなかったら…と思ったことだろうか。
 しかし、桜は稜介を恨むことが出来なかった。
 稜介はただ、最愛の妻を救いたかったのだ。
 好きな人を、失いたくなかったのだ。
 桜は胸が張り裂けるような想いだった。

 過ぎ去りし日々を見ているだけの桜には、ただただ祈ることしか出来ない。


(どうか、どうか。お二人が苦しみから解放され、いつまでも一緒にいられますように……)


 桜はそう、心から祈った。