桜の脳内は忙しなく動きまわる。
 恨まれるような悪事はしていない。
 北白河の家は、帝に認められるくらいに誇れるものだったし、力も持っていた。
 それが、何故……?

「その顔…」
 男性は先程までの笑みを消すと、急に無表情になって桜を見下ろした。

「その顔が気に食わないっ!親子揃って私を馬鹿にしようと言うのか!!」

 激昂した男性は、桜に次々に札を浴びせようと、手に持った札に力を込めてくる。

(こんな時、陰陽師の力さえあれば…)

 勝つことはできないまでも、もしかしたら男性を退けるくらいのことはできたかもしれない。今の桜にできることは何もない。ただ逃げることだけだ。

 しかし逃げようにも、脚をだめにしてしまった。
 桜に残された道は、もう何一つなかった。
 桜は死を覚悟した。

(私の命は、ここで終わるの……?)

 遅かれ早かれ終わる命であれど、こんな終わりだなんて…。

(黒稜様に、私は何も返せなかった…)

 死を覚悟した時、一番に浮かんだのが黒稜の顔だった。

 陰陽師の家系に生まれながら、何の力も持たない桜を受け入れてくれた黒稜。
 一緒に街に行ったり美味しいスイーツを食べたり、お月見をしたり、箱根に旅行に行ったり。

 最初こそ冷たい黒稜であったが、今では大分穏やかな表情を浮かべるようになった。
 時折見せる黒稜の寂しそうな表情も、耳が聴こえないはずの桜に、夜だけは黒稜の声が聴こえる不思議も、結局何もかも分からないままだった。

 それでも桜にとって、黒稜と過ごす何気ない日々が、気が付かぬうちに大切なものになっていた。

(…黒稜様、………)

 男性の力の込められた札が、桜に投げつけられる。
 桜は静かに目を瞑った。

 しかしいつまで経っても、衝撃や痛みはやってこない。
 いやもしかしたら、一瞬のうちに消し炭になったのかもしれない。
 桜は恐る恐る目を開けた。
 すると目の前の光景に、桜は驚いて息を呑んだ。