ご馳走様でした、と手を合わせて一息ついて、桜は慌てて持ち歩いていた和紙に文字を綴った。

【今日は本当にありがとうございました。私のためにわざわざ服を見繕ってくださって。ワッフルも】

 その文字を見た黒稜は「ただの気まぐれだ」と返した。

 黒稜はほとんど表情を変えないし、桜には彼が何を考えているのかは全く分からなかった。
 けれど、きっと悪いひとではないと、桜の中で確信が生まれていた。

 結婚してひと月、桜が嫌がるようなことは全くしない。
 実家にいる時よりも、桜の心は穏やかになったし、陰陽師になれなかったことも、聴力を失ったことも、少しずつ享受できるようになってきていた。

(帝の命とは仰っていたけれど、どうして私を妻に選んでくれたのかしら…)

 黒稜に訊きたいことは山ほどあった。
 今なら少し、訊いてみてもいいかもしれない。
 桜はそう思い、和紙に文字を綴る。

【旦那様、少し質問してもよいでしょうか?】

 文字を見て黒稜も返答する。
「構わない」

 長い言葉になると、上手く発音できる自信がない桜は、和紙に言葉を紡ぎはじめた。

【どうして妹の弥生ではなく、私を妻に選んでくださったのでしょうか?】

 黒稜もゆっくりと口を動かす。
「前にも話したが、帝からそう仰せつかったからだ。陽気な方だから気まぐれでそんなことを言ったのかもしれないが、無下には出来ない。とても世話になっているからな。北白河家の長女を、と文には書いてあった。だからお前を嫁に選んだ」

 会った時にも少し聴いていた話ではある。
 しかし命令されたからと言って、陰陽師の力もない、耳も聴こえない桜を嫁にするなんて、なかなか度胸のある男だ。
しかし黒稜のことだから、結婚や女に興味がないのかもしれない。

「帝は夢見の力を持つ陰陽師だ。何か意図があるのだろう」
(そう、なんだ…)

 あやかしを祓うことの出来る陰陽師も多くはないが、夢見や星見で先を視たりすることのできる陰陽師はもっと少ないと聴く。
 この国を統べる者が稀有な能力を持っていることは、名家である北白河家の人間も知らないことだった。

(私が旦那様の元に嫁いだことに、何の意味があるんだろう…)

 更なる疑問が増えてしまったが、こればかりは桜と黒稜にも分からないことだった。