1
「アキ先輩、やっぱ凄いッス」
「褒めても何も出ねーよ」
「アキ先輩は、オレの憧れです」
「やめろって。照れんだろ」
「アキ先輩、好きです!」
「だから……へ?」
後輩のいつになく真剣な瞳が、俺をじっと見つめていた。
俺は檜山秋人。17歳。高校3年生。皆からはアキと呼ばれることが多い。
平均的な顔立ち。平均的な身長。頭脳も平均的。陽キャでも陰キャでもない所謂「中キャ」。どこにでもいる、ごく平凡な高校生だ。
こんな俺だが、一応今は演劇部の部長なんぞをやっている。
別に俺が部長に適しているからとかではなく、単に面倒事を押し付けられただけ。昔から、頼まれると断れない性格が災いしてのことだ。
中学の頃から眼鏡愛用者だから、周囲からはしっかりしていそうに見えるのかもしれない。だからといってコンタクトを考えたことはない。面倒そうだし目に異物を入れるなんて俺には考えられない。
まぁ、でもそれもあと少しの期間だ。
ひと月後に控えている学祭の公演が終われば、俺も受験に向け引退となる。
で、そんな俺に今真剣な眼差しを向けているのは後輩の千蒼。鷹野千蒼。
今年の春にこの演劇部に入ってきた一年生だ。
千蒼は可愛い。
甘いマスク、というのだろうか。
千蒼が入部してきたとき女子たちが皆可愛いとキャーキャー騒いでいたから、誰から見ても間違いなく千蒼は可愛いのだと思う。
ただ唯一、身長だけは可愛くない。
確か183cmあるとか言っていたはずだ。面と向かって話すとき少しだけ見上げなくてはならない。そこだけちょっと気に食わない。
演技もなかなかだ。声も良く通るし、背もあり顔も良いから舞台に立つと映えるし華がある。なんでも幼い頃親のすすめで劇団に入っていたらしく、それでかと納得したが本人は黒歴史だと笑っていた。
そんな可愛い後輩が、なぜか俺に懐いてくれて(この言い方が一番しっくりくる)正直悪い気はしていなかった。
「オレ、部活紹介で先輩の演技見て入部しようって決めたんです」
そんなことを言われる度にムズ痒いながらもまんざらでもなく思っていたのだけれど――。
「アキ先輩、好きです!」
それは、俺が狭くて蒸し暑い部室でひとり学祭公演用の台本を推敲している最中だった。
最初はまたいつものお世辞の類だと思った。
なのに顔を上げれば見たこともない真剣な瞳があって、そこにいつもの笑顔はなくて、俺は思わず間の抜けた声を上げてしまった。
少し赤くなった顔で千蒼は続ける。
「だからオレ、学祭公演めちゃくちゃ頑張りますんで!」
「お、おう……?」
「じゃあオレ、発声練習してきます!」
言うなり、千蒼は俺に背を向けバタバタと部室を出て行ってしまった。
「……え?」
またひとりになった俺は、もう一度そんな気の抜けた声を上げたのだった。
***
「アキ先輩はもう役者はやらないんですか?」
千蒼からそう訊かれたことがある。
「あぁ。役者より台本書いてる方が楽しいしな」
これは本心だ。
俺も最初は演じることが好きで演劇部に入った。
けれど、最近は台本を書く方が断然楽しい。元々物語を考えることは好きだった。
俺の書いた物語を、登場人物を、誰かが演じてくれる。この喜びを知ってしまったら役者は二の次になった。
すると千蒼はしゅんと眉をハの字にした。
「残念です。オレ、先輩と共演したくて演劇部入ったのに」
「っ、またお前は……」
コイツはいつもいつも、こちらが思わず照れてしまう台詞をサラッと言ってのけるのだ。
「だって本当のことですし」
そうして千蒼は珍しく不機嫌そうに口を尖らせた。
そんな仕草も可愛いと思えてしまうのだから、顔が良いって得だなぁなんて考えていたのがついこの間のこと。
(まさか告られるなんてなぁ)
自室のベッドで仰向けになって昼間見た赤く染まった後輩の顔を思い出す。
生まれてこの方彼女もいたことないのに、男から告白されるなんてまさかのまさか。
“青天の霹靂”とは、こういうときに使う言葉なのだろう。
――アイツ、男が好きだったのか?
だからモテそうなのに彼女いなかったのか?
や、それともどっちも行ける系だろうか。
どちらにしても、なんで俺なんかを……?
「どうすりゃいいんだ。なぁ、どんくり~」
「なぁ~」
首を回しぼやくと、俺の椅子の上で丸くなっている愛猫の茶トラ“どんぐり”が面倒そうに相槌を打ってくれた。
……アイツのことは嫌いじゃない。
可愛い後輩だし懐かれていることは前から知っていたし、それを嬉しく思っていた。
好きか嫌いかと聞かれたら間違いなく「好き」だ。
というか、いつも穏やかにニコニコと笑っていて誰に対しても優しい千蒼のことを嫌いな奴なんているのだろうか。
千蒼のことを“天然人タラシ”だと部員の誰かが言っていたが、まさにその通りだと俺も思う。
だが、付き合うとなったら話は別で……。
――ん?
(別に付き合ってとは言われてねーな?)
ただ「好きです」と言われただけだ。
普通コクるなら「付き合ってください」とか続くはずだろう。
なのにアイツはただ「好きです」とだけ告げて逃げるように去ってしまった。
……俺の返事は聞かなくていいのか?
もしかして返事不要? 気持ちだけ伝えて満足ってやつなのか?
「わっからねぇ~。なぁ、どんぐり~」
「なぁ~」
2
アイツの真意はわからなくても次の日はやって来るし、部活動もある。
今日は完成した台本を皆に配る日だ。
それでなくとも俺にとっては結構緊張する日だというのに。
(ったく、なんでこのタイミングなんだよ)
心の中で愚痴りながら放課後ひとり印刷室で台本を刷っているときだ。
「アキ先輩!」
「っ!」
いきなり現れた千蒼に思いっきり肩がビクついてしまった。
千蒼はいつもの穏やかな笑みを浮かべこちらに近づいてくる。
「オレも手伝いますよ」
「あ、あぁ。頼む」
……大丈夫だっただろうか。
いつも通りに返答出来ていただろうか。顔が引きつっていなかっただろうか。全然自信がない。
そんな俺の動揺を知ってか知らずか、千蒼は手慣れた様子で印刷したての台本を纏めていく。
「楽しみだなぁ。先輩の新作。コメディでしたっけ」
「あぁ、一応な」
「オーディションいつやります?」
「早けりゃ明日?」
「明日か、役もらえるように頑張ろ」
……いつも通りの千蒼だ。
昨日のアレは夢だったのかと思うくらいに、普段通りの千蒼だった。
(そうか、いつも通りでいいのか)
そう思ったらこちらも少し緊張が解けて。
なら俺も、いつも通りでいこうと思った。
翌日、千蒼は部内のオーディションで見事主役を勝ち取った。
***
キツイ残暑も10月に入ればさすがに落ち着いて、最近朝晩は少し肌寒いくらいだ。
学祭が近くなり、演劇部の公演とクラスの出し物(コスプレ喫茶)の準備も重なって俺は目まぐるしい日々を送っていた。
――千蒼はあのまま何も言ってこない。
だから俺も以前と変わらず先輩として、部長として、ほかの仲間と同様に接していた。
忙しさに追われて、あの告白の衝撃が薄らいでいた頃だった。
「千蒼くん、好きです!」
昼休み、小道具の入ったダンボールを抱え体育館へと向かっていた俺はそんな甲高い声に思わず足を止めていた。
「良かったら、付き合ってください!」
体育館裏で、どうやら千蒼が告白されているらしい。
“ちひろ”という名の男はそういるものじゃない。
(なんだアイツ、やっぱモテんじゃん)
「……」
良くないと思いつつも俺は声のする方へと足を向けてしまっていた。
(いやだって、もし演劇部の子だったら色々とマズイし。部長としては一応確認しとかないとな)
そんなふうに自分に言い訳をしながらこっそりと覗くと、幸いそこにいたのは知らない女の子で。
千蒼がその子に向かって深く頭を下げていた。
「ごめん、今オレ他に好きな人がいて」
そんな困ったような声にドキリとして俺は身を隠した。
(それって……)
「誰ですか?」
女の子の泣きそうな声が続く。
そりゃそうだ。そんな振られ方をされたら誰だって気になるだろう。
(まさか、アイツ……)
「いや、それは言えないけど」
妙にハラハラとしていると、そんな千蒼の答えがすぐに聞こえてきてほっとする。
(てか、なんで俺が緊張してんだ)
しかし相手は引かなかった。
「じゃあ、どんな人ですか?」
「うーん……可愛い人、かな」
――は?
パチパチと目を瞬く。
(可愛い人、だって?)
それって、誰のことだ……?
3
(可愛い人、ねぇ)
どう考えても、俺のことじゃない。
俺は千蒼より2つも年上で、アイツは俺が憧れとか言っていた。
なのに「可愛い」は無い。
(ってことは、アイツもう他に好きな子が出来たってことか?)
確かにあれからずっと何もない。
アイツは毎日一生懸命稽古を頑張っていて、俺への態度も相変わらずで。
まるで、あの告白は無かったかのようだ。
(それとも、最初から俺の勘違いだった……?)
なんだか胸がモヤモヤした。
モヤモヤしていても、時間はいつも通りに過ぎていく。
いよいよ学祭が明日に迫った日、俺は千蒼の真意を最悪なかたちで知ることになる。
「ほんと千蒼の奴、あからさまだよな~」
(ん?)
音響の最終確認に、体育館の舞台袖から階段上にある音響部屋へ上ろうとしたときだ。
上階からそんな後輩たちのひそめた声が聞こえてきて、俺は耳を傾けた。
「役欲しさでよくあそこまで先輩アゲ出来るよな。逆に感心するっつーか」
「部長もチョロいよなぁ。てかあの台本もさ、主役、当て書きかってくらい千蒼だったよな」
「あー、それ俺も思ったわ」
……その間、俺は階段下でずっと息をひそめていた。いや、息が出来なかった。
今回音響担当のふたりは千蒼と同じ一年生で、この間のオーディションで役を取れなかったふたりだ。
オーディションは投票制だが最終決定権は部長の俺にある。
アイツが陰口を言われている事もショックだったけれど。
(確かに俺、チョロすぎじゃねーか)
恥ずかしくて、どうしようもなく顔が熱くて、俺は逃げるようにその場を去った。
***
「なぁ~」
「どんぐり……」
帰宅すると珍しくどんぐりが玄関まで出迎えてくれた。
コイツはいつもそうなのだ。普段は冷たいくせに、こういうときだけなぜか俺の気持ちを察したかのように妙に甘えてきてくれたりする。
足にスリスリとまとわりついて来るどんぐりを抱きかかえ、そのままぎゅうと抱きしめる。そして。
「すぅ〜〜」
ふわっふわのどんぐりの腹を思いっきり吸い込んだ。
うん。こういうときはやっぱり猫吸いに限る。
「よし、充電完了! ありがとな、どんぐり」
「なぁ」
一声鳴くと、任務完了とばかりにどんぐりは俺の手から飛び降りスタスタと居間の方へと行ってしまった。
それを苦笑しながら見送って、俺は小さく息を吐く。
ホント、こんなことで落ち込むなんて馬鹿みたいだ。
(アイツも紛らわしいんだよ。ったく)
好きです、なんてまるで告白みたいな言い方しやがって。
危うく勘違いしてしまうところだった。本当に危なかった。
だから、この胸の痛みもきっとすぐに消えるはずだ。
明日はいよいよ本番。
この公演が終われば、俺の部長としての役目も終わる。
あんなふうに陰で言われてしまうほどダメな部長だったけれど……。
引退すれば部活に顔を出すこともない。千蒼と会うこともほとんどなくなるだろう。
だから明日まで、もう少しだけ部長として踏ん張ろうと思った。
4
皆の頑張りのおかげで学祭公演は無事大成功を収めた。
たくさんの人が観に来てくれて、たくさんの笑顔と拍手をもらうことが出来た。
俺の理想通り、いやそれ以上の舞台だった。
最後に、こんなに最高の公演が出来て俺は大満足だった。
それに。
「よーアキ、久しぶりだな」
「久保先輩! 今日は本当にありがとうございます」
OBの先輩も観に来てくれたのだ。
体育館脇で俺が頭を下げると、久保先輩は以前と変わらない人好きのする笑顔をくれた。
久保先輩はこの演劇部の元部長で、俺がめちゃくちゃ世話になった人だ。
面倒を押し付けられるかたちで部長になった俺とは違い、久保先輩は誰もが認める“部長”だった。
陽キャで皆をまとめる力があり、演技もとても上手かった。
そんな先輩は今大学で演劇サークルに入っていると聞いている。
「やー面白かった。台本書いたのお前だろ?」
「は、はい」
「さっすがアキ。俺が認めただけあるな」
そうして久保先輩は悪戯っぽく笑った。
そう、俺が台本を書き始めたのは久保先輩のお蔭だったりする。
俺がいつか台本を書いてみたいと言うと「いーじゃん、なら今すぐ書いてみろよ」と先輩が背中を押してくれたのだ。
お蔭で俺は台本を書く楽しさを知ることが出来た。
「キャスティングも良かったし。まぁ、俺的にはアキの演技もまた観たかったけどなぁ。お前なら役者も兼ねられただろ」
「そんな」
「ま、そこがお前らしいけどな。いやでもほんと、いい舞台だった」
ぽんと肩を叩かれて、顔が熱くなった。
……やべぇ嬉しい。
やっぱり先輩の言葉は違う。
「ありがとうございます。部長にそう言ってもらえるとホント嬉しいです」
「今の部長はお前だろ。……ってそっか、お前ももう引退なのか」
そして久保先輩は笑顔で続けた。
「3年間お疲れさん」
色々とあったけれど、忙しかったこの日々が、この3年間が、久保先輩のこの言葉で全部報われた気がした。
***
「アキ先輩。ちょっといいですか?」
学祭も無事終了し、粗方片づけを終え最後に部室を出ようとしたときだった。
がらりとドアを開けひとり戻ってきたのは、なんだか少し怖い顔をした千蒼だった。
窓の外が綺麗に夕焼けしているから、その影のせいでそう見えるのかもしれない。
ふたりきりはまだ少々気まずいけれど、千蒼は何も悪くないのだ。
俺が勝手に馬鹿な勘違いをして……いや、勘違いしそうになっただけなのだから。
「なんだ? この後クラスの方の片づけがあるから手短にな」
「オレ、ずっと待ってんですけど」
待ってる? 頭に疑問符が過ぎる。
千蒼と何か約束をしていただろうか?
……あ、そういえば、前に俺の持っている漫画を貸すとかそんな話をしていた気がしてきた。
「あー、悪い。漫画だよな、今度持ってきて」
「違いますよ! 先輩の答えをです!」
「答え?」
俺が眉を寄せると、千蒼はむっとした顔をした。
「オレ、この間先輩に好きって言いましたよね。その答えですよ!」
「え……?」
思わずぽかんと口が開いてしまった。
「え、じゃないですよ! ずっと待ってたのに。振るならスパっと振っちゃってくださいよ! 今この宙ぶらりんの状態がオレ、一番辛いです!」
くしゃりと千蒼の整った顔が歪む。
(ちょっと、待ってくれ)
そう言おうとして、しかし勢い付いたように千蒼は続けた。
「アキ先輩は久保先輩のことが好きなんですか? なんなんですか、あの態度。俺とは全然違うじゃないですか!」
は? なんで今、久保先輩の名前が出てくるんだ?
というか、久保先輩と俺が話してるとこ見てたのかよ。
そうツッコミたくても千蒼の勢いに圧され何も言えずにいると、びしっと指を差された。
「てか先輩なんでメイド服なんですか! 目に毒なんですけど!?」
「こ、これは、クラスの出し物で着替えてる暇がなくて、これから戻って着替えるつもりで」
なんだよ「目に毒」って、そこまで言わなくてもいいだろう。
俺だって着たくて着ているわけじゃない。女子連中に「絶対に似合うから」とか言われてほぼ無理やりに着させられたのだ。
――いや、そうじゃなくて。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「だからもうずっと待ってるじゃないですか! あれからひと月以上ですよ。このまま曖昧にして逃げるつもりですか!?」
「逃げるって、そうじゃなくて……」
だって、俺の勘違いだったんじゃないのか。
千蒼は役が欲しかっただけで、チョロい俺はそれを勝手に好意と勘違いして。
「え、お前、本当に俺のこと好きなの……か?」
尻すぼみになりながら訊くと、千蒼はぴくっと眉を上げ聞いたことのない低い声を出した。
「そう言いましたよね、オレ。聞いてなかったんですか?」
「や、聞いたけど、……だって、本気だなんて思わないだろう、普通」
思わずそんな嘘を吐いてしまった。
この一ヶ月しっかり悩んでいたくせに。
ずっとモヤモヤしていたくせに。
胸が、痛かったくせに。
(じゃあ、千蒼は本当に俺のことを……?)
じわりと頬に熱を感じた、そのときだった。
ぐいと強く腕を引かれたかと思うと、千蒼の長いまつ毛が眼鏡のレンズ越しに目の前にあった。
(――え?)
ちゅっ、と音を立ててそれは離れていって。
「これで、本気だってわかってくれました?」
俺の顔を覗き込むようにして千蒼が言う。
……なんだ、今の。
唇に残るリアルな感触。
これは、キス?
(いま俺、千蒼とキスを……?)
そう理解した途端、カーっとどうしようもなく顔が熱くなった。先ほどの比ではない。
手で口元を隠しても、それは誤魔化しようがないほどの熱で。
「おまっ、バっ、な、なに、キス、なんか」
頭にある言葉が、うまく口から出てきてくれない。
俺がこんなに熱いのに、なぜか千蒼はスンっと冷めたような顔をしていて。
「は? なんですか、その可愛い反応」
「だ、誰が可愛いって」
「先輩がですよ。アキ先輩が可愛いって言ってんです」
俺が、可愛い?
何言ってんだ。俺はこれっぽっちも可愛くなんてない。
可愛いのは俺じゃなくて、お前の方だろう?
「そんな可愛い顔されたら、オレ期待しちゃいますよ」
言うなり再び伸びてきた手にあっという間に眼鏡を外され、驚いた俺の顔を両手で挟みこんで千蒼はもう一度唇を合わせてきた。
「んーーっ!?」
あまりに強引なそれに抵抗するが千蒼の身体はびくともしない。
後ろに逃げようにも、すぐ背後には小道具入りダンボールがいくつも積まれた机があって叶わず、喉から抗議の声を出すので精一杯だった。
しかしその声も、口の中にぬるりと千蒼の舌が入ってきたことに驚いて続けられなくなる。
「ん、ふ……っ」
なんだこれ、なんだこれ……!
これが所謂ベロチュー、ディープキスってやつなのか?
千蒼が俺の両耳を塞いでいるせいでピチャピチャという卑猥な音が直接頭に響いてきて気が変になりそうだ。
からだが熱くて、熱くてたまらない。
「はっ、……ぁ?」
どのくらいの時間そうしていたのか唇が離れた時には格好悪く全身の力が抜けてしまっていて、千蒼の支えがなければ立っていられなかった。
キスって、こんなに疲れるものだったのか……?
「はぁ、先輩ほんと可愛い。もっと早くこうしてれば良かった」
千蒼が俺のすぐ耳元でうっとりと笑う。
「ねぇ、アキ先輩。答え、聞かせて?」
「……俺、は……」
「うん?」
耳の後ろを大きな手のひらに撫でられてぞくりとする。
「ん、……わから、ない」
正直な今の気持ちを口にする。
千蒼が俺のことを本当に好きなのだと知って嬉しかった。
でも、こんなのは知らない。こんなキスは知らない。
ふぅと小さく息を吐いて、ようやくその手が離れていく。
「そっかぁ、わからないかぁ。まぁ、いいですよ。こんなに可愛い先輩が見れたし、今回はそれで許してあげます」
これは、誰だ?
こんな千蒼は知らない。
こんなふうに笑う千蒼を、俺は知らない。
「オレ、もっとグズグズに可愛くなった先輩が見たいし、これからもっと頑張りますね」
いや、頑張るって何をだ。
なんだ、グズグズに可愛くなった俺って。
なんか、怖い……。
「だから、覚悟しててくださいね。アキ先輩♡」
コテンとあざとく首を傾けた後輩を前に、ぶるっと震えが走る。
誰だ、こいつを可愛いなんて言った奴は。
誰だ、こいつを天然人タラシなんて言った奴は。
(全っ然、可愛くなんてない!)