季節は初夏。放課後になってもまだ、見上げれば突き抜けるように青い空がそこにある。こうも日が長いと、夕方でもはっきりと人影が見えるからいいよな。そう。はっきりと、見えてしまう。良くも悪くも……。
「なーにしてんだろ、あいつ」
 偶然帰り道で見つけた豊騎(あつき)の後ろ姿を、俺は追っていた。豊騎は高校入学時から深夜のコンビニでアルバイトをしているので、放課後になると仮眠を取るため爆速で帰宅する習慣がある。それなのに、こんなところで何をしているのか。
「そりゃデートじゃね?」
 一緒に帰宅路を歩いていた(ひなた)が、彼女に送るメッセージをポチポチ打ちながら言う。
 デート。豊騎が? 俺の母親のことはもう吹っ切ったのか。その隣で泉くんは「違うだろ」と呟く。うん。俺も泉くんと同意見だ。
 きっとたまたまこの辺に用事があったんだろう。そう決めつけていた俺だったが、次の瞬間、予想外のものを見てしまった。
 駅の前にある広場で、こちらに向かって手を振る40代くらいの女性。その人は、豊騎の前まで走っていく。そしてなんと、豊騎も笑顔でその女性に挨拶していたのだ。
「何、誰!?」
 思わず隣にいた陽にしがみついて問い詰めてしまった。陽は「や、俺に聞かれても」と苦笑している。
伊佐敷(いさしき)のお母さんとか、か?」
「いや……あいつの母親、だいぶ前に亡くなってるって言ってた」
 去年、豊騎から聞いた話だ。1人暮らしをしている理由も、そのことが関係している。実の父親からは認知されておらず、母親が亡くなりその後はしばらく親戚の家にいたそうだ。うちの母親が毎日あいつの分の飯まで用意するのは、そんな豊騎の家庭事情に同情したから、というのも大きい。
「そうだったのか」
 豊騎の家庭事情を知って、なんとなくしんみりとする泉くんと、俺。
「じゃあ、あの人誰なのー?」
 不思議そうに陽が首を傾げた。俺もそれが知りたい。気になった俺たちは、悪いと思いつつ豊騎と女性の後をつけることにした。
 どうやら駅前で事前に待ち合わせの約束をしていたらしき豊騎と例の女性。二言三言話してから、やがて駅の中へと入っていく。慌てて俺たち3人も彼らに続いてホームの中へ入った。
「げ、逆方向じゃん」
 豊騎たちの向かった先を見て、陽が呻く。陽の家は豊騎が乗ろうとしている電車とは逆方面に最寄り駅があるのだ。「陽だけ帰るか」と言うと、陽は駄々をこねるように「やだやだあ、仲間外れにしないでえ~」と言って何故か泉くんにしがみつく。
「おいひなっ、抱き着いてくんな!」
「ん? んん~? とっしーさては筋トレしてんな、大胸筋が立派だあ」
「……自分、マジでやめえやッ……!」
 泉くんは陽にペタペタと胸を触られて、耳まで真っ赤になった。彼は俺の中で「友達の中でも怒らすと怖そうランキング1位」だったので、おや? と意外に思う。普段の様子を見ているとそこまでこの2人は仲良くない。むしろ、俺と陽に比べれば距離があるくらいだ。でもこうして見ると、2人はやっぱり幼馴染なんだなあ。
 ほっこりとした気持ちで2人を眺めていたので、危うく豊騎を見失うところだった。
 豊騎と女性が乗り込んだ電車に、俺たちも乗り込む。同じ車内の、少し離れた場所から豊騎たちを観察した。彼らの会話まではよく聞こえなかったものの、豊騎の表情はよく見えた。
「豊騎が笑ってる、だと……?」
 驚きのあまり、俺はあんぐりと口を開けた。確実に、あの女性と豊騎は初対面ではない。豊騎の女性に対する数々の塩対応を見てきたので、そう直感する。でも、俺はあの人を知らない。そのことが、少し胸をチクりと痛ませた。豊騎は所かまわず威嚇しまくってる野良猫みたいなやつだけど、俺にだけは家庭の事情とか、言いづらいことも話してくれているとばかり思っていた。ただ、俺がそう思い込みたかっただけ、だったのかな。
 俺がしゅんと落ち込んでいるうちに、電車は2つ分の駅を通過する。急行電車だからか。俺と豊騎の家は、学校のある駅から電車だと1つ隣の駅にある。どこまで行くんだろう。そう思っていると、電車がまた別の駅に停車する。そして豊騎たちもホームへと下りていった。走って彼らを追いかける。
「なあ、この辺って何があったっけ」
 学校より5つ離れた駅から通学している泉くんに尋ねると、泉くんは顔を顰めた。
「……住宅街くらいしかなかったと思う。スーパーとコンビニはあるかもな」
「ええ……?」
 本当にあの2人はどこへ向かっているというんだ。不安になりながらも追いかけ続けると、ようやく目的地にたどり着いたらしい。豊騎と女性の足取りが止まった。俺たちはサッと電柱の影に隠れて、2人の行き先を見つめた。だけど、ここには特に目ぼしい店は何もない。何の変哲もない、ただの住宅地が広がるだけだった。
「あー、おうちデートかあ」
 そんな陽の呟きが聞こえたと同時に、豊騎と女性がある一軒家の中へと入っていくのが見えた。
 おいおい、待て待て待て!
「それはライン超えてるんじゃないかなあ!?」
 俺はいてもたってもいられず、豊騎の目の前に飛び出し、叫んだ。叫んでみてから、周りが住宅地だったことを思い出した。静かな街に、俺の声がさぞかし響き渡ったことだろう。今になって恥ずかしくなってきた。後ろからは「うわ、想ちゃんだいたーん」と緊張感のない陽の声が聞こえてくる。
「想? こんなとこで何してんだ」
 女性の家に入りかけていた豊騎は驚いたのか、珍しくぽかんと口を開けて、間の抜けた顔をしていた。例の女性は家の中から不思議そうに俺たちを見つめている。うう、気まずい。なんだか俺のほうが間男のような気分だ。
「久美子……俺の母親じゃなくて、この人が豊騎の本命ならそれでもいいよ。不倫でさえなければ俺は止めない! でもさあっ、親友の俺にはひとことくらい相談してくれてもよかったんじゃねえの!?」
「何の話?」
「え?」
「いや、こっちが聞いてんだけど」
 俺と豊騎は、お互いに混乱して聞き返した。
 何、この状況。
 いったん話を整理しよう。俺はおずおずと豊騎を見上げ、家の中にいる女性をてのひらで示した。
「え、え、この人、豊騎の彼女さん、なんでしょ?」
「違うわこのボケが!」
「コラッ、お友達になんて口きいてんの豊騎!!」
 豊騎のエセ関西弁ツッコミに被さって、雷のような激しい怒号が飛んだ。突然の大声に、俺と豊騎の身体がビクッと震える。ついでに豊騎の頭には鉄拳も飛んできた。「痛ッ」と豊騎が小さく呻く。
「ごめんなさいねえ、躾がなってなくて。わたくし豊騎の伯母(おば)伊佐敷志信(いさしきしのぶ)と申します」
 志信さん、と名乗る女性は、先ほどの怒鳴り声とは打って変わって、由緒正しいおうちの令嬢みたいな丁寧な挨拶をしてきた。
「え、お、伯母さん!?」
「そう。伯母さん」
 言われてみれば、目元とか少し豊騎に似ている気がしてきた。てっきりこの女性が豊騎の彼女だと思っていたので、安堵感にホッとため息を吐く。
「なーんだ。あっくんの親戚か」
「……こんにちは」
 後ろに隠れていた陽と泉くんも、豊騎の伯母さんという事実を聞き、ぞろぞろと家の前に現れる。
 急に男子高校生がこう何人も出てきたら不信感を抱かれても仕方なさそうなものだけど、志信さんは意外にも「豊騎、こんなにお友達出来たの。やるじゃない!」と言って笑っていた。懐の広い人だ。
「そうだ。これから焼肉を食べるんだけど、みんなもよかったら食べていって」
 志信さんのそんな提案に、陽と泉くんは「ええ~いいんすかあ!?」「ありがとうございます」と既に乗る気満々の返事をした。
「お前ら少しは遠慮しろよ……」
 豊騎は迷惑そうにぼやいていたものの、伯母である志信さんにはどうやら強く出られないらしい。渋々だったけど、俺たちを玄関に招き入れている。
「――それじゃっ、あっくんの伯母さんにカンパーイ」
「「「「カンパーイ」」」」
 カチン、と炭酸飲料が入ったグラスをぶつけ合う。テーブルに置かれたプレートの上で、焼かれている肉がジュウジュウと美味しそうな音を立てていた。志信さんはひとりだけビールの入ったグラスを勢いよく飲んでいる。
「……肉、多めに買ってきておいてよかったわ。まさか豊騎のお友達をこの家に招く日が来るなんてねえ」
 ビールを飲み干してから、志信さんはどこか遠くを見つめてしんみりと言った。後をつけている時から薄々感じてはいたが、豊騎とはだいぶ仲がいいようだ。豊騎が友達を作り、家にまでその友達らが押し掛けてきたことが彼女にとっては嬉しい出来事だったらしい。もしかしたら豊騎が以前世話になっていた親戚とは、志信さんのことだったのか。
「なあ豊騎、ひょっとして志信さんってお前の親がわりをしてくれてた人……?」
「ああ」
 なんでもないように豊騎は肉を食べながら頷く。おー、この人が。俺はなんだか感慨深くて、志信さんの顔をまじまじと眺めてしまった。すると視線に気づいた志信さんが、ニカッと白い歯を見せて笑いかけてきた。
「君が天辰(あまたつ)くんでしょ。豊騎がいつも世話になってるね。お母さんは元気?」
「え、あ、はい。元気です」
 なんで久美子の様子を聞くんだ、という疑問が頭に浮かんだけど、すぐにうちの母親が豊騎に飯を作ってることを知っているに違いない、ということに思い至る。
「あたしは豊騎の母親の姉なんだけどね。結婚も出産もする気がなかったから……あ、まあ今もないんだけど。だからこの子の母親が亡くなってからは豊騎の世話をするつもりでいたのよ。それなのにこいつってば、中学に上がったら『絶対ひとり暮らしする』って言って聞かなくて」
「あー……」
 その頃の豊騎があまりにも想像にたやすかったので、俺は豊騎を見てうんうんと頷いた。豊騎は不満そうだ。眉間に皺を寄せてひたすら肉を食うマシーンと化している。豊騎に食いつくされる前に、と俺もプレートの上にある肉を箸で掴み、食べる。うん、美味しい。かなり高級なお肉なんじゃないだろうか。この家も普通の一軒家にしては立派な作りだし、志信さんは経済的にまったく困っていなさそうだ。余計に、豊騎がひとり暮らしを強行した理由がわからなくなる。
「でも中学生でひとり暮らしって、かなりハードモードっすよね? 伯母さんよく許しましたねえ」
 陽は泉くんの取り皿に焼いた野菜をぽいぽいと放り込みながら、言う。泉くんは野菜が嫌いなので、口をへの字にして陽を睨んだ。
「いやいや、あたしもこの家から豊騎を出すつもりなかったよ。でもねー。『自分たちを捨てた父親を見返すんだ』って凄まれちゃって。生活費も自分で稼ぐって言い張るしで。こっちが折れたわけよ」
 中学生が出来るアルバイトといったら、新聞配達くらいしかない。ということは、豊騎は中学に通いながら早朝に新聞配達の仕事もしていたわけだ。伯母さんとの仲も良好なんだし、素直に厚意に甘えておけばよかったのに。そうしないところが、豊騎を豊騎たらしめてるんだろうけど。
「……そんな豊騎がこーんなにたくさんお友達を作ったなんてねえ。子供は勝手に育つっていうの、本当だったわ」
 しんみりと言った志信さんだったが、ゴクゴクとビールをおかわりするうちに、嫌なことまで思い出してきてしまったらしい。次第に「豊騎の父親はほんっとにクズなんだよ! ったくあのヤローがよお」と口調が荒々しいものになっていく。
「伯母さん、落ち着いて」
 泉くんが宥めるように言って、志信さんからグラスを取り上げようとした。が、酒が回ってきた志信さんは俺たちの予想以上に凶暴だった。「酒! 酒をよこせええ!」と陽や泉くんに掴みかかる。陽は半泣きで「ギブです、ギブです!」と叫んでから缶ビールを志信さんに献上していた。
「なんか、ようやくあの人がお前の親戚だって実感したなー」
 主に暴れるところを見て、だったけど。豊騎は「しのさん今日はテンションたけえなあ」なんてことを呟いていた。
 いや、お前に友達が出来たのが嬉しかったんじゃねえの。とは、言わずに心に仕舞っておいた。志信さんのために。