1
わたしは、14歳になった。
その頃になって、ようやくわたしの時間が、ゆっくりと流れ始めた。
わたしの転生した家は、伯爵家だった。わたしには、年の離れた兄がいた。
実は、その兄のうえに、もうひとり、さらに年の離れた兄がいたのだが、領地のなかにある魔物のいる森林に見廻りに行ったまま、行方不明になってしまった。10年も前のことで、早い時間のなかで生きていたわたしは、その一番上の兄のことは、ほとんど覚えていない。
長男がいなくなり、次男ながら後継ぎに座った兄は、わたしが生まれたときには、すでに家を離れ、王都の祖父母の家で、領主になるための初等教育を受けていた。正直、黒目女が、ああいっていたものの、実の兄として、兄貴が転生したのではないかと疑っていたが、会ってみると、容姿も性格も、兄貴とまるでちがっていた。
この家の兄は、兄上といわないと怒りだす、尊大で嫌な奴だった。今は初等教育を終え、王都にある魔法学院に通っており、来年卒業だそうだ。卒業後は、強力な火属性魔法を持つ武官として、王都に常駐することになるそうだ。
嫌味な奴で、母上やわたしのことを、女だからと、ひどくバカにしていた。
父上にはそんなところはないのに、誰に似たんだろう。召使や執事が陰に隠れて、そんなふうな悪口をいっていた。
わたしも、まったくもって同感だった。
父上は温厚なひとで、魔力が強く、やはり武官だったが、自分の領土近くの国境を守護する辺境伯に従っていた。兄上は、父上は王都での出世争いに破れたのだと、いまお金に余裕がないのは父上のせいだと、わたしの前で度々不平をもらし、父上のことも、内心バカにしているようだった。
父上は、国境の守備からときどき帰ってきて、わたしと遊んでくれたが、兄上は、王都から、めったに帰ってこなかった。母上に、田舎者にはなりたくない、こちらにいると、服装や言葉つかいがどんどん田舎者になってしまうと、愚痴をこぼしていたそうだ。
母上は、兄上にバカにされても、後継ぎだからか、特に怒ることもなく、わたしから見ると、ひどく甘やかし、もっと再々帰ってきてほしいと訴えていた。
わたしは、兄上が帰ってこないほうが、屋敷の雰囲気がよいので、いくらでも王都にいてほしいと願っていた。
わたしは、父上の領土内にある魔法訓練学校へ通っていた。
学校へ行っているあいだ、わたしは、兄貴を探すために、こんな性格の人は居ないか、と同級生に聞いてまわった。
けれど、1か月以上たっても、何の成果も上がらなかった。わたしの兄貴のイメージは、元の世界でのもので、こちらの世界にどんな容姿で転生し、成長したのか、かいもく見当もつかなかった。簡単に見つかるような具体的な情報が、まったく欠けている。それでも、兄貴の性格は、家族のなかでは、わたしが一番よく知っている。転生しても、あの性格が変わるはずがなかった。
兄貴の転生した場所は、すぐ近くになるということだった。
根気よく探すしかなかった。
わたしが、兄貴の情報を探し、学園内を歩きまわって、疲れて休んでいるときだった。
ふいに、声をかけられた。
「モリエール伯爵令嬢、なぜ、わたくしの兄上を探しているの?」
茶色いくるくると巻いた髪を両側にたらした、厚化粧の魔法訓練生が、腕組みをして、わたしの前に立っていた。
下を向いていたわたしは、あわてて顔を上げた。
「わたしにとって、大切な人を探しています。でも、あなたの兄上じゃない」
「何いってるの!? あなたが、校内の学生に聞いてまわっているのは、わたしの兄上そのものじゃない! 不器用で正義感が強くて、体力もあって、でも、威張ったりせず、優しい――」
「あなたの兄上に会ったことはありません。でも、わたしの探している人に似ているのかも……」
「どこで、兄上に会ったのかはしらないけど、兄上は、誰にでも優しいの! 勘違いしないことね!」
わたしは、立ち上がった。気持ちがぐんぐん上がってきた。
「あなたのお名前は? その兄上は、何歳なの?」
「――まあ! わたくしのことを知らないなんて! カーラですわ! カーラ・アトリー! いくら何でも、アトリー家のことは知ってるでしょ!?」
カーラ嬢は、両手の拳をにぎり、地団駄を踏んだ。
わたしは、思い出した。アトリー公爵家は、この王国ができた時から、存在していた名門中の名門貴族だ。
アトリー、シュワイツ、ブリューゲル、キューリー、アルターは、王国では、五大貴族とよばれていて、それぞれ、広大な領地と下級・中級貴族からできた巨大な派閥を持っている。
五大貴族には、国王とその一族であるウェルズ家も、手を出せない。
200年ほど前には、国王と五大貴族間の争いが起こり、結局、国王側が押されて、もっていた権力の一部を五大貴族に譲渡せざるを得なかったという。
わたしは、カーラ嬢の両肩をつかんだ。転生前の世界では、我がまま放題に育っていたから、この世界で育ったとはいえ、とっさに礼儀正しく敬語を使ったりはできなかった。
「カーラ・アトリー! 兄上の名前は? 年は?」
カーラは、身分の下の人間に肩をつかまれて狼狽し、あわてて答えた。
「ジャンよ! 年齢は19歳、顔にしわが多いから老けてみえるけど」
わたしが肩から手をはなすと、カーラは、勢いよく後ろに下がった。
「――とにかく、兄上に手を出したら、承知しないからね!!」
カーラ嬢は、逃げるように校舎の方に去っていった。
わたしは、追いかけようとしたが、思いとどまった。
アトリー公爵家は、強大な権力を持っている。その傍系の一族でも、あなどれない。
うちの隣の領主が、確か、アトリー家の母方の一族だったと思う。
隣の領内には、魔法を教える質の高い学校がない、というか、王国の南の辺境地域であるこの辺りには、まともな魔法学校は、ここだけだった。
うちの近隣の領主の親族が、大勢、この学校には通っている。入学のときに父上、母上から気をつけるようにいわれたばかりだった。
2
わたしは、カーラの兄について、密かに調べた。家にあった分厚い貴族台帳(王国の全貴族の主要な家族が載っている、統計魔法というので調べるらしく、毎年更新されている)をみると、確かにカーラには5歳上の兄がいて、魔法訓練校ではなく、騎士学校に通っているらしい。
カーラの兄のジャンの項目には、魔法属性が記載されておらず、空欄になっていた。騎士学校に通う貴族の子弟は、魔法が弱く、あまり使えない者が多い、というか、魔法を使えない貴族や、平民でも有力者の子弟が行くのが、騎士学校だった。
盲点だった。貴族は、血統的に魔法が使えるのが当たり前だと思っていたので、騎士学校のことを忘れていたのだった。
騎士学校は、魔法訓練校のすぐそば、実は、ほぼ裏側にあった。武闘術を教える教師などは、2校を掛け持ちしている者も多かった。
わたしは、魔法訓練の授業を抜け出し、騎士学校に、生徒の兄弟だといって、なんとか入り込んだ。
待合室に通されたが、カーラのふりをして、兄に会いに来たと、係の平民に告げると、すぐに呼んできてくれた。
「君、だれ?」
やってきた男性は、訊いてきた。
……兄貴だった。
わたしは、顔が真っ赤になった。
間違いなく兄貴だった。顔は、違う。体形も、やせ型だった兄貴と違い、首は太いし、足も太い。何より、腕の筋肉の盛り上がりが、前世の兄貴とは、まったく違っていた。
それでも、わかった。
このヒトは、わたしの兄貴だ。
こちらへ歩いてくるのを見ても、その後の、初対面の人間と会うときの仕草――首を小さくまわしたり、肩を微妙に上げ下げしたり、腕を組んだかと思えば、すぐに解いて、片手で肩をもんだり、もう一方の腕のひじの盛りあがった関節部分をつかんだり――を見ても、落ち着きのない動作のすべてが、前世の兄貴と同じだった。
「カーラのお兄様ですか?」
兄貴は、眉を寄せ、
「カーラの知り合い? カーラが来れなくて、替わりに来たの?」
わたしは、コクコクとうなずいた。
兄貴は、腕を組んだ。
「カーラにも、困ったもんだ。友達をこんなところまで来させるなんて……。身分が下だからといって、アゴでこきつかっていいわけじゃないんだが」
「いえ、わたしも、あなたに会いたかったので……」
「会いたかった? なぜ?」
転生したあなたの妹だからとはいえない。――おそらく、わたしと同じように、兄貴も前世の記憶を持っているはず。……私が前世での妹だとわかった途端、異性とはみなくなるに違いない……それだけは、絶対にイヤだ。
わたしは、必死に頭をしぼった。
「カーラがいつもあなたの事を褒めるので、興味を持ったのです――強く格好良い方だと聞いたものですから」
兄貴は、顔を赤くした。……こういうところは、変わっていない。
照れると、すぐ赤くなるのだ。
「あいつ、何を友達にいってるんだ。……会ってみて、がっかりしたろう。魔法が使えない上に老け顔で……」
「いえ。格好良いです。顔も老けてなんかいません! 頼りがいのある大人の顔です」
兄貴は、ますます顔を赤くした。
「いや、友達の兄だからといって、気をつかわなくていいんだ。老いて一線を退いた男の顔とか、よくいわれてるんだから……婦女子向けの顔じゃないのは、わかってる」
ああ、やっぱり兄貴だ。褒めれば褒めるほど、照れと極端な謙虚さから、おのれのことを悪くいう。
「ところで、カーラの用事というのは、何?」
わたしは、意を決した。
ここで、下手な嘘をついたら、兄貴がカーラと話したとき、わたしの嘘だとすぐバレてしまう。
カーラとは関係なく会わねばならなかった理由を告げて、わたしの事を嫌いにならないようにしないと……。
「――カーラに頼まれて来たのではないのです」
兄貴は真顔になった。眼を細めて、わたしの方をいぶかし気にみる。
「騎士としてのあなたに、頼みたいことがあるのです」
兄貴と初めて会ったとき、何を話すか? あらかじめ考えに考え、思いついたことを話した。
「カーラに頼まれたなんて、嘘をいってすいません」
兄貴は真剣な顔つきで、何もいわず、わたしをみている。わたしは、そういうときの兄貴の顔が大好きだった。
「いっしょに、領内のダンジョンに行ってほしいんです」
「ダンジョン? モリエール領にダンジョンがあるとは聞いていないが……」
「まだ、発表はされてません。調査が終わっていないので――」
「……まだ、魔法訓練の最中だろう? 充分に訓練してからでないと、ダンジョン攻略はあぶない」
兄貴は、わたしのことを心配してくれている。
この世界では、初対面なのに、嬉しかった。
「どうしても、手に入れたい物があるのです!」
兄貴は、じっとわたしをみたあと、溜め息をついた。
「どうしても、手に入れたい物とは?」
わたしは、息を大きく吸った。ここからが、正念場だった。
「亡くなった、一番上の兄上の遺品です!」
「君には、兄がいるの?」
「ふたり、います。そのうちの長兄が、10年前に亡くなっているのです」
長兄は、アルフといい、領土内の魔物が出没する森林を巡回中に、行方不明になったままだった。
3年以上たっても、遺体さえみつからず、魔物に殺され、食われてしまったのだろうと判断され、次兄であるいまの兄上が、後継ぎとなった。
いまの兄上の性格に問題があるのは、生まれてから途中まで、後継ぎとして育てられてこなかったという事もあるかもしれない。
長兄の亡くなったときは4歳で、速い時間の流れ(意識の上だけだが)のなかに居たわたしは、長兄のことは、ほとんど覚えていなかった。ただ、いまの兄上よりは優しかったような記憶が、おぼろげにある。
半年ほど前に、うちの領土内に新たなダンジョンが発見され、その入口近くの岩陰に、行方知らずだった長兄の荷物がみつかったのだ。連れていた馬の骨らしいものもみつかった。
状況から考えて、そこにかさばる荷物を置き、ダンジョンに入っていったようだった。
新しいダンジョンを発見したなら、すぐさま、領主へ届け出て、できるかぎりの調査を行い、王宮と冒険者ギルドに報告しなければならない。
長兄は、領主の長男だし、報告はあとまわしにして、なかに入って少し調べてみようとしたのだろう。
話に聞けば、長兄は剣も強く、火属性の攻撃魔法も操れる万能型のひとだったらしい。
成人して数年がたち、自らの能力に自信を持ち始めた頃じゃなかったか……驕りとまではいわないが、過剰な自信が、ダンジョンへ単独で入るという行動につながったのだと思う。
たいていのダンジョンは、入ってすぐの第一層には、たいした魔物はいない。
長兄は、入場してすぐの第一層の広さや、住んでいる魔物の種類ぐらい把握してから、報告しようと思ったのだろう。
――実は、最近、母の身体の調子が良くない。
長男が亡くなってから、次男を後継ぎにして、国防の備えで普段は領地にいない父に代わって、長年気を張って領地経営をしていたのが、こたえたようだった。
兄上が領地に戻ってこないことも、母上に負担をかけている。母上としては、国境の守りで苦労している父上にできない相談を兄上にしたかったようだが、兄上は、滅多に帰ってこない。残ったわたしは、まだ幼くて頼りにならない。
見た目以上に、心労が重なっていたようだった。
母上は、父上の前では弱音をはかないし、体調の悪い様子もみせない。それでも、毎日、母上と顔を会わせているわたしには、だんだんと元気がなくなってゆくのが、よくわかるのだ。
転生前の記憶の残っているわたしには、母上に対する気持ちは、複雑だ。転生前の母には純粋に肉親としての愛情があったが、この世界での生みの母に対しては、愛情と、天界から押し付けられた存在をよく世話してくれたな、という強い感謝の念を持っている。
わたしは、長兄の遺品をみつけだし、母上に長兄の亡くなった様子を伝えたかった。
この世界は、ダンジョンがあり、魔物のいる弱肉強食の厳しい世界だ。人の死は、日常にあふれている。それでも、親しいヒトの死んだ様子を知ることは、意味がある。
親しいヒトが、不意にいなくなり、命を失われたようなのに、どんな状況で亡くなったのか、何もわからない。思い描けるのは、いなくなる前の元気な姿だけ。そのヒトの死を受け入れる気持ちも覚悟も、持ちようがない。
ヒトの情報が切断され、連絡のとりようがない、どこかで生きているような気がするけれど、生きている可能性は少ない。生きているとも、死んでいるとも思えない。中途半端なそのヒトへの思いだけが、澱のようによどみ、溜まってゆく。
せめて、死んだ時の様子を詳しく知らせて、より悲しくさせるかもしれないけれど、深い悲しみの気持ちとともに、安心して冥福を祈らせてあげたい。
わたしは、どれだけ伝えられたか、わからないけれど、兄貴に、つたない言葉でそのことを伝えた。
兄貴は、黙って、わたしの言葉を聞いていた。兄貴の表情は動いていないけれど、真剣に聞いてくれているのは、わかった。真剣になると、兄貴は、ぎゅっとこぶしを握りしめるのだ。
「力を貸してもらえますか?」
わたしは、小さな声で訊いた。
兄貴は、黙ってうなずいてくれた。
わたしは、兄貴(ジャン・アトレー)に、妹のカーラには、黙っていてくれるように頼んだ。
絶対に邪魔してくると思ったからだった。
幸い、カーラと私では、魔法の属性が違い、同じクラスになることはなかった。
この魔法訓練校には、学年というものはなく、属性ごとのクラスに所属し、必要な科目を、定期試験、卒業試験に通るまで学んでゆくというものだった。だから、学校への在籍年数は、さまざまで、 3年程度で卒業する者もいれば、学費を気にする必要がない貴族の子弟が、だらだらと、6年~7年在籍している場合もあった。
確か、カーラは、もう 3年目に入るはずだった。親に決められた婚約者もいるようだし、もうすぐ卒業してしまうだろう。
それまで、なんとか隠し通そう。
この世界では、カーラは兄貴とは血のつながった兄弟だし、いずれは告げなければならないだろうが、それはわたしと兄貴がくっついた(きゃっ、恥ずかし!)あとでよい。
わたしは、兄貴と密かに連絡をとれるように、使い魔を呼び出し、兄貴の顔と魂の色を覚えさせた。
兄貴は、ダンジョンに潜る前に、私の戦闘力をみたいと、魔物が出る森林の入口で待ち合わせることになった。
