気づけば戦局はこちらの優位となっていた。先ほどの真均(まさひと)の一喝により、勇猛な東国武者らが団結し、鬼導丸(きどうまる)一体に狙いを定めている。

 弓矢が飛び交い、白刃が閃き、やがて鬼導丸は体中に細かな傷を負い、忌々しげに叫んだ。

「人間の分際で、上級鬼である俺に打ち勝とうと言うか。そのような不相応なこと、断じて」
「人間にはやられたくないってことね。じゃあお望み通りに」

 影雀(かげすずめ)が乱闘の合間を縫い風のような速さで鬼導丸に肉薄した。そして。

「うわ、汗臭い。不味そうだけどしょうがないわね」

 全ては呆気ないほど一瞬のことだった。青い大鬼の顎が外れんばかりに大きく開き、そして勢いよく閉ざされる。完全に意識外の場所から現れた大鬼に噛まれ、鬼導丸の首から血飛沫が舞った。

「やめろ、鬱陶しい。ただの大鬼風情が」

 鬼導丸の太い腕が影雀の頭部を打つ。だが、食らいついた牙はそう簡単には抜けない。真均が左手に刀を構え、丸太のように太い鬼導丸の腕に斬りかかる。もちろん、致命傷にはならない。だが、影雀への攻撃が緩んだ。

「今だ、斬りかかれ! 期を逃すな。勝てるぞ!」

 真均が鼓舞すると、武者らは雄叫びを上げ、弓を捨てて抜刀した。何十何百と他者を食らった大鬼といえど、多勢に無勢が過ぎれば抗う術はない。

「やめろ、やめろ! 鬱陶しい……このっ……」

 勝負は決した。誰の目にも明らかだ。

 人の波に呑まれて見えなくなった鬼導丸の絶叫を聞きながら、奈古女は自身の膝が今にも折れそうなほど震えていることに気づいた。とうとう力を失いその場にへたり込む。

 辺りには俗鬼がぱらぱらと佇んでいたが、戦う気のない者は放置され、人を食わんとする者は斬り伏せられた。

 やがて、大きな歓声が上がる。鬼導丸が武者に担がれて、巨大な鬼穴の方へと運ばれてきた。まだ息があるようで、低く呻いている。

「俺は、俺は、このようなところでは」
「うるさいわね。……うげ、まっず……」

 影雀が口元を拭い悪態を吐く。

「じゃ、そこに投げちゃって。後はあたしが鬼穴の中でたっぷりとお仕置きしてあげるから」
「待て、俺はただ、鬼のために、鬼の国を……」

 漆黒の沼に沈みながら、鬼導丸が叫ぶ。清高の姿をした真均の白い眉間に、憐れむような皺が寄ったが、すぐに表情が引き締まる。

「ふんっ」

 影雀は、鬼導丸の角の先を踏んで鬼穴に押し込んだ。それから、一息吐いて、高らかに宣言した。

「あー終わり。終わったわよ! ……ってあら、ちょっと奈古女。何をぼさっとしてんのよ」
「え?」

 突然の叱責に、奈古女は座り込んだまま青い大鬼を見上げた。

「あんたはまだ終わってないのよ。あたちが飛び込んだら、鬼穴を封じにかかって」
「わ、わかった……って、飛び込んだら?」
「さて、話がわかる鬼さんはあたしについてきなさい! 鬼導丸を食った上級鬼の命令よ!」

 奈古女の呟きには答えず、得意げに胸を張り指示を飛ばす影雀。俗鬼たちが顔を見合わせ、ぞろぞろと影雀に従い始めた。奈古女は這いずるようにして穴へと近寄った。

「待って、待って、影雀!」
「何よ。呑気に話してる時間はないのよ」

 影雀は振り返らず、俗鬼が鬼穴に飛び込むのを監視している。相変わらず膝が機能しない奈古女は無様な恰好で蛇のように地を這って、影雀の脚にしがみついた。

「でも待って。影雀は私を裏切らないって信じてた。やっぱり影雀は影雀だったわ。ねえ、ずっと一緒にいようって約束したでしょう? だからこれからも側にいて。あなたが鬼穴に行く必要なんて一つもない」
「奴の息の根を止めるまで、安心できないわ。弱ったあいつを鬼穴の底に捕らえて、皆で骨の髄まで食い尽くしてやる」
「影雀、どうしてそんな恐ろしいこと」
「あんたのことが誰よりも大切だからよ!」

 影雀が声を高くして、肩越しに振り返った。出会ってからずっと無貌の雀姿であった影雀。大鬼となり、初めて直視した影雀の瞳が、涙で濡れていた。

「恐ろしい? ひどい言い草ね。守ってあげたのに」

 奈古女は言葉を失い、ただ茫然と大鬼を見上げる。影雀は深呼吸をしてから心中を吐露した。

「あの山であんたの側から離れたのは、こうするのが一番だと思ったからよ。館に忍び込むなら内側から根回しが必要でしょうし」
「じゃあ、私たちが清高様の納屋に無事たどり着けたのは、影雀が騒ぎを起こしてくれたから?」
「そうよ。感謝しなさい」
「それならどうか、私に恩返しをさせて。そうだ、私が東国全ての鬼穴を塞ぐ。そうすれば、万が一鬼導丸が生き延びたとしても地上には出て来られない。だから、これ以上、自分を犠牲にするようなことは言わないで」
「全ての鬼穴を封じるなんて、不可能よ」
「できる。私なら、できる」

 奈古女は弱々しく痙攣する膝を拳で殴打して、両手を突いて辛うじて立ち上がる。それから、地に刺したままの神刀の代わりに空気を掴み、神楽を舞った。