「ふーん、青い俗鬼(ぞっき)から零れ落ちた精神の塊? そんなことあるんだねー。じゃあ本当は、奈古女(なこめ)様のことが嫌いなのー?」

 語り終えた途端、ふわふわとした言動ながら核心を突かれ、影雀(かげすずめ)は束の間言葉に詰まる。

 憎くない。憎いと思ってしまえば、奈古女の側で生きるという、ささやかな存在理由すら失ってしまうのだから、姉を妬んではならないのだ。

「話聞いてた? あたちは母さんにもちゃんと愛されていたのよ。そりゃあ、奈古女を羨まちいと思う気持ちはあるけど、憎くなんてない」
「そうなのー? おいらなら、ちょっと嫌だなー。だって、奈古女様は人間で、鬼を食べなくても強くなれるし、友達もできて、石を投げられることもないし、それで」
「あんた、何なのよ」

 悪意なく傷を抉るようなあくびの言葉に苛立ち、影雀は声を高くした。

「やっぱり話すんじゃなかった。早くどっか行きなさいよ!」
「うわわ! 嫌な気分になっちゃった? ごめんね影雀ー。おいら、やっぱり難しいことわかんない」

 心底悲しそうに眉尻を下げるあくびを見て、途端に自分が悪者になったかのような心地がした。影雀はいくらか語気を緩める。

「……別に、悪気がないことくらいわかってるわよ。でも、お願い、ひとりにちて」
「うん、わかったよー。ふわああああ。そろそろ寝ようかなー」

 相当眠たかったのだろう。言うなりあくびは樹皮に爪を引っかけ器用に地上へ下りて、夜の闇に消えて行った。

 あくびの気配が去ると、影雀は大きく息を吐く。そして、宙に向けて澄ました声で呼びかけた。

「で、さっきからそこにいるあんた。盗み聞きなんて悪趣味ね」
「ほう、気づいておったか」

 闇に沈む夜の森が、ゆらりと揺れた。薄雲がかかったかのように景色がたなびいて、やがて収斂し、二本角の大鬼(たいき)の姿へと変化する。

 大鬼は、案外理知的な顔で影雀の隣に腰かけると、馴れ馴れしい笑みを浮かべた。

「数奇な運命よのう。そして、死んだ鬼から零れ落ちた精神が地上に留まるとは。異形の鬼には、未知の能力が秘められているかもしれぬな」
「誰よあんた。でかいんだから同じ枝に乗らないでくれる? 折れたらどうすんのよ」
「折れたら飛べばよいではないか。雀なのだから」

 大鬼は姿勢を改めるつもりないらしい。身体を影雀の方へと少し寄せたと同時に、枝が悲鳴を上げるように軋んだが気に留めた様子はない。

「のう、おぬし、本当は憎いだろう。姉のことが」
「あんたに何がわかるの」
「わかるさ。同じ鬼だから。我は俗鬼から大鬼になった。人間かぶれの純鬼とは違う。おまえの気持ちがわかるのは、人間でも純鬼でもない。負の感情から生まれ落ちた我らの方だ」
「だからお友達になろうって、そういうこと?」
「我らに友という概念など存在せぬよ」

 大鬼は低く笑い、影雀に口を寄せる。ずらりと並んだ鋭い歯が近づくが、不思議と恐怖は覚えなかった。大鬼は、囁いた。

「鬼の世界を作りたくはないか」

 影雀は顔を上げ、大鬼の巨大な顔を見た。

「鬼の世界」
「そう。負の感情から生まれ、負の感情のままに生きざるを得ない鬼たちが、人から迫害されることなく、鬼の本能のまま生きられる場所。呑気で幸福そうな人間らを妬むこともなく、彼らと隔絶された土地で暮らす。我らの理想郷だ」
「……どうやって、鬼の世界を作るの」

 用心深い口調で問えば、興味を引けたことに気をよくした大鬼は口の端を持ち上げた。

「東に、鬼を狩る武者がいる。その棟梁館を、我らの長が占拠した。東国は元々、鬼の土地だったのだ。それを、人間らが侵略し、開墾しただけのこと。我らのものを奪い返して何が悪い」
鬼頭(きとう)の館ね」
「知っていたか」

 影雀は、微かに金色を帯びる大鬼の瞳をじっと見つめ、それから首を横に振った。

「いいえ、話に聞いたことはあるけど、詳しくはちらないわ。で、あんた、あたちに何をちて欲ちいの?」

 夜風が吹き、木々が騒めいた。流された雲が満月を隠し、山は漆黒の(とばり)に包まれた。