「早紀、彼氏できたでしょ?」

私が途中から話を右から左に受け流して聞いていると、それに対して全く気にも留めない様子で、由紀が聞いてきた。

「えっ、何そんな急に」

私がびっくりして答えると、由紀はやっぱそうかあ、とニヤついた。

「いや、ちょっと待って、彼氏いないよ」

私が落ち着いて、というように両手でストップ、の動きをしながら否定すると、由紀はニヤついた顔を一瞬で驚きの表情に変えた。

「え、うそでしょ?じゃあ好きな人は?」
 
私が黙っていると、早く見せてよ、と言って私の前に手を出した。写真を見せろ、ということらしい。私はしぶしぶスマホを取り出し、高橋くんから送られてきた写真を見せた。この一枚しか、私の手元に彼の写真はなかったから、恥ずかしかったけれどツーショットの写真を差し出すしかなかった。

見せて見せて、と言いながら写真を見た由紀は、パアッと明るい表情で「何これめっちゃいい写真じゃん!ていうか、めっちゃかっこいいね、この人!」と笑っている。由紀の顔は相変わらず変幻自在で、元々の可愛い顔に、さらに愛嬌の良さが加わるから、男子からもモテるし、女子のファンも多いのだろうな、と思って眺めていた。

「いいなあ、私も共学だったら良かったなあ」

由紀が通う銀星学園は全寮制の女子高だ。小学校、中学校と、男子たちからの小さなからかいが積み重なり、自分は絶対に女子高に行くんだと意気込んで、家を飛び出したのは由紀自身だった。

「自分で女子高が良いって言ってたじゃん」

「いや、まあそうなんだけどさ」

それはそれ、これはこれ、とよく意味の分からないことを言いながら、由紀は私にスマホを返した。

「で、なんで付き合わないの?」

「なんでって……。私が一方的に好きなだけだから」

「ふーん。告ったの?」

「え……、いや……」

私が口を噤んでいると、由紀は「どうなの?」と私の答えを待っている。

さっきまであんなにずっと矢継ぎ早に喋っていたのに、なんでこういう時だけ私の返事を待つのか、双子と言えど理解できなかった。

「男子と付き合ったこととかないし、告白されたことも、したこともないし。どうやったらいいのかわからないしそれに……」

「それに?」

由紀が間髪入れずに相槌を打つ。私は、ふう、と一息ついてから答えた。

「……学校の有名人なの。私じゃ全然、釣り合わない」

私はそう言って、フローズンコーヒーのカップを両手に握りしめて俯いた。王様を守る歩兵にはなれても、恋人同士になることが、想像できない。

「そうなんだー。なかなか難しいのね」

由紀は腕を組みながら、答えた。(まく)られた服の袖から見える細い腕が、高橋くんを思い出させる。

「まあ、早紀が決めることだからさ、別に私はどうなってもいいけど。イチかバチか、思いを伝えてみてもいいんじゃない?どうなってもさ、私は早紀の味方でいることにはかわりないし、どうなっても応援するよ?」

早紀が決めることだから、別に私はどうなってもいい。

今年の夏休み、県展の絵が全然進んでなくて、和くんに言われたことを思い出した。

『相馬がそれでいいなら、別に俺はいいけど』

その時は、冷たく突き放すような言葉に思えたけど、別に、だからと言って、和くんは私を避けることもしなかった。

どうなっても味方でいるし、どうなっても応援する。保育園の先生みたいに、「○○しないと○○できません」という前提条件を与えられている訳じゃない。

由紀の言葉に励まされて、私はフローズンコーヒーを机に置き、スマホを取り出した。

メッセージアプリを開き、高橋くんのトーク画面を選んで、ゆっくり文字を打つ。

『いま、何してますか?』

息を止めて送信ボタンを押したら、由紀が「偉すぎる!」と言って目の前で満面の笑みを浮かべながら拍手した。

「ていうか、告白は絶対直接だからね!」

「えっ?」

「え、じゃないよ。当たり前じゃん!礼儀でしょうよ!」

由紀は机を軽くパン、と叩いて私に言いつけた。

どうなってもいい、と言うのは結果であって、過程には条件が与えられるのか、と私は気づき、苦笑してしまった。結局条件付きじゃん。

「いや、由紀がどうなっても応援するっていうから、ダメだったら慰めて……」

ピロリン。

慰めてもらおうと思ったのに、と言おうとすると、スマホを着信音が鳴った。由紀が顎をくいっと前に差し出す。メッセージを開け、ということらしい。

私はドキドキしながら画面を見ると、高橋くんからの返信だった。

『市民運動公園にいます』

「いま市民運動公園にいるって……」

私が答えると、由紀は口の中に含んだカフェラテをごくん、と飲み込んで言った。

「市民運動公園?すぐそこじゃん!行ってきなよ!走ったら十分ちょいで着くよ!」

もうすっかり暗くなった窓の外を指差しながら、由紀は興奮気味に言った。

「いや、無理でしょ。どう考えても」

市民運動公園は、近いと言っても、徒歩で三十分くらいかかる。

「ほら早く!遅くなる前に行ってきなって!」

由紀に背中を押される。

「いや、でも……」

「ダメ元でもいいじゃん。なんかあったら、私がいるから!」

なんかあったら。

この四か月、たくさんの≪なんか≫をなんだかんだで耐えてきた。

もう、どうにでもなれ。

私はようやく腹を(くく)った。

「……うん。行ってくる!」

椅子の背に掛けたクリーム色のボアコートを急いで羽織り、鞄を手に取って、店の出口を後にした。

鞄につけた左馬のストラップが揺れて、チリンチリンと鈴の音が鳴る。背中からファイト、という由紀の声が聞こえた。