高橋くんと連絡先を交換してから一週間が経ったけれど、やり取りをしたのは初日の写真しかなかった。
なんかあったら、いつでも連絡してください、と言われたものの、どういうタイミングで何を連絡すればいいのかわからず、スマホの画面と睨めっこしていたら一時間が経っている日もあった。
何もなくても連絡したい、とあの時確かに私は言ったのに、結局何かメッセージを送ろうとして、やっぱり怖くなって消して、を繰り返すうちに、自分が一体何をしたいのかわからなくなって、スマホをベッドに放り投げる日が何度もあった。それなのに、一日に何度もスマホを見ては、高橋くんからメッセージが届いていないかを確認した。
着信音が鳴り、慌ててスマホを開いたとき、コンタクトレンズのクーポン案内だった時はほんとうに頭に来て、なんなの、と言いながら友達登録画面からブロックボタンを押した。文香にそのことを話すと「そんなに気になるなら、さっさと自分から連絡すればいいじゃん」と、昼ご飯を食べながら言われたけど、それができたら苦労しなかった。
実際、例えば「いま何してるの?」と伝えて、それに対する返答が来たときに、どう返事をすればわからない。「いい天気だね」「そうですね」の次に、何を喋ったらいいのかわからない。
パネル係をしていたとき、私たちは無言で作業する時間の方が圧倒的に長かった。パネル制作という一つの目的があったから、そのことで会話ができていたし、何より高橋くんは基本的にシャイで物静かな人だった。こちらが「うるさい」と言って止めてもお構いなしに延々と喋り続ける森本くんがいた時は、高橋くんはよく笑い、よくじゃれ合っていた。
あんなにウザかった森本くんが、こんなに重要な役目を果たしていたなんて……。
いつも適当にあしらって、ごめんね、森本くん。
体育祭が終わってから一度も会っていない将棋部の一年生に心の中でお詫びした。
そんな悶々とした気持ちを抱えて過ごしていると、終業式前日の二十二日の夜十時過ぎに、高橋くんからのメッセージが届いた。
『電話してもいいですか?』
私はドキドキする胸を手で上下に擦りながら、震える指で『はい』と返すと、すぐに既読マークがついた。
ポポポ、ポポポ……
着信音が鳴り、私はスマホを耳に当てた。
「こんばんは」
「あ、えっと、こんばんは」
かしこまった夜の挨拶を交わし、お互いしばらく無言になる。何か言わなくちゃ、と思って、私はから切り出した。
「えっと、どうしたの?」
考えてみると、男子と電話で会話するのは初めてだ。そう思うと途端に緊張が高まり、背筋がピンと伸びた。
「いま、羅生門を読んでるんですけど」
「羅生門?」
一年生の現代国語で習った、芥川龍之介の代表作。仕事をクビになった下人が、飢え死にするか盗人になって生き延びるかの究極の選択を迫られる物語。
「そう、羅生門。これ読んでて、なんか辛いなーって思ったんですよ」
高橋くんが突拍子もないことを淡々と話すので、私の背筋はゆっくりと緩んでいく。
「辛い?」
「うん、辛い。自分が生き延びるために手段を選ばないことが悪だとされるなら、なんか辛いなーって、思ったんですよね」
相変わらず淡々とした口調で高橋くんは続けた。私はどう答えたらいいのかわからず、ただ黙って聞いていた。
「……明日の終業式なんですけど、俺、国体の表彰があるらしいんですよ」
「え?」
「国体、ベスト8だけど、5位入賞ってことで、また全校集会で表彰受けるらしいんですね」
「うん」
「嫌だなーと」
静かに話す途中、カチカチッというシャープペンシルの芯を出しているような音が聞こえる。勉強中に、電話しているんだ。
「……ちなみに、私もその表彰式、出ることになったみたいなんだよね」
私はベッドの上に座ったまま答えた。
すると、高橋くんの「え?そうなんですか?」という返事が聞こえた。
「うん。昇降口に飾ってある絵が、県展で入選したから、その表彰を受けてくださいって、今日顧問の先生から声を掛けられて……」
「え、じゃあ、そこで会えますね。嬉しいっす」
さっきまでの声色と違い、電話越しに柔らかく笑う声が聞こえた。
「でも、嫌なんでしょう?」
私は今まで一度も表彰式に出たことはなく、いつも下からステージを見上げるだけだった。表彰式や壮行会を受けられる人たちが羨ましくて、一度でいいからステージに立つ側の人間になってみたいと願っていた。
それなのに、いざそれが現実になると、なかなか実感がわかない。
十二月中旬にあった、パークサイドホテルでの県展の表彰式も、授与される人が多すぎて、賞状を受け取るのもほんの一瞬、あっという間に終わってしまい、あっけないなと感じていた。
「国体、優勝できなかったし、ベスト8って中途半端な戦績だし、なんかまたごちゃごちゃ言われるの、嫌だなーって、ちょっと思ってます」
高橋くんは、また声のトーンを落として言った。
ほんとうは強い人なのに、なんだか今日はやけに弱々しい。
「高橋くん」
今こそ、パワーアップした私の出番だと思った。
「はい」
「大丈夫だよ。私も側にいるから、堂々としてて」
高橋くんの、一瞬ハッと息を飲んだ音がして、そしてすぐに返事が聞こえた。
「そうします」
なんかあったら、いつでも連絡してください、と言われたものの、どういうタイミングで何を連絡すればいいのかわからず、スマホの画面と睨めっこしていたら一時間が経っている日もあった。
何もなくても連絡したい、とあの時確かに私は言ったのに、結局何かメッセージを送ろうとして、やっぱり怖くなって消して、を繰り返すうちに、自分が一体何をしたいのかわからなくなって、スマホをベッドに放り投げる日が何度もあった。それなのに、一日に何度もスマホを見ては、高橋くんからメッセージが届いていないかを確認した。
着信音が鳴り、慌ててスマホを開いたとき、コンタクトレンズのクーポン案内だった時はほんとうに頭に来て、なんなの、と言いながら友達登録画面からブロックボタンを押した。文香にそのことを話すと「そんなに気になるなら、さっさと自分から連絡すればいいじゃん」と、昼ご飯を食べながら言われたけど、それができたら苦労しなかった。
実際、例えば「いま何してるの?」と伝えて、それに対する返答が来たときに、どう返事をすればわからない。「いい天気だね」「そうですね」の次に、何を喋ったらいいのかわからない。
パネル係をしていたとき、私たちは無言で作業する時間の方が圧倒的に長かった。パネル制作という一つの目的があったから、そのことで会話ができていたし、何より高橋くんは基本的にシャイで物静かな人だった。こちらが「うるさい」と言って止めてもお構いなしに延々と喋り続ける森本くんがいた時は、高橋くんはよく笑い、よくじゃれ合っていた。
あんなにウザかった森本くんが、こんなに重要な役目を果たしていたなんて……。
いつも適当にあしらって、ごめんね、森本くん。
体育祭が終わってから一度も会っていない将棋部の一年生に心の中でお詫びした。
そんな悶々とした気持ちを抱えて過ごしていると、終業式前日の二十二日の夜十時過ぎに、高橋くんからのメッセージが届いた。
『電話してもいいですか?』
私はドキドキする胸を手で上下に擦りながら、震える指で『はい』と返すと、すぐに既読マークがついた。
ポポポ、ポポポ……
着信音が鳴り、私はスマホを耳に当てた。
「こんばんは」
「あ、えっと、こんばんは」
かしこまった夜の挨拶を交わし、お互いしばらく無言になる。何か言わなくちゃ、と思って、私はから切り出した。
「えっと、どうしたの?」
考えてみると、男子と電話で会話するのは初めてだ。そう思うと途端に緊張が高まり、背筋がピンと伸びた。
「いま、羅生門を読んでるんですけど」
「羅生門?」
一年生の現代国語で習った、芥川龍之介の代表作。仕事をクビになった下人が、飢え死にするか盗人になって生き延びるかの究極の選択を迫られる物語。
「そう、羅生門。これ読んでて、なんか辛いなーって思ったんですよ」
高橋くんが突拍子もないことを淡々と話すので、私の背筋はゆっくりと緩んでいく。
「辛い?」
「うん、辛い。自分が生き延びるために手段を選ばないことが悪だとされるなら、なんか辛いなーって、思ったんですよね」
相変わらず淡々とした口調で高橋くんは続けた。私はどう答えたらいいのかわからず、ただ黙って聞いていた。
「……明日の終業式なんですけど、俺、国体の表彰があるらしいんですよ」
「え?」
「国体、ベスト8だけど、5位入賞ってことで、また全校集会で表彰受けるらしいんですね」
「うん」
「嫌だなーと」
静かに話す途中、カチカチッというシャープペンシルの芯を出しているような音が聞こえる。勉強中に、電話しているんだ。
「……ちなみに、私もその表彰式、出ることになったみたいなんだよね」
私はベッドの上に座ったまま答えた。
すると、高橋くんの「え?そうなんですか?」という返事が聞こえた。
「うん。昇降口に飾ってある絵が、県展で入選したから、その表彰を受けてくださいって、今日顧問の先生から声を掛けられて……」
「え、じゃあ、そこで会えますね。嬉しいっす」
さっきまでの声色と違い、電話越しに柔らかく笑う声が聞こえた。
「でも、嫌なんでしょう?」
私は今まで一度も表彰式に出たことはなく、いつも下からステージを見上げるだけだった。表彰式や壮行会を受けられる人たちが羨ましくて、一度でいいからステージに立つ側の人間になってみたいと願っていた。
それなのに、いざそれが現実になると、なかなか実感がわかない。
十二月中旬にあった、パークサイドホテルでの県展の表彰式も、授与される人が多すぎて、賞状を受け取るのもほんの一瞬、あっという間に終わってしまい、あっけないなと感じていた。
「国体、優勝できなかったし、ベスト8って中途半端な戦績だし、なんかまたごちゃごちゃ言われるの、嫌だなーって、ちょっと思ってます」
高橋くんは、また声のトーンを落として言った。
ほんとうは強い人なのに、なんだか今日はやけに弱々しい。
「高橋くん」
今こそ、パワーアップした私の出番だと思った。
「はい」
「大丈夫だよ。私も側にいるから、堂々としてて」
高橋くんの、一瞬ハッと息を飲んだ音がして、そしてすぐに返事が聞こえた。
「そうします」