今年初めての雪が降り、暖房の付いている教室でさえも体の芯から冷える日だった。
四時限目、担任が教科を担当する現代文の授業が終わると、相馬さん、と担任から呼び止められた。
「はい」
「滝波先生が職員室に来るようにって」
期末テストが終わったのにも関わらず、一度も部活に来ないことを問いただされるのだろう。
今回の呼び出しは、理由が明確にわかっているから、余計につらい。
「わかりました」
私は文香に事情を伝え、重い足取りで職員室に向かった。
「滝波先生、相馬です」
職員室に入り、滝波先生に声をかける。先生は私に気づくと「どうした、元気ないなあ」と呟いて、話を続けた。
「絵。県展から、戻ってきたぞ」
滝波先生の机の横に、私の絵が立てかけてある。絵の引き取りをすっかり忘れていた。
「あ、すみません。ありがとうございます。受取りに行ってくださって」
先生は、いいよいいよ、と手を振り、それより、と言って聞いてきた。
「せっかく入賞したわけだし、しばらく昇降口に飾らせてもらってもいいか?」
みんなに見てもらわないとだな、と言って視線を私の顔から絵に移し、もう一度私の顔に視線を戻す。
「そうだ、賞金はどうしたんだ?なんか良いものでも買ったか?」
「……いえ。親に全部、取られちゃいました。せっかく、成金になったと思ったんですけどね」
放課後、パネル係をしているとき、高橋くんといつも一緒に来ていた将棋部の森本くんが、『平凡な駒の歩兵が、敵陣に入るとパワーアップしてと金という強い駒になることが成金という言葉の由来』なのだと教えてくれた。
十万円という大金を手にして、成金になったと思ったのに。私の一か月の努力は、ギャンブルと同じく、結局は客ではなくてカジノ側が儲かる仕組みになっていたようだ。
「金に成らず、か。上手いこと言うな」
滝波先生は笑いながらそう言って、そうかそうか、と神妙な面持ちで呟きながら自分の膝をペシン、と叩いた。
「まあ、そんなこともあるわな。悔しいが、親から育ててもらっている以上、その家のルールに従わないといけないからね。社会に出てもそう。先生たちだって、この学校とか、文科省とか、教育委員会とか、いろんなところのルールに従わないといけないわけだ」
先生は俯いて床を見ながら「……ほんっとに腹立つことばっかだけどよ」とボヤき、顔を上げて「まあいいや、それは」と言った。
「しょうがないこともあるけども、だ。この絵は相馬さんが一生懸命描いたもので、県展で入賞したのも、間違いなく事実だ。違うか?」
「……そうです」
「それだけで、結構なことじゃないか。大したもんだよ。十月になっても、全然描き終わってないのに、『最初からやります』だなんて、正気か?と思ったけどね。間に合うのか心配だったけどさ。毎日、毎日、美術室に残って、頑張ってたじゃないか。正直、俺は美術部の顧問らしいことは全然していないし、絵のことはさっぱりわからん。この絵も上手いなあとは思うけども、だからと言ってどういう技術がーとか、そんなことを語れる知識もない。結城くんの絵だって、ものすごく上手だ。俺には到底描けん。けど、大事なのはそこじゃない。絵がうまいとか、賞を取ったとか、そういうことじゃないんだよ。わかるか?」
先生のゆったりとした口調が、私の喉の奥を詰まらせる。
「俺にとっては、相馬さんが一生懸命頑張って、向き合って取り組んでいることそのものが、尊いものだと思っていたよ」
力強くて優しい声が耳に心地よく響く。
ほんとうに、やめてほしい。
我慢してきた気持ちが、胸から眼球までせり上がり、下瞼に溜まった涙が溢れた。
「泣ーくーな!ほれ、泣くな、泣くな!」
滝波先生は笑いながら私にティッシュを差し出す。
周囲の先生たちの視線がチラチラと刺さって痛い。だけど、どうしても涙が止まらない。
毎日顔を合わせている両親よりも、ほとんど美術室に来ない幽霊顧問の先生の方が、私の一番欲しい言葉をくれる。
やっぱり、滝波先生は、講師になっても、先生だ。
「……先生、ありがとう、ございました」
鼻をズルズルと啜りながら、私は頭を下げた。
先生は「おう」と短く返事をして、「じゃ、昇降口に飾らせてもらうからな」と言って、私の絵を親指で指さした。
自分のことをちゃんと見てくれる人がいる。理解してくれる人がいる。それだけで、大げさかもしれないけれど、これからも何とか生きていけそう。
また、コツコツ頑張ろう、と思った。
たとえ金に成れなくても、一歩一歩、前に前に、進んでいこう、と思った。
四時限目、担任が教科を担当する現代文の授業が終わると、相馬さん、と担任から呼び止められた。
「はい」
「滝波先生が職員室に来るようにって」
期末テストが終わったのにも関わらず、一度も部活に来ないことを問いただされるのだろう。
今回の呼び出しは、理由が明確にわかっているから、余計につらい。
「わかりました」
私は文香に事情を伝え、重い足取りで職員室に向かった。
「滝波先生、相馬です」
職員室に入り、滝波先生に声をかける。先生は私に気づくと「どうした、元気ないなあ」と呟いて、話を続けた。
「絵。県展から、戻ってきたぞ」
滝波先生の机の横に、私の絵が立てかけてある。絵の引き取りをすっかり忘れていた。
「あ、すみません。ありがとうございます。受取りに行ってくださって」
先生は、いいよいいよ、と手を振り、それより、と言って聞いてきた。
「せっかく入賞したわけだし、しばらく昇降口に飾らせてもらってもいいか?」
みんなに見てもらわないとだな、と言って視線を私の顔から絵に移し、もう一度私の顔に視線を戻す。
「そうだ、賞金はどうしたんだ?なんか良いものでも買ったか?」
「……いえ。親に全部、取られちゃいました。せっかく、成金になったと思ったんですけどね」
放課後、パネル係をしているとき、高橋くんといつも一緒に来ていた将棋部の森本くんが、『平凡な駒の歩兵が、敵陣に入るとパワーアップしてと金という強い駒になることが成金という言葉の由来』なのだと教えてくれた。
十万円という大金を手にして、成金になったと思ったのに。私の一か月の努力は、ギャンブルと同じく、結局は客ではなくてカジノ側が儲かる仕組みになっていたようだ。
「金に成らず、か。上手いこと言うな」
滝波先生は笑いながらそう言って、そうかそうか、と神妙な面持ちで呟きながら自分の膝をペシン、と叩いた。
「まあ、そんなこともあるわな。悔しいが、親から育ててもらっている以上、その家のルールに従わないといけないからね。社会に出てもそう。先生たちだって、この学校とか、文科省とか、教育委員会とか、いろんなところのルールに従わないといけないわけだ」
先生は俯いて床を見ながら「……ほんっとに腹立つことばっかだけどよ」とボヤき、顔を上げて「まあいいや、それは」と言った。
「しょうがないこともあるけども、だ。この絵は相馬さんが一生懸命描いたもので、県展で入賞したのも、間違いなく事実だ。違うか?」
「……そうです」
「それだけで、結構なことじゃないか。大したもんだよ。十月になっても、全然描き終わってないのに、『最初からやります』だなんて、正気か?と思ったけどね。間に合うのか心配だったけどさ。毎日、毎日、美術室に残って、頑張ってたじゃないか。正直、俺は美術部の顧問らしいことは全然していないし、絵のことはさっぱりわからん。この絵も上手いなあとは思うけども、だからと言ってどういう技術がーとか、そんなことを語れる知識もない。結城くんの絵だって、ものすごく上手だ。俺には到底描けん。けど、大事なのはそこじゃない。絵がうまいとか、賞を取ったとか、そういうことじゃないんだよ。わかるか?」
先生のゆったりとした口調が、私の喉の奥を詰まらせる。
「俺にとっては、相馬さんが一生懸命頑張って、向き合って取り組んでいることそのものが、尊いものだと思っていたよ」
力強くて優しい声が耳に心地よく響く。
ほんとうに、やめてほしい。
我慢してきた気持ちが、胸から眼球までせり上がり、下瞼に溜まった涙が溢れた。
「泣ーくーな!ほれ、泣くな、泣くな!」
滝波先生は笑いながら私にティッシュを差し出す。
周囲の先生たちの視線がチラチラと刺さって痛い。だけど、どうしても涙が止まらない。
毎日顔を合わせている両親よりも、ほとんど美術室に来ない幽霊顧問の先生の方が、私の一番欲しい言葉をくれる。
やっぱり、滝波先生は、講師になっても、先生だ。
「……先生、ありがとう、ございました」
鼻をズルズルと啜りながら、私は頭を下げた。
先生は「おう」と短く返事をして、「じゃ、昇降口に飾らせてもらうからな」と言って、私の絵を親指で指さした。
自分のことをちゃんと見てくれる人がいる。理解してくれる人がいる。それだけで、大げさかもしれないけれど、これからも何とか生きていけそう。
また、コツコツ頑張ろう、と思った。
たとえ金に成れなくても、一歩一歩、前に前に、進んでいこう、と思った。