「ただいまー」
 
玄関のドアを開け、廊下を進んで扉を開けると、お母さんがキッチンで料理をしている。

「あ、おかえり。テスト、どうだった?」
 
お母さんが一瞬こちらをちらりと見て、再びフライパンに目をやりながら聞いてきた。

「今回は大丈夫と思う」
 
私は短く返す。前回の中間テストは学年で下から五十位に入り、苦手な英語は初めて四十点という赤点ギリギリの点数を取ったことで、担任から親に連絡が入っていたのだ。
 
さすがにどうにかしなきゃ、と思い、県展が終わってからというもの、美術部としての活動を自主休止し、ほぼ毎日、放課後は図書室に残って勉強の遅れを取り戻すことに専念した。
 
図書室には、たびたび田代くんが調べ物か何かのために来ていて気まずかったけれど、一か月間も勉強を放棄して絵を描いた代償として、次は勉強に向き合わねば、と思い、気にしている暇はなかった。
 
一人、図書室で勉強しながらも、高橋くんのことがふとした瞬間に頭をもたげた。

連絡先を交換していなかったから、話しかける手段もない。一年七組にいることは知っていたけれど、二階の二年生のエリアから三階の一年生のエリアに行く用事もなかったし、移動教室ですれ違うことも、通学路や昇降口で見かけることすらもなく、最後に会った日からちょうど二か月が経っていた。
 
高橋くんだって、毎朝早起きして、毎日欠かさず練習しているのだから、私だって頑張らなきゃ。彼の頑張りに自分を鼓舞するも、どうしても早起きは二日で挫折し、毎日欠かさず勉強するのもつらくて続けられそうになかった。
 
自分の出来る範囲で、最大限頑張ろう。やらないよりはましだ、と良いように気持ちを切り替えつつ、できる限り、勉強に励んだ。

「そう、よかった。心配していたのよ」
 
そう言うと、お母さんは左手を胸に当ててホッとしたような声で言った。

「うん。ごめんね、中間テストは。それでさ、話があるんだけど」
 
私はお母さんの隣に立ち、県展の入選の報告をし始めようとすると、「ちょっと待って、あとにして。先に、制服、着替えてきてからにして」と制された。

「……うん、わかった」
 
私は踵を返して、自分の部屋に向かった。セーラー服のリボンをほどき、ハンガーにかける。姿見に映る自分に、はあ、と一つため息をついた。肩がしゅん、と小さくなった。 


 
お風呂から上がると、会社から帰って来ていたお父さんが晩ご飯を食べていた。

「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」
 
私は冷蔵庫の中からプリンを取り出して、ソファーに座ってテレビをつけた。今日、帰り際にコンビニに寄って、文香が入選祝いに買ってくれたのだ。賞金が入ったら倍返しね、と言うので、今日はありがたくお祝いとして受け取った。

「なんか、旨そうなもの食べてるな。お父さんのは?」
 
おかずをつまみにビールを飲みながら、お父さんが聞いてきた。

「ないよ、私のしか」
 
そう答えると、お父さんは不満そうに「なんだよ」と言ってビールを一口飲んだ。それを見たお母さんが「そうよ、ついでに私たちの分も買ってきてくれてもいいのに」と付け加えて、ねえ、とお父さんに同意を求めた。

「バイトもしていない高校生の娘にたからないでよ。ていうか、これ、文香がお祝いでくれたやつだし」
 
私が少しムッとして答えると、お父さんが「お祝い?」と聞き返してきた。そうだ、県展のこと、お母さんに話そうと思っていたのに、すっかり忘れていた。

「そう、聞いて!この前描いた絵が、県展で県知事賞取ったの!」
 
私は手に持っていたプリンをテーブルの上に置いて、お父さんとお母さんのいる方向を向いた。

「それって、凄いのか?」
 
お父さんがおかずを口に含みながら聞いてくる。

「県内で一番大きい美術展で、上から二番目の賞」

「なんだ、県内か」
 
へぇー、と言いながら、またお父さんはビールを一口飲む。

「高校生だけじゃなくて、大人の人たちも参加する公募展だから!賞金も十万円貰えるし、来月はパークサイドホテルで表彰式もあるんだから!」
 
お父さんが県展の規模をわかってないような気がして、思わず口走った。私が勢いよく言うと、次はお母さんが口を挟む。

「十万円?パークサイドホテル?ねえ、それほんとう?凄いじゃなーい!」

「十万か!それはあれだな、年末年始に出前寿司でも頼んで、みんなでお祝いだな。でかしたな、早紀」
 
お父さんが、とびきりの笑顔で私に話しかけてくる。

「そうね、由紀もクリスマスイブに帰ってくるし、みんなでどこかに食べに行くのもいいわね」

「お、そうか。由紀も帰ってくるか。そうしたらみんなで焼肉の方がいいか。由紀も焼肉なら食べるかもしれないしな」
 
お父さんは「ほんとうにお前たち二人ともすごいなあ」と言い、首をひねりながらビールを飲んだ。お母さんは「パークサイドホテル、せっかくだから、一緒にランチしよう。二階にあるフレンチが、おいしいのよ」と言って、父が食べ終わったおかずの皿をキッチンに運んだ。
 
私はテレビをつけっぱなしにしたまま、食べかけのプリンとスプーンを持って、自分の部屋に向かった。