「間に合ったー…………」
県展搬入の三日前、中間テスト最終日にようやく絵が完成した。
大きく背伸びをして、ふう、と小さく息をつき、改めて完成したばかりの絵を見つめる。
「うん、いいね」
誰もいない美術室で、ひとりでつぶやき、文字通り自画自賛した。
体育祭直前、途中まで描いていた絵を塗りつぶして、もう一度新しく絵を描きはじめた。和くんだけでなく、普段めったに美術室に来ない顧問の滝波先生ですら心配して「間に合うんか、これ?大丈夫そう?」と声をかけてきたけど、私はこの一か月間、放課後と土日の使える時間を全部、この絵の制作に取り組んだ。
中間テストの試験勉強は全然できていなかったけど、そのぶん授業を集中して聞いて、睡眠時間を削り、睡魔と戦いながら頑張った。
頑張ったわりには、そんなに地頭がいい方でもなく、要領も良くないから、手ごたえは全くなくて、特に苦手な英語に関しては過去一できなかった、という実感がある。
それでも、十月の一か月間を県展に全振りしたことは、後悔していない。高橋くんは、パネル係をしていたとき、ただの一度もボクシングを言い訳にしなかった。森本くんによると、高橋くんは成績も『普通に良い』らしく、そのことも私の気持ちを支えてくれた。
今までだったら、途中でやっぱり無理、と恐怖が先立って、最後はなんとなく適当にして完成させていたのだと思う。全力で頑張って、結果が出なかったときの挫折感を二度と味わいたくなくて、全てのエネルギーを費やす覚悟が持てなかった。そのくせ、何かに打ち込んでいる人たちのことを、自分とは違う世界の人なんだと思い込み、遠ざけ、勝手に苦手意識を持っていた。
だけど、高橋くんと出会って、彼もごく普通の一人の高校生で、見えないところでものすごく努力をしていることを知った。私は、高橋くんや由紀と違って、才能があるわけでも、体格に恵まれているわけでもないけれど、私は、私なりに、今しかできないことを精一杯やってみよう。
最高の自分でいるために。
私は毎日、毎日、絵を描き続けた。焦がれる思いを、筆に乗せて。
***
「はい、やめ!鉛筆置いて、後ろからテストを回収して下さい」
期末テスト最終日、最後は化学のテストだった。
たった今、試験監督をしていた先生からの試験終了の合図があり、私はシャーペンを机の上に置いて、はあぁぁ、と大きく息をついた。机の上には、体育祭の日に森本くんから貰った角行消しゴムが置かれてある。角の角が取れて、すっかり丸行になりましたね。森本くんならそう言いかねない、と思い浮かんだ瞬間、いや、私がそう思っているんだ、と気がついて、ブルッと寒気に襲われた。今日から十二月だから、冬の寒さのせいにしておこう、と自分自身に言い聞かせるような下手な言い訳をした。
後ろの席から順々に裏返しにして重ねられた答案用紙が回ってきて、私もそれに自分の用紙を重ねて、前の人に渡す。
「はい、じゃあ今日は昼休みはなしで、このままホームルームをしてから終了になるから、どこかに行かないように!以上!」
先生の言葉を受けて、学級委員長の佐藤さんが「起立ー!」と号令を出す。クラス全員が立ち上がり、佐藤さんの「礼」の言葉に続き、「「「ありがとうございました」」」と一礼し終えると、途端に教室中が騒がしくなった。二学期の試験が全て終了した安堵感や達成感、テストの出来の不安感が入り混じった感情をそれぞれが口々にしている。
「早紀、お疲れー」
文香が席までやって来て、声をかけてきた。
「お疲れさまー。やっと、終わったって感じする」
「今日部活?それとも帰る?」
「ううん、今日はもう帰る。文香は?」
「私も特に何もないから帰るよ。じゃあ、一緒にお昼食べてから帰らない?」
「うん、そうしよ!今日三時くらいから雨が降るらしいから、早めに行こう」
どこの店に行こうか、という話をしていると、「はーい、ホームルームしますよー」と担任が喋りながら教室に入ってきたので、また後で、と言って文香が席まで戻って行った。
ホームルームが終わって、私は鞄を持って文香のいる席に行こうとすると、担任から「相馬さん、ちょっと」と呼び止められた。
「滝波先生が、放課後職員室に来るように、って言っていたから、帰る前に寄って行ってね」
そう言うと、「じゃあまた明日ね、気を付けて」と付け加えて、担任は教室から出て行った。
美術部の幽霊部員ならぬ幽霊顧問の滝波先生に呼び出されることなんて、これまで一回もなかった。
胸がざわついた。
「文香!」
私は慌てて文香の席まで向かい、やばい、どうしよう、とぼやきながら、文香を呼び止めた。
「え、何?どうした?」
「顧問に呼び出されちゃった」
「は?」
「今から、職員室に来るようにって、担任に言われた……。え、どうしよう、私なんかやらかしたかな」
「え、まじ?何か、心当たりはないの?」
心当たりは、と言われても、思い当たることがまるでなかった。
「全然、思いつかない……あっ!」
「うわ、びっくりした。え、何?何かあったの?」
「体育祭のときのパネル、多目的室に仮置きさせてもらったままにしてて、回収するの忘れてた」
パズルの一ピースみたいに、記憶からすっぽり抜け落ちて忘れてしまっていたことを思い出して、やってしまった、と私は頭を抱える。
「あーそういうことね。ドンマイ!どうする?私まだお腹空いてないし、このまま教室で待っていようか?それとも、今日回収する感じ?」
「ううん、どうせ一人じゃ回収できないから、それは今度みんなでやるよ。ごめん、怒られてくるから、ちょっとだけ待っててくれない?」
「全然オッケー。ここで待ってるね」
「ありがとう、すぐ戻る」
私は早口に言い、職員室を目指して足早に歩いた。
県展搬入の三日前、中間テスト最終日にようやく絵が完成した。
大きく背伸びをして、ふう、と小さく息をつき、改めて完成したばかりの絵を見つめる。
「うん、いいね」
誰もいない美術室で、ひとりでつぶやき、文字通り自画自賛した。
体育祭直前、途中まで描いていた絵を塗りつぶして、もう一度新しく絵を描きはじめた。和くんだけでなく、普段めったに美術室に来ない顧問の滝波先生ですら心配して「間に合うんか、これ?大丈夫そう?」と声をかけてきたけど、私はこの一か月間、放課後と土日の使える時間を全部、この絵の制作に取り組んだ。
中間テストの試験勉強は全然できていなかったけど、そのぶん授業を集中して聞いて、睡眠時間を削り、睡魔と戦いながら頑張った。
頑張ったわりには、そんなに地頭がいい方でもなく、要領も良くないから、手ごたえは全くなくて、特に苦手な英語に関しては過去一できなかった、という実感がある。
それでも、十月の一か月間を県展に全振りしたことは、後悔していない。高橋くんは、パネル係をしていたとき、ただの一度もボクシングを言い訳にしなかった。森本くんによると、高橋くんは成績も『普通に良い』らしく、そのことも私の気持ちを支えてくれた。
今までだったら、途中でやっぱり無理、と恐怖が先立って、最後はなんとなく適当にして完成させていたのだと思う。全力で頑張って、結果が出なかったときの挫折感を二度と味わいたくなくて、全てのエネルギーを費やす覚悟が持てなかった。そのくせ、何かに打ち込んでいる人たちのことを、自分とは違う世界の人なんだと思い込み、遠ざけ、勝手に苦手意識を持っていた。
だけど、高橋くんと出会って、彼もごく普通の一人の高校生で、見えないところでものすごく努力をしていることを知った。私は、高橋くんや由紀と違って、才能があるわけでも、体格に恵まれているわけでもないけれど、私は、私なりに、今しかできないことを精一杯やってみよう。
最高の自分でいるために。
私は毎日、毎日、絵を描き続けた。焦がれる思いを、筆に乗せて。
***
「はい、やめ!鉛筆置いて、後ろからテストを回収して下さい」
期末テスト最終日、最後は化学のテストだった。
たった今、試験監督をしていた先生からの試験終了の合図があり、私はシャーペンを机の上に置いて、はあぁぁ、と大きく息をついた。机の上には、体育祭の日に森本くんから貰った角行消しゴムが置かれてある。角の角が取れて、すっかり丸行になりましたね。森本くんならそう言いかねない、と思い浮かんだ瞬間、いや、私がそう思っているんだ、と気がついて、ブルッと寒気に襲われた。今日から十二月だから、冬の寒さのせいにしておこう、と自分自身に言い聞かせるような下手な言い訳をした。
後ろの席から順々に裏返しにして重ねられた答案用紙が回ってきて、私もそれに自分の用紙を重ねて、前の人に渡す。
「はい、じゃあ今日は昼休みはなしで、このままホームルームをしてから終了になるから、どこかに行かないように!以上!」
先生の言葉を受けて、学級委員長の佐藤さんが「起立ー!」と号令を出す。クラス全員が立ち上がり、佐藤さんの「礼」の言葉に続き、「「「ありがとうございました」」」と一礼し終えると、途端に教室中が騒がしくなった。二学期の試験が全て終了した安堵感や達成感、テストの出来の不安感が入り混じった感情をそれぞれが口々にしている。
「早紀、お疲れー」
文香が席までやって来て、声をかけてきた。
「お疲れさまー。やっと、終わったって感じする」
「今日部活?それとも帰る?」
「ううん、今日はもう帰る。文香は?」
「私も特に何もないから帰るよ。じゃあ、一緒にお昼食べてから帰らない?」
「うん、そうしよ!今日三時くらいから雨が降るらしいから、早めに行こう」
どこの店に行こうか、という話をしていると、「はーい、ホームルームしますよー」と担任が喋りながら教室に入ってきたので、また後で、と言って文香が席まで戻って行った。
ホームルームが終わって、私は鞄を持って文香のいる席に行こうとすると、担任から「相馬さん、ちょっと」と呼び止められた。
「滝波先生が、放課後職員室に来るように、って言っていたから、帰る前に寄って行ってね」
そう言うと、「じゃあまた明日ね、気を付けて」と付け加えて、担任は教室から出て行った。
美術部の幽霊部員ならぬ幽霊顧問の滝波先生に呼び出されることなんて、これまで一回もなかった。
胸がざわついた。
「文香!」
私は慌てて文香の席まで向かい、やばい、どうしよう、とぼやきながら、文香を呼び止めた。
「え、何?どうした?」
「顧問に呼び出されちゃった」
「は?」
「今から、職員室に来るようにって、担任に言われた……。え、どうしよう、私なんかやらかしたかな」
「え、まじ?何か、心当たりはないの?」
心当たりは、と言われても、思い当たることがまるでなかった。
「全然、思いつかない……あっ!」
「うわ、びっくりした。え、何?何かあったの?」
「体育祭のときのパネル、多目的室に仮置きさせてもらったままにしてて、回収するの忘れてた」
パズルの一ピースみたいに、記憶からすっぽり抜け落ちて忘れてしまっていたことを思い出して、やってしまった、と私は頭を抱える。
「あーそういうことね。ドンマイ!どうする?私まだお腹空いてないし、このまま教室で待っていようか?それとも、今日回収する感じ?」
「ううん、どうせ一人じゃ回収できないから、それは今度みんなでやるよ。ごめん、怒られてくるから、ちょっとだけ待っててくれない?」
「全然オッケー。ここで待ってるね」
「ありがとう、すぐ戻る」
私は早口に言い、職員室を目指して足早に歩いた。