パネル制作も残りあと二日となり、作業は仕上げに入っていた。
部活だけでなく、組ごとのダンスや出場する競技の練習に参加しなければならず、パネル係のメンバーは一人、また一人と姿を消していった。
そんな中、将棋部の一年生、森本涼は皆勤賞だ。
運動は苦手なんで、と言って参加する競技は私と同じく『玉入れ』のみの彼は、高橋くんが来なくなった後も、パネル係に残って毎日作業をしている。
私は青組のフォローに入ることになったので、赤組のパネルは森本くんに任せていた。森本くんは高橋くんと違い、作業も早く丁寧で、安心して任せられた。
そして、静かに黙々と作業する高橋くんと真逆で、とにかくお喋りで、周囲に人がいようといまいとお構いなしに、口を動かしながら作業をしていた。
私と森本くんしかいない美術室で、高橋くんは今日から国体遠征で休みに入った、と教えてくれた。ちなみに今日は移動で、試合自体は明後日かららしいですよ、と私が何も聞かなくても高橋くんの話をしてくる。
高橋くんの話を聞くのは、今の私にとって胸が苦しかった。日曜日の午後、高橋くんと最後の時間を過ごした美術室で、私はこのまま世界が終わればいいのに、と思った。もし、周りから人がいなくなって、最後に二人だけしか残らない世界があるとしたら、私はたぶん、由紀と一緒になるんだと思う。双子の私たちは、切っても切り離せない糸で繋がっている。その感覚は、離れ離れに過ごしている今でも変わらない。
『ずっと、このまま二人だけで、いれたらいいなって、思って』
高橋くんは私の目を見てそう言った。もし、世界に二人で取り残される人を選べるとしたら、私は由紀じゃなくて、高橋くんが良い、と思った。
私も高橋くんと、ずっと一緒にいたい。
そう言えたら、どれだけ良かったのだろう。それが言えたら、どれだけ楽だったのだろう。
私は何も言えなくて、思いを伝えられなくて、情けないほどあっけなく、私たちの偶然の関係は終わってしまった。
たまたま同じ時代に、同じ地域に生まれ育ち、同じ学校に通う一年生と二年生。輝く彼と、平凡な私が、交わることのないそれぞれの生きる世界に戻った。ただ、それだけのこと。それなのに、未だに無意識のうちに彼のことを思い、もういないはずの美術室で、彼の姿を探している。
初恋は叶わない、と聞いた覚えがある。だったら、せめて素敵な思い出にしよう。さっさと諦めて、気持ちを切り替えて、影から静かに彼の活躍を見守ろう。自分に何度も何度も言い聞かせているのに、なかなか踏ん切りがつけられず、今でも喉の奥に魚の小骨が刺さったまま取れない感覚が続いていて、チクチクと痛んだ。
「……ねえ森本くん。私にわざわざ高橋くんのこと教えてくれなくて大丈夫だから」
私がそう言うと、森本くんは「俺、別に高橋のことだけ喋ってないっすよ。先輩がわざわざ、高橋の話のところだけ聞いてるだけっすよ」と言い返してきた。
確かに、森本くんは高橋くんのことだけじゃなくて、数学の先生がどうのこうの、競馬の菊花賞がどうのこうの、将棋の王座戦がどうのこうの、とよくわからない話を延々と喋り続けていた。そしてどの話も、右から左に聞き流していたのに、高橋くんの話題だけを無意識に拾っていた自分の耳に感心してしまうと同時に、ほとほとあきれてしまう。
私は、ふと思い出したことがあり、「森本くん、」と声をかけて自分から話題を振った。
「囲碁部のさ、いつも表彰受けている人、いるじゃん。あの人って、どんな人?」
「川本さんのことですか?……あの人、うるさいですよ」
うるさい?あなたがそれを言う?
思わぬ答えに、私は驚いて「うるさいって、どういう意味で?」と聞き返す。
「まんまです。もう、めちゃくちゃ陽キャ。対局している時以外、ずーっと笑って喋ってる。ほんと、うるさい、あの人」
森本くんはほんとうにウザったそうに言う。
文化部の根暗で陰キャな私と《同じ》香りがすると思っていたのに、意外だ。
「……けど、すごく繊細ですね。大会前になったら、情緒不安定で、よく泣いてます。あと、よく吐いてる」
「吐く?」
「うん、吐いてる。すごく青白い顔してトイレから出てきて、『吐いた、気持ち悪い』って言ってます。いつも、めちゃくちゃ明るくてずっと笑ってるのに、大会前は緊張で吐くんですよ。勝手に周囲が期待を押し付けて、それを一人で背負って、押しつぶされそうになってて。可哀そうだし、少しでも持ってあげられるもんなら、そうするんですけど、どうしようもできないじゃないですか。だから、他の部員は、みんな期待しないんです。軽くするというより、これ以上重荷を担がせない、って感じですかね」
全校集会で毎回のように表彰されている彼女に、そんな気苦労があったなんて知らなかった。
「でも、ほんとうは強いから。プレッシャーを、はねのけるのか、それすら味方につけるのか、わかんないんですけど。結局、強いんですよ、あの人たち。……だから、高橋のことも、心配しなくても大丈夫ですよ。俺らができることは、信じて待つことしか、ないんです」
まあ、先輩が心配するのはわかりますけどね。わかりますけど。俺はどちらかと言うと自分の方が心配ですよね。体育祭ってなんで…………。
相変わらず一人ぶつくさと呟きながら、色塗りを続ける森本くんは、ほんとうにどこまでもウザかった。
部活だけでなく、組ごとのダンスや出場する競技の練習に参加しなければならず、パネル係のメンバーは一人、また一人と姿を消していった。
そんな中、将棋部の一年生、森本涼は皆勤賞だ。
運動は苦手なんで、と言って参加する競技は私と同じく『玉入れ』のみの彼は、高橋くんが来なくなった後も、パネル係に残って毎日作業をしている。
私は青組のフォローに入ることになったので、赤組のパネルは森本くんに任せていた。森本くんは高橋くんと違い、作業も早く丁寧で、安心して任せられた。
そして、静かに黙々と作業する高橋くんと真逆で、とにかくお喋りで、周囲に人がいようといまいとお構いなしに、口を動かしながら作業をしていた。
私と森本くんしかいない美術室で、高橋くんは今日から国体遠征で休みに入った、と教えてくれた。ちなみに今日は移動で、試合自体は明後日かららしいですよ、と私が何も聞かなくても高橋くんの話をしてくる。
高橋くんの話を聞くのは、今の私にとって胸が苦しかった。日曜日の午後、高橋くんと最後の時間を過ごした美術室で、私はこのまま世界が終わればいいのに、と思った。もし、周りから人がいなくなって、最後に二人だけしか残らない世界があるとしたら、私はたぶん、由紀と一緒になるんだと思う。双子の私たちは、切っても切り離せない糸で繋がっている。その感覚は、離れ離れに過ごしている今でも変わらない。
『ずっと、このまま二人だけで、いれたらいいなって、思って』
高橋くんは私の目を見てそう言った。もし、世界に二人で取り残される人を選べるとしたら、私は由紀じゃなくて、高橋くんが良い、と思った。
私も高橋くんと、ずっと一緒にいたい。
そう言えたら、どれだけ良かったのだろう。それが言えたら、どれだけ楽だったのだろう。
私は何も言えなくて、思いを伝えられなくて、情けないほどあっけなく、私たちの偶然の関係は終わってしまった。
たまたま同じ時代に、同じ地域に生まれ育ち、同じ学校に通う一年生と二年生。輝く彼と、平凡な私が、交わることのないそれぞれの生きる世界に戻った。ただ、それだけのこと。それなのに、未だに無意識のうちに彼のことを思い、もういないはずの美術室で、彼の姿を探している。
初恋は叶わない、と聞いた覚えがある。だったら、せめて素敵な思い出にしよう。さっさと諦めて、気持ちを切り替えて、影から静かに彼の活躍を見守ろう。自分に何度も何度も言い聞かせているのに、なかなか踏ん切りがつけられず、今でも喉の奥に魚の小骨が刺さったまま取れない感覚が続いていて、チクチクと痛んだ。
「……ねえ森本くん。私にわざわざ高橋くんのこと教えてくれなくて大丈夫だから」
私がそう言うと、森本くんは「俺、別に高橋のことだけ喋ってないっすよ。先輩がわざわざ、高橋の話のところだけ聞いてるだけっすよ」と言い返してきた。
確かに、森本くんは高橋くんのことだけじゃなくて、数学の先生がどうのこうの、競馬の菊花賞がどうのこうの、将棋の王座戦がどうのこうの、とよくわからない話を延々と喋り続けていた。そしてどの話も、右から左に聞き流していたのに、高橋くんの話題だけを無意識に拾っていた自分の耳に感心してしまうと同時に、ほとほとあきれてしまう。
私は、ふと思い出したことがあり、「森本くん、」と声をかけて自分から話題を振った。
「囲碁部のさ、いつも表彰受けている人、いるじゃん。あの人って、どんな人?」
「川本さんのことですか?……あの人、うるさいですよ」
うるさい?あなたがそれを言う?
思わぬ答えに、私は驚いて「うるさいって、どういう意味で?」と聞き返す。
「まんまです。もう、めちゃくちゃ陽キャ。対局している時以外、ずーっと笑って喋ってる。ほんと、うるさい、あの人」
森本くんはほんとうにウザったそうに言う。
文化部の根暗で陰キャな私と《同じ》香りがすると思っていたのに、意外だ。
「……けど、すごく繊細ですね。大会前になったら、情緒不安定で、よく泣いてます。あと、よく吐いてる」
「吐く?」
「うん、吐いてる。すごく青白い顔してトイレから出てきて、『吐いた、気持ち悪い』って言ってます。いつも、めちゃくちゃ明るくてずっと笑ってるのに、大会前は緊張で吐くんですよ。勝手に周囲が期待を押し付けて、それを一人で背負って、押しつぶされそうになってて。可哀そうだし、少しでも持ってあげられるもんなら、そうするんですけど、どうしようもできないじゃないですか。だから、他の部員は、みんな期待しないんです。軽くするというより、これ以上重荷を担がせない、って感じですかね」
全校集会で毎回のように表彰されている彼女に、そんな気苦労があったなんて知らなかった。
「でも、ほんとうは強いから。プレッシャーを、はねのけるのか、それすら味方につけるのか、わかんないんですけど。結局、強いんですよ、あの人たち。……だから、高橋のことも、心配しなくても大丈夫ですよ。俺らができることは、信じて待つことしか、ないんです」
まあ、先輩が心配するのはわかりますけどね。わかりますけど。俺はどちらかと言うと自分の方が心配ですよね。体育祭ってなんで…………。
相変わらず一人ぶつくさと呟きながら、色塗りを続ける森本くんは、ほんとうにどこまでもウザかった。