「……お腹空いた」

誰もいない美術室で、一人呟き、私は鞄の中から自作のお弁当を取り出した。

いつもはお母さんが作ってくれるけれど、今日は日曜日だったので、さすがに仕事が休みの日にまで弁当作りを頼むことは申し訳なくてできなかった。かといってコンビニでお弁当を買うのも、少ないお小遣いがさらに減ってしまうのはもったいなくて、家にあるおかずと冷凍食品を適当に詰めた。

見た目が全部茶色で地味だったから、せめてもの彩り要員として、自分で卵焼きを作って入れた。お母さんの作る卵焼きは、醤油なのか出汁なのか味の素なのかわからないけれど、しょっぱい味付けが基本で、それに対して別においしいともおいしくないとも思わない。だけど、時々食べる、おばあちゃんの作る甘い卵焼きが無性に食べたくなることがあった。

昨日、法事でおばあちゃんの手料理を食べたのもあり、私は砂糖とみりんを入れた甘い卵焼きを作ろうと思った。しっかり火を通そうとしたら、卵が焦げて、せっかくの黄色要員が他のおかずと同じ茶色になってしまった。

文香のお弁当の中に入っている卵焼きはいつもきれいな黄色でおいしそうなのに、なんで上手くできないんだろう。作り直す時間もないし、卵ももったいないし、別に誰に見せるわけでもないから、と開き直って、私は茶色一色の弁当を持って学校に向かった。

「いただきます」

机に座り、一人、手を合わせた。

するといきなり、ガラガラガラ、と美術室の扉が開いた。

「お疲れさまです」

声をかけて美術室に入ってきたのは、制服姿の高橋くんだった。

え?なんで?どうして、高橋くんが、いるの?

びっくりしてぽかんと口を開けていると、高橋くんは気だるそうにしながら歩いてこちらに近づいてきた。

「先輩、なんでいるんですか?」

「なんでって……。パネル、間に合わないから美術部のリーダーで仕上げてる……っていうか、むしろ高橋くんの方が、なんでいるの?」

高橋くんは机の上に鞄を置いて、私の隣の椅子に座ると、ズルズルズル、と机に顔を伏せた。

「疲れた……腹減った……」

状況がいまいち飲み込めなかったものの、ちょうどお昼時だったので、「昼ごはんは?」と聞くと、高橋くんは突っ伏したまま、無言で顔を両腕に擦りつけながら左右に振った。

まだ、食べてないってことかな。何か持ってきているのか、これから買いに行くのか……。

もし高橋くんもこれから昼ご飯を食べるのなら、と思って尋ねた。

「……一緒に、食べる?」

せっかくだから、ご一緒にどうですか。

ほんとうに、そのくらいの軽い気持ちしかないのに、言葉にすると重々しくて、いざ口に出すと緊張で声が小さくしぼんでいく。

高橋くんは机にうつ伏せになった姿勢は変えないまま、顔だけ私の方を向いて、「……なんか一個だけ、おかず貰えたりしますか?」と聞いてきた。

「えっ?ちょ、ちょっと待って。私のお弁当を食べたいってこと?」

私はびっくりして、焦りながら答えた。

「うん。だめ?」

高橋くんが下から私を見上げるようにして言った。口元が腕で覆い隠されているから、目元だけしか見えなくて、そのキュルッとした上目遣いと、くぐもった甘い声が、断りづらくてしょうがない。

「いや、その、だめじゃないけど……」

私は自分のお弁当に目をやる。誰に見せるわけでもないと思っていた茶色一色のお弁当を、よりによって高橋くんに見られてしまうのが恥ずかしい。

そうとわかっていたら、卵焼きだって作り直したのに……。

そんなことをうじうじと考えていると、高橋くんがゆっくりと上半身を起こした。

「適当に、家にあるもの詰め込んだだけだけど、良かったら好きなのをどうぞ……」

私は弁当箱を差し出しながら言った。文香のお弁当みたいに、彩り豊かで、味も最高においしい全部手作りのお弁当を見せられたら良かったのに。

恥ずかしさと、彼にどう思われているかが気になってしまい、胸がきゅっと締めつけられた。

高橋くんは茶色一色のお弁当を見て、「うわ、旨そう」と呟き、左手でお腹を擦りながら聞いてきた。

「これ、先輩の手作りっすか?」

「ううん……。卵焼きだけ。あとは、親が作ったのと、冷凍食品」

「じゃあ、この卵焼き一個、貰っていいっすか?」

そう言いながら高橋くんは右手で私の作った不格好な卵焼きを指し示し、私の顔を覗き込んだ。

「えっ?ああ、うん、いいけど……」

「ありがとうございます、いただきます」
 
高橋くんはすかさず私のお弁当の中から卵焼きを一つ、指で摘まんで取り出して、口の中に入れた。

「甘っ!」
 
茶色の卵焼きを頬張りながら、彼は目を丸くした。
 
味見を全くしていなかったけど、高橋くんの反応を見て察した。

「……おいしくない、よね」
 
私は落ち込んで目を伏せた。

失敗したな。やっぱり断ればよかった。

そう思っていると、高橋くんが勢いよく首を振った。

「めっちゃ旨いっす!俺、甘い卵焼き、大好きなんですよ」
 
大好き、と言われて、卵焼きのことを言っているのに、胸がドキッと高鳴った。
 
あまりにも力強く言われるので、私もその勢いに圧倒されて、つい口走ってしまう。

「まだ、食べる?」
 
卵焼きはあと二つ残っている。他にも、お母さんが作った昨夜の酢豚と、冷凍食品のから揚げ、カップ型の総菜が、何も手を付けていないまま残っていた。

「えっ、いいんすか?……あ、いや、でも……」

「いいよ、いいよ。まだ私、口付けてないから、どれでも好きなの食べて。お箸も、良かったら」
 
弁当箱を高橋くんの目の前に差し出し、お箸の反対側が下を向くようにして渡した。卵焼きとから揚げは手でも摘まめるけれど、さすがに酢豚と総菜は箸がいる、と思った。
 
すると高橋くんは、「じゃあ、もう一個だけ」と言って、卵焼きを摘まんで食べた。

「……どう、かな?」
 
さっき、旨いと言って食べてくれたけれど、やっぱり不安で、感想を聞いてしまいたくなった。

「めっちゃおいしいです。ごちそうさまでした」
 
にこっと笑い、両手を合わせてそう言うと、手を洗いに水道に向かった。

私は目の前に返されたお弁当を眺め、嬉しくてつい笑みがこぼれた。
 
ありがとう、おばあちゃんの卵焼き。
 
心の中でおばあちゃんに感謝しながら、箸を反対にひっくり返して、残ったもう一つの卵焼きを口の中に放り込んだ。