体育祭前最後の日曜日、私は一人、美術室に来て、パネル制作を行っていた。
私は昨日、母方の祖父の法事があったので、今日の当番を引き受けた。
どの組もパネルの下塗りは完了しており、あとは色を重ねて陰影をつけたり、全体を俯瞰して見て細部を修正したりする工程が残っている。
パネルの完成までまだもう少しかかりそうだけど、私の中ではもう一つ、別の問題が頭の中でチラチラとよぎっていた。
県展締め切りまであと四十日。
私のF10キャンバスは、真っ白な下地を塗り終えた上に、教室の机の上に置かれたスクールバッグが鉛筆で下書きされているだけだった。
モチーフを鞄にした理由は特にない。描きたいと思うテーマが見つからず、夏休み前に一度だけ、週に一回学校に来る美術の非常勤講師に相談しに行った。先生からは「身近なものか、自画像がいいんじゃないかしら?」と言われたが、身近なものと言われても何がいいのかがわからなくて困っていた。
そして、自画像だけは絶対に描きたくなかった。
双子として生まれ育った私は、いつも鏡のように見ている由紀と全然似ていないのだとはっきりと理解したのは、もうすぐで五歳になる頃だった。
保育園の先生は、いつも怖かった。
「○○しないと○○できません」が先生の口癖で、「静かにしないとお歌を歌いません」「残さず食べないとお外で遊べません」「おりこうさんにしないとみんなと一緒にいられません」と、あらゆることに前提条件を与えられ、それに違反すれば歌を歌うことも、外で遊ぶことも、そしてみんなと一緒の教室にいることも禁じられるのだ。
身体が小さく、食が細かった私にとって、給食は苦痛の時間だった。
由紀や、クラスの友達みんなが早々に完食し、机の上を片付けて部屋を走り回っている中、先生はいつも私の隣に正座して、私が昼ご飯を口にするのをじっと監視していた。ごくたまに給食の時間に完食できる日もあり、その時は「全部食べれて偉いじゃない」と褒めてくれたが、たいていは「ほら、ちゃんと食べないと給食室だよ」と言われ、苦しい胸をさらに詰まらせて食事を口に運んだ。
給食室は嫌だった。
どうしても時間内に食べきることができない時、私は給食室に連れて行かれ、そこでまた食事の続きをさせられるのだ。私ひとりの時もあれば、私以外の子がいる時もあった。自分一人でも、そうでなくても、みんなのいる教室から追い出され、連れて行かれた給食室で食べれもしないものを『それでも食べろ』と言われるのは、何かの苦行のようだった。
場所を変えて一人になったところで、箸が進むかといえば全然そんなことはなく、結局は先生が折れることになるのだ。
「はあ……。もういいよ。早紀ちゃん、片付けて」
先生がため息をつき、吐き捨てるようにいう一言が、幼い私にとっては嬉しい瞬間であり、同時につらい瞬間でもあった。
やっとこの拷問から解放される、という安堵感と、見捨てられたんだという恐怖心が一緒くたに襲ってきて、子供ながらに複雑な気持ちになっていた。
「早紀ちゃんおいで」
いつものように完食できなかった時、一人食器を片付け終えてから、先生に手招きされた。先生はしゃがんで私に目線を合わせ、自分の小指と私の小指を絡めて言った。
「早紀ちゃんも、あとちょっとで五歳になるね。五歳はお姉さんです。お姉さんになったら、ちゃんとご飯を残さず食べようね。由紀ちゃんは、ちゃんとご飯を残さず食べているから、背もぐんぐん伸びているでしょう?早紀ちゃんは、いつもご飯を残すから、小さいままなんだよ。ちゃんと食べないと、お姉さんになれないから、これからはちゃんと残さず食べようね。指切りげんまん、うそついたら針千本飲ーます!指切った!」
指を切り、先生は私が食事を完食することを約束したことに満足したようだったが、私はそれよりも、小さいままだとお姉さんになれないということを聞かされたことがショックだった。
由紀よりも一分だけ先にこの世に産み落とされた私は、生まれた時点で500グラム以上も小さかった。成長の過程でその差は縮まるどころかどんどん広がっていき、双子なのに姉妹と間違えられ、そして必ず、私が妹だと思われていた。
だから、お姉さんになることへの憧れが強かった。
友達のお母さんから「由紀ちゃんがお姉ちゃん?」と聞かれ「いえ、早紀の方が上です」と母が受け応え、「由紀ちゃんの方が大きいのね」と返されるのを、何度も何度も耳にしていた。
耳にしていながらも、自分のことを言われているという意識はなかったと思う。けれど、保育園の先生の、『由紀ちゃんは背が伸びている。早紀ちゃんは小さいまま』の一言で、私はようやく、いつも鏡のように目の前にいる由紀は自分とは同じ姿じゃないということをはっきりと理解した。
いつまでたってもお姉さんになれない、小さな自分のことがずっと嫌いだった。
背が低いことへのコンプレックスは、いまもなお拗らせ続けている。成長するとともに、食事量も同級生たちと変わらないくらいとれるようになったのに、私の身長は百五十センチで打ち止めとなり、百六十センチを超える由紀に追いつくことはついに叶わなかった。
最近では、一日の運動は体育の授業か学校までの往復しかなく、無駄な筋肉が一切ない私よりも、毎日ハードな練習を重ねていて無駄な脂肪が一切ない由紀の方が、食べる量は少ないのだ。長期休みの時、由紀が家に帰ってきて家族四人で夕食を食べている時も、由紀はすぐにお腹いっぱい、と言ってごはんを残した。母が「食べなきゃだめよ」と言っても、由紀は一切言うことを聞かないので、私はそれも羨ましかった。
残さず食べないと針千本飲まなきゃいけない約束まで交わさせられ、食べないとお姉さんになれないよと脅された幼い私が、今の私たちを目の当たりにしたら、と考えるだけで胸が締め付けられる。
五歳になる直前の私が、あまりにも不憫で、あまりにもかわいそうだ。
小さくて地味で目立たない私の自画像は、どうしても、何が何でも、描きたくなかった。
私は昨日、母方の祖父の法事があったので、今日の当番を引き受けた。
どの組もパネルの下塗りは完了しており、あとは色を重ねて陰影をつけたり、全体を俯瞰して見て細部を修正したりする工程が残っている。
パネルの完成までまだもう少しかかりそうだけど、私の中ではもう一つ、別の問題が頭の中でチラチラとよぎっていた。
県展締め切りまであと四十日。
私のF10キャンバスは、真っ白な下地を塗り終えた上に、教室の机の上に置かれたスクールバッグが鉛筆で下書きされているだけだった。
モチーフを鞄にした理由は特にない。描きたいと思うテーマが見つからず、夏休み前に一度だけ、週に一回学校に来る美術の非常勤講師に相談しに行った。先生からは「身近なものか、自画像がいいんじゃないかしら?」と言われたが、身近なものと言われても何がいいのかがわからなくて困っていた。
そして、自画像だけは絶対に描きたくなかった。
双子として生まれ育った私は、いつも鏡のように見ている由紀と全然似ていないのだとはっきりと理解したのは、もうすぐで五歳になる頃だった。
保育園の先生は、いつも怖かった。
「○○しないと○○できません」が先生の口癖で、「静かにしないとお歌を歌いません」「残さず食べないとお外で遊べません」「おりこうさんにしないとみんなと一緒にいられません」と、あらゆることに前提条件を与えられ、それに違反すれば歌を歌うことも、外で遊ぶことも、そしてみんなと一緒の教室にいることも禁じられるのだ。
身体が小さく、食が細かった私にとって、給食は苦痛の時間だった。
由紀や、クラスの友達みんなが早々に完食し、机の上を片付けて部屋を走り回っている中、先生はいつも私の隣に正座して、私が昼ご飯を口にするのをじっと監視していた。ごくたまに給食の時間に完食できる日もあり、その時は「全部食べれて偉いじゃない」と褒めてくれたが、たいていは「ほら、ちゃんと食べないと給食室だよ」と言われ、苦しい胸をさらに詰まらせて食事を口に運んだ。
給食室は嫌だった。
どうしても時間内に食べきることができない時、私は給食室に連れて行かれ、そこでまた食事の続きをさせられるのだ。私ひとりの時もあれば、私以外の子がいる時もあった。自分一人でも、そうでなくても、みんなのいる教室から追い出され、連れて行かれた給食室で食べれもしないものを『それでも食べろ』と言われるのは、何かの苦行のようだった。
場所を変えて一人になったところで、箸が進むかといえば全然そんなことはなく、結局は先生が折れることになるのだ。
「はあ……。もういいよ。早紀ちゃん、片付けて」
先生がため息をつき、吐き捨てるようにいう一言が、幼い私にとっては嬉しい瞬間であり、同時につらい瞬間でもあった。
やっとこの拷問から解放される、という安堵感と、見捨てられたんだという恐怖心が一緒くたに襲ってきて、子供ながらに複雑な気持ちになっていた。
「早紀ちゃんおいで」
いつものように完食できなかった時、一人食器を片付け終えてから、先生に手招きされた。先生はしゃがんで私に目線を合わせ、自分の小指と私の小指を絡めて言った。
「早紀ちゃんも、あとちょっとで五歳になるね。五歳はお姉さんです。お姉さんになったら、ちゃんとご飯を残さず食べようね。由紀ちゃんは、ちゃんとご飯を残さず食べているから、背もぐんぐん伸びているでしょう?早紀ちゃんは、いつもご飯を残すから、小さいままなんだよ。ちゃんと食べないと、お姉さんになれないから、これからはちゃんと残さず食べようね。指切りげんまん、うそついたら針千本飲ーます!指切った!」
指を切り、先生は私が食事を完食することを約束したことに満足したようだったが、私はそれよりも、小さいままだとお姉さんになれないということを聞かされたことがショックだった。
由紀よりも一分だけ先にこの世に産み落とされた私は、生まれた時点で500グラム以上も小さかった。成長の過程でその差は縮まるどころかどんどん広がっていき、双子なのに姉妹と間違えられ、そして必ず、私が妹だと思われていた。
だから、お姉さんになることへの憧れが強かった。
友達のお母さんから「由紀ちゃんがお姉ちゃん?」と聞かれ「いえ、早紀の方が上です」と母が受け応え、「由紀ちゃんの方が大きいのね」と返されるのを、何度も何度も耳にしていた。
耳にしていながらも、自分のことを言われているという意識はなかったと思う。けれど、保育園の先生の、『由紀ちゃんは背が伸びている。早紀ちゃんは小さいまま』の一言で、私はようやく、いつも鏡のように目の前にいる由紀は自分とは同じ姿じゃないということをはっきりと理解した。
いつまでたってもお姉さんになれない、小さな自分のことがずっと嫌いだった。
背が低いことへのコンプレックスは、いまもなお拗らせ続けている。成長するとともに、食事量も同級生たちと変わらないくらいとれるようになったのに、私の身長は百五十センチで打ち止めとなり、百六十センチを超える由紀に追いつくことはついに叶わなかった。
最近では、一日の運動は体育の授業か学校までの往復しかなく、無駄な筋肉が一切ない私よりも、毎日ハードな練習を重ねていて無駄な脂肪が一切ない由紀の方が、食べる量は少ないのだ。長期休みの時、由紀が家に帰ってきて家族四人で夕食を食べている時も、由紀はすぐにお腹いっぱい、と言ってごはんを残した。母が「食べなきゃだめよ」と言っても、由紀は一切言うことを聞かないので、私はそれも羨ましかった。
残さず食べないと針千本飲まなきゃいけない約束まで交わさせられ、食べないとお姉さんになれないよと脅された幼い私が、今の私たちを目の当たりにしたら、と考えるだけで胸が締め付けられる。
五歳になる直前の私が、あまりにも不憫で、あまりにもかわいそうだ。
小さくて地味で目立たない私の自画像は、どうしても、何が何でも、描きたくなかった。