高橋くんと一緒に、廊下を並んで歩く。
また注目されそうで嫌だなあ、と思っていたら、隣から「堂々としててください」とだけ声をかけられたので、私は素直に従った。
お互いにまっすぐ前を向いて、何も話さず、教室に向かう。一瞬だけ見えた高橋くんの目は、これからどこかへ戦いにでも行くのですか、と聞いてしまいたくなるほど、冷たく凄みがあって、怖かった。
二年生の教室が並ぶ廊下を一緒に歩いていても、前回よりも冷やかしの目線やからかいの言葉はない。
私たち二人の空間を、不思議なバリアが覆っている、そんな感覚さえするような心地だった。
教室に着き、私は高橋くんを廊下に待たせ、根本さんを呼んだ。根本さんと、一緒にいた渡辺さんは驚いた表情で廊下に出て、高橋くんと会話をしている。
私はその様子を教室の中から眺めながら、手に持ったお弁当箱を鞄の中に片付けた。根本さんと渡辺さんに何やら説明をしている高橋くんは、先ほどまでの怖さはなかったものの、真剣で誠実な面持ちだった。
「相馬さん、呼ばれてるよ」
高橋くんと話が終わった根本さんに呼ばれて、入れ替わるように私が廊下に出た。
すると高橋くんは別人みたいに温かい笑顔で私を出迎えた。
「応援ムービーのやつ、写真でも良いそうなんで、今日の放課後、撮ってもらってもいいですか?」
私は「どういうこと?」と聞き返そうとしたタイミングで、昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。
「じゃ、またあとで」
高橋くんはそう言い残し、一年生の教室に向かって去って行った。
何が何だかわからないまま私は廊下に立ち尽くしていると、数学の先生の「授業始めるぞー、教室入れー」という声がして、急いで自分の席に戻った。
***
放課後、美術室に行くと、彼らは既に作業を進めていた。
私が「ごめんね、遅くなりました」と言って美術室に入ると、二人は同時に顔を上げた。
「ほんとにすみませんねえ。手が焼けますよね、うちの高橋くんは」
まったく、まったく、と言いながら、森本くんが高橋くんの顔をグーパンチしようとした。
すると高橋くんは驚くほど俊敏に左手で森本くんの手を払いのけ、「お前ふざけんな」と言った。
「お、さすがだね。俺の右ストレートが完全に読まれてたか」
「読んでねえし、右ストレートでもねえし。てか、俺サウスポーだから、試合だったらすぐ右で返してたからな。そんなことより、早くしてくんない?」
「いやお前、それがお願いする人の態度かよ」
試合の練習があるから、と言って放課後のパネル係に来なくなって以降、高橋くんが森本くんと一緒にいる姿を見ていなかったら、こうして目の前でじゃれ合っている姿を見て、なんだか懐かしかった。
「二人とも、ごめんね。私のせいで……」
私が謝ると、高橋くんと森本くんは「「いや、全然」」とハモって答えた。なんだか双子みたい。
「はい、さっさと撮ってください。そしてお前はとっとと帰れ。俺と相馬先輩の楽しい時間を邪魔すんな」
「ねえ、右と左とどっちにする?俺、右利きだからどっちも威力変わんないよ?」
「え、サウスポーなのに右利きってどういうことよ」「右利きサウスポーなんだよ」「なんだよそれ…………」
双子のような二人がわちゃわちゃと喋りながら色塗りしている姿を、私はスマホのカメラに何枚か写真をおさめた。
「高橋くん、どれにする?」
私は何枚か撮った、二人のツーショット写真の画像を高橋くんに見せながら尋ねた。
すると高橋くんは立ち上がり、私の隣に来て、一緒にスマホを覗き込んできた。
「これとかどう?楽しそうじゃない?」
「もうちょっと顔が隠れてる方がいいです」
「じゃあ、こっちの方がいい?」
私は高橋くんに尋ねながら、スマホの画面をスクロールした。
通っているボクシングジムの規則で、アマチュア選手はSNSへの出演ができないと高橋くんから説明を受けた、と放課後根本さんから聞かされた。
学校行事の一シーンとしての写真だったら問題ないか、と交渉したら、『パネル係として他の生徒と一緒に作業をする姿の写真ならできます』と言って応援ムービーへの出演を引き受けてくれたのだそうだ。
「そうだ。ムービーの件、ありがとね。クラスの子に聞いたけど、いろいろ制約があって大変なんだね」
思い出して私が聞いたら、高橋くんに「まあ嘘ですけどね」とあっさり返された。びっくりして開いた口が塞がらなかった。
「あんまりネットにいろいろ書かれるの、好きじゃないんですよね。誰だって、そうだと思うんすけど」
「そっか。確かに、高橋くんは、そうだよね。ごめんね、ほんとうに」
彼が有名人だということを、私はすっかり忘れてしまっていた。自分のことで高橋くんを巻き込んでしまって申し訳なくて、彼の言動に驚きつつも、素直に謝った。
高橋くんは、いいえ、と優しく笑い、「またなんかあったら、絶対、言ってくださいね。守るんで」と言った。
私と高橋くんが、根本さんに送るための写真を選んでいると、パシャ、とシャッター音が聞こえた。音の鳴った方に、二人で同時に振り向くと、森本くんが私たちに向けてスマホを構えていた。
「めっちゃいいツーショット撮れた。ほら、見てくださいよ」
そう言って見せてくれたスマホ画面には、私と高橋くんが二人で写真を選んでいる様子が映し出されていた。
私がびっくりして固まっていると、森本くんが「高橋、はやく写真選んで帰れ。そして相馬先輩を俺に引き渡してくれ!」とおちゃらけて言った。高橋くんはチッと舌打ちをして、私に「じゃ、これで」と選んだ写真を示し、鞄を置いている机に向かって歩きだした。
「その写真、あとで送って」
「わかったよ」
二人は短く会話すると、高橋くんは「すみません、じゃあ、また明日」と言って美術室を出ようとした。
「あ、待って」
私は高橋くんを引き留めた。
「これ、うちのクラスの人からお礼だって」
そう言って、根本さんから『渡しておいて』と言われて預かったクッキーを手渡そうとした。すると高橋くんは顔をしかめて、「すみません、ちょっと……」と言っておなかに手を当てた。
私はしまった、と思って、クッキーを持った手を引っ込めた。今日、高橋くんが胃の調子が悪いと言って吐いていたのを、すっかり忘れてしまっていた。
「あ、ご、ごめん……」
いたたまれない気持ちになった。
私は高橋くんの迷惑になることばかりして、ほんとうにバカだ……。
自分に失望して俯いていると、「お疲れさまです」と、七組の小柴さんが美術室に入ってきた。
「はい、じゃあこれは俺がありがたく貰っとくから。相馬先輩は俺らに任せて、心置きなく練習に行ってこい」
私の手からクッキーを取り、じゃあな、と森本くんは高橋くんに向かって手を振った。
高橋くんと目が合った。
「……じゃあ、行ってきます」
「えっ。あ、うん……。行ってらっしゃい」
高橋くんは一瞬だけ切なく笑い、またすぐ森本くんの方に視線を移し「じゃあ、よろしく」と言って、帰っていった。
「先輩、戻りましょう」
森本くんに促されて、私は美術室に戻った。
また注目されそうで嫌だなあ、と思っていたら、隣から「堂々としててください」とだけ声をかけられたので、私は素直に従った。
お互いにまっすぐ前を向いて、何も話さず、教室に向かう。一瞬だけ見えた高橋くんの目は、これからどこかへ戦いにでも行くのですか、と聞いてしまいたくなるほど、冷たく凄みがあって、怖かった。
二年生の教室が並ぶ廊下を一緒に歩いていても、前回よりも冷やかしの目線やからかいの言葉はない。
私たち二人の空間を、不思議なバリアが覆っている、そんな感覚さえするような心地だった。
教室に着き、私は高橋くんを廊下に待たせ、根本さんを呼んだ。根本さんと、一緒にいた渡辺さんは驚いた表情で廊下に出て、高橋くんと会話をしている。
私はその様子を教室の中から眺めながら、手に持ったお弁当箱を鞄の中に片付けた。根本さんと渡辺さんに何やら説明をしている高橋くんは、先ほどまでの怖さはなかったものの、真剣で誠実な面持ちだった。
「相馬さん、呼ばれてるよ」
高橋くんと話が終わった根本さんに呼ばれて、入れ替わるように私が廊下に出た。
すると高橋くんは別人みたいに温かい笑顔で私を出迎えた。
「応援ムービーのやつ、写真でも良いそうなんで、今日の放課後、撮ってもらってもいいですか?」
私は「どういうこと?」と聞き返そうとしたタイミングで、昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。
「じゃ、またあとで」
高橋くんはそう言い残し、一年生の教室に向かって去って行った。
何が何だかわからないまま私は廊下に立ち尽くしていると、数学の先生の「授業始めるぞー、教室入れー」という声がして、急いで自分の席に戻った。
***
放課後、美術室に行くと、彼らは既に作業を進めていた。
私が「ごめんね、遅くなりました」と言って美術室に入ると、二人は同時に顔を上げた。
「ほんとにすみませんねえ。手が焼けますよね、うちの高橋くんは」
まったく、まったく、と言いながら、森本くんが高橋くんの顔をグーパンチしようとした。
すると高橋くんは驚くほど俊敏に左手で森本くんの手を払いのけ、「お前ふざけんな」と言った。
「お、さすがだね。俺の右ストレートが完全に読まれてたか」
「読んでねえし、右ストレートでもねえし。てか、俺サウスポーだから、試合だったらすぐ右で返してたからな。そんなことより、早くしてくんない?」
「いやお前、それがお願いする人の態度かよ」
試合の練習があるから、と言って放課後のパネル係に来なくなって以降、高橋くんが森本くんと一緒にいる姿を見ていなかったら、こうして目の前でじゃれ合っている姿を見て、なんだか懐かしかった。
「二人とも、ごめんね。私のせいで……」
私が謝ると、高橋くんと森本くんは「「いや、全然」」とハモって答えた。なんだか双子みたい。
「はい、さっさと撮ってください。そしてお前はとっとと帰れ。俺と相馬先輩の楽しい時間を邪魔すんな」
「ねえ、右と左とどっちにする?俺、右利きだからどっちも威力変わんないよ?」
「え、サウスポーなのに右利きってどういうことよ」「右利きサウスポーなんだよ」「なんだよそれ…………」
双子のような二人がわちゃわちゃと喋りながら色塗りしている姿を、私はスマホのカメラに何枚か写真をおさめた。
「高橋くん、どれにする?」
私は何枚か撮った、二人のツーショット写真の画像を高橋くんに見せながら尋ねた。
すると高橋くんは立ち上がり、私の隣に来て、一緒にスマホを覗き込んできた。
「これとかどう?楽しそうじゃない?」
「もうちょっと顔が隠れてる方がいいです」
「じゃあ、こっちの方がいい?」
私は高橋くんに尋ねながら、スマホの画面をスクロールした。
通っているボクシングジムの規則で、アマチュア選手はSNSへの出演ができないと高橋くんから説明を受けた、と放課後根本さんから聞かされた。
学校行事の一シーンとしての写真だったら問題ないか、と交渉したら、『パネル係として他の生徒と一緒に作業をする姿の写真ならできます』と言って応援ムービーへの出演を引き受けてくれたのだそうだ。
「そうだ。ムービーの件、ありがとね。クラスの子に聞いたけど、いろいろ制約があって大変なんだね」
思い出して私が聞いたら、高橋くんに「まあ嘘ですけどね」とあっさり返された。びっくりして開いた口が塞がらなかった。
「あんまりネットにいろいろ書かれるの、好きじゃないんですよね。誰だって、そうだと思うんすけど」
「そっか。確かに、高橋くんは、そうだよね。ごめんね、ほんとうに」
彼が有名人だということを、私はすっかり忘れてしまっていた。自分のことで高橋くんを巻き込んでしまって申し訳なくて、彼の言動に驚きつつも、素直に謝った。
高橋くんは、いいえ、と優しく笑い、「またなんかあったら、絶対、言ってくださいね。守るんで」と言った。
私と高橋くんが、根本さんに送るための写真を選んでいると、パシャ、とシャッター音が聞こえた。音の鳴った方に、二人で同時に振り向くと、森本くんが私たちに向けてスマホを構えていた。
「めっちゃいいツーショット撮れた。ほら、見てくださいよ」
そう言って見せてくれたスマホ画面には、私と高橋くんが二人で写真を選んでいる様子が映し出されていた。
私がびっくりして固まっていると、森本くんが「高橋、はやく写真選んで帰れ。そして相馬先輩を俺に引き渡してくれ!」とおちゃらけて言った。高橋くんはチッと舌打ちをして、私に「じゃ、これで」と選んだ写真を示し、鞄を置いている机に向かって歩きだした。
「その写真、あとで送って」
「わかったよ」
二人は短く会話すると、高橋くんは「すみません、じゃあ、また明日」と言って美術室を出ようとした。
「あ、待って」
私は高橋くんを引き留めた。
「これ、うちのクラスの人からお礼だって」
そう言って、根本さんから『渡しておいて』と言われて預かったクッキーを手渡そうとした。すると高橋くんは顔をしかめて、「すみません、ちょっと……」と言っておなかに手を当てた。
私はしまった、と思って、クッキーを持った手を引っ込めた。今日、高橋くんが胃の調子が悪いと言って吐いていたのを、すっかり忘れてしまっていた。
「あ、ご、ごめん……」
いたたまれない気持ちになった。
私は高橋くんの迷惑になることばかりして、ほんとうにバカだ……。
自分に失望して俯いていると、「お疲れさまです」と、七組の小柴さんが美術室に入ってきた。
「はい、じゃあこれは俺がありがたく貰っとくから。相馬先輩は俺らに任せて、心置きなく練習に行ってこい」
私の手からクッキーを取り、じゃあな、と森本くんは高橋くんに向かって手を振った。
高橋くんと目が合った。
「……じゃあ、行ってきます」
「えっ。あ、うん……。行ってらっしゃい」
高橋くんは一瞬だけ切なく笑い、またすぐ森本くんの方に視線を移し「じゃあ、よろしく」と言って、帰っていった。
「先輩、戻りましょう」
森本くんに促されて、私は美術室に戻った。