廊下に出ると、グラウンドの方向から野球部の掛け声と、カコーン、とボールの弾かれる音が聞こえてきた。

蝉が鳴いている。

冷房の効いた美術室から出た瞬間、もわっとした暑さに、一瞬目が眩みそうになりつつも、今起きていることが全部消えてなくなってしまうような感じがして、このままの浮ついた感覚がなくならなければいいのに、と思った。

どこからが夢で、どこからが現実なのか、わからない。

自転車を押しながら、隣を歩く彼の肌は少し日に焼けていて、こめかみから流れる汗すらもキラキラとまぶしく輝いているように見える。

夏が本当によく似合う。

その隣で、何とか平静を保とうとしながら必死に足を動かす私は、周囲から見たらどんなふうに映るだろうか。

不釣り合い、ではないな、と思う。

それじゃまるで、付き合っている恋人同士みたい。それすらも、おこがましい。

おそらく、同級生か、クラスメイトってところだと思う。きっと、先輩には見られていないだろう。

背が低くて、白くて、何の特徴もない平凡な私とは対照的な、学校中の誰もが知る、スーパー一年生。

並んで駅まで歩いたとて、あり得ない組み合わせすぎて、きっとだれも気にも留めない。

「先輩!赤!」

頭の中であれこれ考えながら歩いていると、急に右手の手首を掴まれて、グッと後ろに引かれた。

思わず顔を見上げると、信号が赤に変わっていた。

「……びっくりしたー。ごめんね、ぼーっとしちゃって」

「大丈夫ですか?具合、悪いですか?」

右手首を掴まれたまま、眉を寄せて、彼が私の顔を覗き込んできた。

学校を出た時は、まだ夕陽が出ていたのに、いつの間にかあたりはすっかり暗くなっていた。さっきから自分の頬が熱いから、顔をちゃんと見られずに済んで、よかった。

「ううん、何でもない。駅、もうすぐそこだから、ここまでで大丈夫だよ。鞄も、ありがとね」

私は左手で彼の手をほどき、解放された右手で自転車の前籠に乗せられていた自分のスクールバッグを手に取り、肩に掛けた。

固い、ごつごつした手。なのに、すらっと細くて長くて、綺麗な指。

「じゃあ、またね」

温かい彼の手を離した私の左手を、そのまま胸の位置まで持ち上げて、手のひらを彼に向けて言った。

「はい、また」

自転車に跨り、軽く手を挙げて、優しい笑顔でそう言ったあと、彼は今来た方向と反対側に向かって自転車を漕いだ。

また、なんて、あるのだろうか。今日がほんとうに最後なのに。

そう思うと急に胸がつかえて呼吸が浅くなり、これで終わりなんだ、という感情がふつふつと湧いてきて、とめどなく涙が溢れた。

学年も違う。性格も違う。そもそも、生きる世界が違う。

普通に生活していたら、一生交わらないような人と、たったの一か月間だけでも、同じ空間にいられただけで、奇跡だった。

同じ空間にいるだけじゃなくて、会話も交わして、今日だって、まさか二人きりで半日も一緒に過ごせたというのに、幸せの続きを求めるなんて、自分の欲深さにあきれてしまう。

これ以上、一体何を望めば気が済むんだろう。

自分に言い聞かせて慰めようとすればするほど、悲しくて、寂しくてたまらない。

もし、生まれ変われるなら、次は由紀(ゆき)になりたい。

背が高くて、笑顔が可愛くて、周囲のみんなから応援されている双子の妹になれたなら、少しくらいは彼と並んで歩いても、平気だったかもしれないのに。

私はあふれる涙を両手にいっぱいこぼしながら、三時間ほど前に彼が言い放った一言を思い出していた。