その日は突然、やってきた。
「ちょっとだけいいっすか?」
パネル係の活動が始まって二週間が経ち、毎日欠かさず美術室にやって来ていた高橋くんに声をかけられた。
十八時になり、後片付けを終えて、美術室から次々とみんなが出て行く。
「あ、うん。大丈夫だよ」
高橋くんは、一緒にいる森本くんに向かって「俺、話あるから」と言い、森本くんに先に帰るように促し、私に向かって話し始めた。
「来週からなんですけど、放課後の作業、免除してもらえないっすか」
高橋くんは申し訳なさそうに言う。瞬間、私はそういうことか、と悟った。
そりゃ、そうだよね。ボクシングの方が、大事に決まってる。
途中からいなくなることなんて、はじめから、わかりきっていたことだった。
私のクラスの本田くんや、七組の田中くんと違って、初日から来ないということもなかったし、初日以外まだ一度も来ていない一年生の子もいるわけだから、彼は十分なほうだ。
それでも、やっぱり、寂しい。
あんなに楽しそうにしていたのに。もう、飽きちゃったのかな。
もしかすると≪二週間限定≫と決めていたから、毎日欠かさずに来ていたのかもしれない。期間限定のパネル係を、高橋くんは楽しめただろうか。
「そっか。わかった」
私は、ひと呼吸おいて、付け加える。
「忙しいのに、毎日来てくれて、ありがとう。あとは、私たちでやっておくから、大丈夫だよ」
期間限定なのは、私も一緒だ。
学年も違う。部活も違う。そもそも、生きる世界が違う。
ボクシング選手で、しかもインターハイチャンピオンなんて、普通に生活していたら、一生交わらないような人と関わり合える、学校行事の奥深さを知ることができた。
「あ、やっぱり、そうですよね……」
高橋くんは残念そうな表情でそう言った。
「え?どういうこと?」
「いや、もしできるんなら、昼休みにさせてもらえないかなーって思ったんですけど」
私はまた驚いて、頭がフリーズした。
「あ、休み時間なんで、先輩が迷惑だったら、俺一人でやりますし。いや、できれば一緒にいてくれた方が、嬉しいんですけど。あ、もし俺一人が心配だったら、森本も連れて来ますし!」
「……心配、とは?」
「いや、俺、色塗りはだいぶ上手くなったと思うんすけど、いまだにあいつに怒られるから、俺一人にしたら心配かなーって」
高橋くんは、鼻を擦りながら、笑って言う。
「昼休みに作業するのは、全然、大丈夫だよ。だけど、その…………」
急に頭が真っ白になって、言葉が出なくなる。
え、待って、どうしよう……。早く、答えなきゃ……。
混乱していると、高橋くんが「先輩?大丈夫ですか?」と首を傾げながら聞いてくる。
「あぁ…………。えっとね。塗る色を、間違えないように、作んなきゃいけないから、私も一緒にいさせてもらってもいい?」
なんだかわからないけど、心臓がバクバクして、足が震えてくる。
「え、やった!ありがとうございます」
高橋くんはその場で飛び跳ねて、両手でガッツポーズをした。彼の無邪気に喜ぶ姿を見て、私もつられて笑ってしまう。足の震えは止まったのに、胸の鼓動はまだ鎮まらない。
期間限定のはずが、まさかの延長戦に突入した。