2.
「まったくもうアンタって子は……! 他人事みたいな顔してないで、もうちょっとこう痛がるとか、ヒビ入ってんのかー、そりゃ痛いはずだわーとかないわけ? あんまりにも反応薄いと見てるこっちが不安になるじゃないの」
会計待ちにロビーの空席に腰をかけると、待っていましたと言わんばかりに母さんが特大級のクレームを投げつけてきた。
「……」
「なによ」
「ヒビ入ってんのか〜。そりゃ痛いはずだわ〜」
「思いっきり棒読みじゃないの」
「言えっていったの母さんでしょ」
「心配してるのよ、これでも。あなた、学校のことも自分のことも、なんにも話してくれないじゃない」
「高一男子なんてみんなそんなもんかと」
「それはそうかもしれないけど……」
母さんは困ったように眉を顰め、僕を見る。
今年四十六になる母さんは、このところ小皺が目立つようになってきたことをやたらと気にしているが、僕はそこまで気にしていない。
見た目がどうなろうと母さんは母さんだし、口うるさくて心配性でちょっとミーハーなところは昔から何一つ変わっていない。そもそも僕は小皺の多さよりも、母さんの夜勤の多さの方が気になるわけだが、女手一つで僕を育てるためには必要な就労であることも充分に理解しているため、あえて何も言わず沈黙を貫くようにしている。
別に、反抗期だからじゃない。話す時間も、ぶつかる時間も、気力の無駄だと思っているからそれを避けて生きているだけのことだ。
「聞いたわよ。その怪我、四月の新入生歓迎会用の出し物 練習中の怪我だったんでしょう?」
そんな漠然とした無気力さを押し殺していると、突如として母さんは怪我の真相に迫ってきた。
「え、なんで知ってるの」
僕の学校では、四月の新入生歓迎会の時に、事前に取り決められた新二年生の〝一部の有志〟で、催し物をすることが決まっている。
その〝一部の有志〟というのが、学年委員会のくじ引きで決められた今の僕のクラスだ。イベントは新二年になってすぐのことだし、クラス替え直後じゃ団結力も練習時間もないから一年時クラスのメンバーでやらなきゃいけない理屈はよくわかるが、〝有志〟と謳うぐらいなら、きちんと志のある人を募ってその人たちだけでやってほしいと心から思う。
「ご近所さんから聞いたのよ。今年の新入生歓迎会イベントは今の千隼のクラスが担当で、『戦隊モノのヒーロー活劇』をやることになったらしいって」
(ご近所さん……加藤のおばちゃんか)
げんなりした顔をしていると、母さんはまるで事件の真相を知っている刑事であるかのように、容赦なく僕の隠し事を暴いてきた。
「しかもあなた、サブヒーローのブルー役に抜擢されたんでしょ? それ聞いて、母さんもうびっくりよ」
むしろ僕は、普段忙しくて家にいないくせに、こういう時だけは抜かりなく情報を嗅ぎつけてくる母さんの情報収集力の方にびっくりしている。
あれこれつつかれるのが嫌だからあえて知らせないでおいたのに、これでは沈黙を貫いた意味がない。加藤のおばちゃんを恨みながらも、僕は適当に返事を濁す。
「あー、まあ……」
そもそも僕は、好きでその役割を引き受けたわけじゃない。因縁あるクラスの問題児に無理やり厄介ごとを押し付けられただけだと愚痴をこぼしたいところだったが、『いじめにあってるの?』『嫌がらせされてるんじゃない?』とあれこれ騒がれるのも面倒なので、詳細は伏せておくことにした。
「やっぱりそうなの……。冴ない千隼がサブとはいえヒーロー役だなんて母さん心配しかないわ」
「ほっといてよ」
「子どもの頃はあんなに戦隊モノに憧れてたのにねぇ。今じゃ正義のヒーローどころか部屋に引きこもってゲームばっかりしてる不精者だし、どうしてこんなにやる気のない子に育っちゃったのかしらね」
堕落した息子を愁うよう、母さんがこぼす。
「うるさいなあ。子どもの頃って……一体いつの話してんの」
「小学校低学年の頃よ」
「憧れてたっていうか、あの頃はまだ若かったし純粋だったから。『英太』の影響で、僕もヒーローになれるんじゃないかって本気で信じてただけだよ」
僕が小学校低学年の頃の親友――クラスの人気者だった『英太』の顔を思い出してぼやくと、母さんは苦笑して肩をすくめた。
「まだ若かったって、十六年しか生きてない子どもがなに年寄りみたいなこと言ってんの」
「〝しか〟じゃなくて、もう十六年〝も〟生きてるんだけど」
「そういう青いこと言っちゃうあたりがまだ若い証拠なのよね〜。……でもまあ、確かに英太くんがいた頃の千隼は、目が生き生きとしてて、何もかもが夢と希望に溢れてるって感じだったものね。今じゃもう、そのカケラもないぐらい覇気のない顔してるけど」
「人を落武者みたいに……」
「事実でしょ。あの頃の千隼って、朝から晩まで飽きずに戦隊モノのヒーローの絵を描いたり、英太くんと一緒にヒーローごっこをしたりして、毎日キラッキラした顔で楽しそうに過ごしてたじゃない」
「……」
「それなのにねえ。英太くんが『あんなこと』になっちゃうだなんて……」
母さんの一言で、僕は思わず言葉を詰まらせた。
思い出したくない過去が漣のように脳裏に蘇ってきて、腹の中にずしりと重い鉛が落ちる。
「(英太……)」
――親友の英太は、小学校二年生の時、川の事故で死んだ。
いつもと変わらない学校の帰り道に、橋の上でいじめられて泣いていた子を助けようとして、なんの躊躇いもなく川に飛び込み、そのまま帰らぬ人となった。
『なあ千隼! オレ、ちょっと行ってくる。あの泣いてる子のこと、宜しく頼むな!』
託されるように交わした最後の会話は、今でも忘れられない。
僕にもっと声を上げる勇気が、危険だからやめておけと自分の意見をはっきり主張できる強い心があれば、ひょっとしたらアイツはは助かったかもしれないのに。
「千隼?」
「……」
結局僕は、あの時も、そして高校生になった今も。
厄介ごとを他人事のように傍観するか、物事を受け身でやり過ごすしかできない、おおよそヒーローにはふさわしくないタイプの人間だったって話だ。
「……違うよ」
「え?」
「確かにきっかけとしては一部あるかもしれないけど。でも、僕は僕なりに英太の『死』をちゃんと受け止めているつもりだから」
「千隼……」
「だから、あの事故や英太のせいで僕が腐ったわけじゃない。そこだけは勘違いしないで欲しい」
虚勢を張るように言ったけど、それは紛れもなく事実だ。
夜勤で忙しく、僕の反抗期を受け止める暇すらなかった母さんは何も知らない。
『え、これが噂のイラスト大賞最年少入賞者の作品?』
『園児のお絵かきとぬり絵レベルw』
『この程度のレベルでプロ目指してるとか、夢見過ぎだろー』
親友を失った僕が、その後、唯一心の支えにしていた〝あること〟で、人生最大の挫折を味わい、目の前から色と希望、そして生きる気力の全てを失ってしまったということを――。
「……」
頭をふり、邪念を振り払う。
黙っていると、どんどん気持ちが滅入りそうになるため、気分を変えるようと努めて明るい声色でこの話題を締める。
「とにかく。演劇の件は怪我でもう降板も決まったようなものだし、僕の出番はないから。間違ってもカメラ持って学校に押しかけてくるような真似だけはしないでよ」
念を押すようじとりと睨みつければ、ようやく母さんは納得したように「なによもう、わかったわよう」と大きなため息をついて、これ以上の詮索は諦めたようだった。
『小鳥遊千隼さん、会計窓口までお越しください』
会話が一区切りついたところでタイミングよく流れてくるアナウンス。
僕は英太との思い出、そして不甲斐なく生きている自分の人生から目を背けると、母さんと共に会計を済ませて外に出る。
僕達を出迎えたのは頬を刺すような寒さと色のない雪の世界だ。
僕は空虚な眼のまま白い息を吐き出すと、無言でマフラーに顔を埋め、そのまま病院を後にした。
「まったくもうアンタって子は……! 他人事みたいな顔してないで、もうちょっとこう痛がるとか、ヒビ入ってんのかー、そりゃ痛いはずだわーとかないわけ? あんまりにも反応薄いと見てるこっちが不安になるじゃないの」
会計待ちにロビーの空席に腰をかけると、待っていましたと言わんばかりに母さんが特大級のクレームを投げつけてきた。
「……」
「なによ」
「ヒビ入ってんのか〜。そりゃ痛いはずだわ〜」
「思いっきり棒読みじゃないの」
「言えっていったの母さんでしょ」
「心配してるのよ、これでも。あなた、学校のことも自分のことも、なんにも話してくれないじゃない」
「高一男子なんてみんなそんなもんかと」
「それはそうかもしれないけど……」
母さんは困ったように眉を顰め、僕を見る。
今年四十六になる母さんは、このところ小皺が目立つようになってきたことをやたらと気にしているが、僕はそこまで気にしていない。
見た目がどうなろうと母さんは母さんだし、口うるさくて心配性でちょっとミーハーなところは昔から何一つ変わっていない。そもそも僕は小皺の多さよりも、母さんの夜勤の多さの方が気になるわけだが、女手一つで僕を育てるためには必要な就労であることも充分に理解しているため、あえて何も言わず沈黙を貫くようにしている。
別に、反抗期だからじゃない。話す時間も、ぶつかる時間も、気力の無駄だと思っているからそれを避けて生きているだけのことだ。
「聞いたわよ。その怪我、四月の新入生歓迎会用の出し物 練習中の怪我だったんでしょう?」
そんな漠然とした無気力さを押し殺していると、突如として母さんは怪我の真相に迫ってきた。
「え、なんで知ってるの」
僕の学校では、四月の新入生歓迎会の時に、事前に取り決められた新二年生の〝一部の有志〟で、催し物をすることが決まっている。
その〝一部の有志〟というのが、学年委員会のくじ引きで決められた今の僕のクラスだ。イベントは新二年になってすぐのことだし、クラス替え直後じゃ団結力も練習時間もないから一年時クラスのメンバーでやらなきゃいけない理屈はよくわかるが、〝有志〟と謳うぐらいなら、きちんと志のある人を募ってその人たちだけでやってほしいと心から思う。
「ご近所さんから聞いたのよ。今年の新入生歓迎会イベントは今の千隼のクラスが担当で、『戦隊モノのヒーロー活劇』をやることになったらしいって」
(ご近所さん……加藤のおばちゃんか)
げんなりした顔をしていると、母さんはまるで事件の真相を知っている刑事であるかのように、容赦なく僕の隠し事を暴いてきた。
「しかもあなた、サブヒーローのブルー役に抜擢されたんでしょ? それ聞いて、母さんもうびっくりよ」
むしろ僕は、普段忙しくて家にいないくせに、こういう時だけは抜かりなく情報を嗅ぎつけてくる母さんの情報収集力の方にびっくりしている。
あれこれつつかれるのが嫌だからあえて知らせないでおいたのに、これでは沈黙を貫いた意味がない。加藤のおばちゃんを恨みながらも、僕は適当に返事を濁す。
「あー、まあ……」
そもそも僕は、好きでその役割を引き受けたわけじゃない。因縁あるクラスの問題児に無理やり厄介ごとを押し付けられただけだと愚痴をこぼしたいところだったが、『いじめにあってるの?』『嫌がらせされてるんじゃない?』とあれこれ騒がれるのも面倒なので、詳細は伏せておくことにした。
「やっぱりそうなの……。冴ない千隼がサブとはいえヒーロー役だなんて母さん心配しかないわ」
「ほっといてよ」
「子どもの頃はあんなに戦隊モノに憧れてたのにねぇ。今じゃ正義のヒーローどころか部屋に引きこもってゲームばっかりしてる不精者だし、どうしてこんなにやる気のない子に育っちゃったのかしらね」
堕落した息子を愁うよう、母さんがこぼす。
「うるさいなあ。子どもの頃って……一体いつの話してんの」
「小学校低学年の頃よ」
「憧れてたっていうか、あの頃はまだ若かったし純粋だったから。『英太』の影響で、僕もヒーローになれるんじゃないかって本気で信じてただけだよ」
僕が小学校低学年の頃の親友――クラスの人気者だった『英太』の顔を思い出してぼやくと、母さんは苦笑して肩をすくめた。
「まだ若かったって、十六年しか生きてない子どもがなに年寄りみたいなこと言ってんの」
「〝しか〟じゃなくて、もう十六年〝も〟生きてるんだけど」
「そういう青いこと言っちゃうあたりがまだ若い証拠なのよね〜。……でもまあ、確かに英太くんがいた頃の千隼は、目が生き生きとしてて、何もかもが夢と希望に溢れてるって感じだったものね。今じゃもう、そのカケラもないぐらい覇気のない顔してるけど」
「人を落武者みたいに……」
「事実でしょ。あの頃の千隼って、朝から晩まで飽きずに戦隊モノのヒーローの絵を描いたり、英太くんと一緒にヒーローごっこをしたりして、毎日キラッキラした顔で楽しそうに過ごしてたじゃない」
「……」
「それなのにねえ。英太くんが『あんなこと』になっちゃうだなんて……」
母さんの一言で、僕は思わず言葉を詰まらせた。
思い出したくない過去が漣のように脳裏に蘇ってきて、腹の中にずしりと重い鉛が落ちる。
「(英太……)」
――親友の英太は、小学校二年生の時、川の事故で死んだ。
いつもと変わらない学校の帰り道に、橋の上でいじめられて泣いていた子を助けようとして、なんの躊躇いもなく川に飛び込み、そのまま帰らぬ人となった。
『なあ千隼! オレ、ちょっと行ってくる。あの泣いてる子のこと、宜しく頼むな!』
託されるように交わした最後の会話は、今でも忘れられない。
僕にもっと声を上げる勇気が、危険だからやめておけと自分の意見をはっきり主張できる強い心があれば、ひょっとしたらアイツはは助かったかもしれないのに。
「千隼?」
「……」
結局僕は、あの時も、そして高校生になった今も。
厄介ごとを他人事のように傍観するか、物事を受け身でやり過ごすしかできない、おおよそヒーローにはふさわしくないタイプの人間だったって話だ。
「……違うよ」
「え?」
「確かにきっかけとしては一部あるかもしれないけど。でも、僕は僕なりに英太の『死』をちゃんと受け止めているつもりだから」
「千隼……」
「だから、あの事故や英太のせいで僕が腐ったわけじゃない。そこだけは勘違いしないで欲しい」
虚勢を張るように言ったけど、それは紛れもなく事実だ。
夜勤で忙しく、僕の反抗期を受け止める暇すらなかった母さんは何も知らない。
『え、これが噂のイラスト大賞最年少入賞者の作品?』
『園児のお絵かきとぬり絵レベルw』
『この程度のレベルでプロ目指してるとか、夢見過ぎだろー』
親友を失った僕が、その後、唯一心の支えにしていた〝あること〟で、人生最大の挫折を味わい、目の前から色と希望、そして生きる気力の全てを失ってしまったということを――。
「……」
頭をふり、邪念を振り払う。
黙っていると、どんどん気持ちが滅入りそうになるため、気分を変えるようと努めて明るい声色でこの話題を締める。
「とにかく。演劇の件は怪我でもう降板も決まったようなものだし、僕の出番はないから。間違ってもカメラ持って学校に押しかけてくるような真似だけはしないでよ」
念を押すようじとりと睨みつければ、ようやく母さんは納得したように「なによもう、わかったわよう」と大きなため息をついて、これ以上の詮索は諦めたようだった。
『小鳥遊千隼さん、会計窓口までお越しください』
会話が一区切りついたところでタイミングよく流れてくるアナウンス。
僕は英太との思い出、そして不甲斐なく生きている自分の人生から目を背けると、母さんと共に会計を済ませて外に出る。
僕達を出迎えたのは頬を刺すような寒さと色のない雪の世界だ。
僕は空虚な眼のまま白い息を吐き出すと、無言でマフラーに顔を埋め、そのまま病院を後にした。