3.

 紬の両親と担当医に改まった相談を持ちかけたその日、僕は午後の面会時間に改めて病室を訪れた。
 家族、担当医のお墨付きのもと、紬に『ある話』を持ちかけるためだ。
 しかし、すでに検査が終わったはずの彼女の姿はそこになく、代わりに午前中顔を合わせたばかりのおばさんがいた。おばさんに彼女は現在屋上にいると告げられ、エレベーターで七階まで上がって患者専用のテラスに出る。
 庭園となっているそこには、春らしい美しい花々が花壇に咲き揃っており、見る者の心を慰めてくれるようだった。
 紬は、そんな花々に囲まれた中央のベンチにポツンと腰掛け、テラスに訪れた春をぼんやり眺めていた。
 明るい陽の光に照らされて、長い髪の毛が春風に流されるようさらさらと靡いている。絵にしたくなるような美しい情景だが、彼女の表情はいつにも増して覇気がない。
検査で疲れているのか、あるいは……。
 わかりもしない彼女の心情を推し量っていると、僕の来訪に気づいた紬と目が合った。
「千隼くん?」
「こんなところにいたんだ」
 驚いたような顔をしている彼女にひらりと片手をふり、そばに歩み寄って隣に腰掛ける。そこに座ると、色とりどりの花々に周りを囲まれて視覚的にも精神的にも心底安らぐようだったが、病気で色を失っている彼女にはこれが全てモノクロに見えているんだと思うと、なんとも居た堪れない気持ちになってくる。
 紬は慌てたように微笑し、気丈に振る舞った。
「びっくりした。いつもより早いんだ」
「うん。もう春休みだから」
「ああ、そっか。もうそんな時期なんだね。リハビリはもういいの?」
「あとで寄るつもりだけど、もうだいぶ良くなってるから心配にはおよばないよ」
「そう。それならよかった」
 満足したように頷いて、視線を僕から花壇に向ける彼女。
 しばらくそのまま、無言で時を過ごす僕たち。
紬が何を考えているのかはわからない。目に見えて衰弱してきている自分の病状を話すべきか否か、迷っているような間にも思えた。
「調子はどう」
 だからごく自然に自分から切り出してみる。
 すると彼女は、弱音を吐き出して欲しいと願う僕の意思に反して、心配かけまいと癖のように強がった表情を浮かべて答えた。
「まあまあだよ」
「まあまあか……」
「最近検査が多くて疲れるけど、院内歩き回るぐらいには元気だし」
「そっか。小説の方は?」
「あ……えっと。そっちの方はまだちょっとスランプ気味かな」
 とぼけて誤魔化す彼女。予想通りの反応に、僕は目を細めながら続ける。
「そう。ならさ、明日の夕方、気晴らしに取材でも行かない?」
「えっ。取材?」
 思いもよらない僕の発言に、彼女はきょとんとした顔で目を瞬く。
「うん。僕、もう松葉杖も必要なくなったし、スランプ解消にたまには思い切って出かけるのもいいかなって」
「すごくいい提案だとは思うけど、思い切って出かけるって……どこへ?」
「この病院を通るバスの終着点に、遊園地があるの知ってる?」
「え⁉︎ し、知ってる……けど……まさか……」
 まさかそこにいくつもりじゃ、とでも言いたげな目でこちらを見、ごくりと喉を鳴らす紬。予想以上の反応をしてくれる彼女に、僕はなんだかちょっと面白くなってくる。
「そのまさかだよ。そこに行ってみるのはどうかなって。もちろん、体調が良ければ、だけど」
「ほ、本気で言ってるの? いや、最近ちょっと気が滅入っているだけで、体調は大丈夫なんだけどね。でも、千隼くんもわかってると思うけど、お父さんやお母さん、担当の先生が許してくれない気が……」
「なら、内緒でこっそり行けばいい」
「!?」
 驚愕の表情で僕をみる紬の反応があまりにも面白くて、つい、吹き出しそうになるのを我慢する。
 ごめん、紬。実はすでに紬の両親にも、担当医の先生にも制限時間付きでの外出許可をとっていたりするんだ。
 でもそれを言ったら面白くないと思ったし、ともすれば察しの良い紬は自分の死期が近づいているがために許された外出だと誤認してしまうかもしれない。
 なので、そのことはあえて伏せておくことにした。
「僕、昼の遊園地はなんかキラキラしてて苦手なんだ。でも、夜の遊園地なら……なんか、ちょっとわくわくしてこない?」
 好奇心をそそるような僕の提案に、紬は急に顔を輝かせて身を乗り出した。
「おもしろそう! 行く。絶対行きたい!」
 かくして無事に決行されることとなった僕たちの取材と称した気晴らしデート。
 その翌日の夕方 、紬は予定通りにこっそり病院を抜け出して外で待つ僕と合流する。
 約束の場所に現れた紬は、病院を抜け出す背徳感と、イケナイことへのワクワク感で興奮が止まらないといったような楽しそうな表情をしていて、僕は思わず笑ってしまった。
 そうして僕らは、まるで秘密を抱えた冒険者のように期待に胸を弾ませながら、やってきたバスに乗って三十分ほどの距離にある市内の遊園地にたどり着いたのだった。