経験はないけど彼氏の作法を教えてやるよ

いつものようにゼミが終わりに昼食を共にする2人。

「憂太、これ見て」

「うわ、これこの前出たばっかりのゲームじゃん!え、いつ買ったの?」

「昨日!この前話してたから一緒にやらねーかなと思って」

「え、やるやる!」

「よし、じゃあ今日の夜俺の家で酒飲みながらやろうぜ」

「おーいいね、決まり」


大学を出た頃には空はほんのり暗くなっていた。

わくわくしながらお酒とおつまみを買って湊の家に向かう。



「僕そういえば初めて友達とお酒飲みながら遊ぶかも」

「え、そうなの?憂太あんま遊んでなさそうだもんな」

「うん、だから今日はテンション上がってる」

「なんかあんまりテンション上がってるように見えねー」

「上がってるよ笑」

「まあまあ、じゃ、かんぱーい!!」

「かんぱい!」


缶酎ハイで乾杯して、スーパーで買った惣菜やおつまみを口に運ぶ。


「あーハムカツうめー」

「ビールとハムカツの組み合わせも美味しいって僕のお姉ちゃんが言ってた」

「え、そうなの?次ビールにしよ。ていうか、憂太姉ちゃんいたんだな」

「うん、2人いるから肩身が狭いよ」

「いーなー。俺ん家は兄ちゃんと弟がいるから男ばっかだから羨ましい」

「そんないいもんじゃないって」

「憂太の家が羨ましくて嫉妬が暴走しそうだからもうゲームで発散する」


湊は拗ねたフリをしながら新作ゲームを始める。

「え、憂太!ここどうやってクリアすんの、これ状況詰んでない?」

「大丈夫だって、このまま進んでも死なないって」

「いや、絶対これ罠でしょ、あとライフ1こしかないのにそんな冒険すんの怖いじゃん」

「湊びびってるじゃん」

「びびってねーわ!」


二十歳になってお酒が解禁され、ワイワイと友人とお酒を飲みながらするゲームは時間を忘れるくらいに楽しい。
「ふぁあ〜眠たくなってきたあ〜」

眠たそうにあくびをしながら話かける憂太。


「え、ちょっと待って!湊、今何時?」

「ん?1時前…」

「やらかした。終電逃した…しかもものすごい前に」


楽しすぎて本当に時間を忘れていた。

「まあ、このままだと帰れないし、俺ん家に泊まるしかないな」

「ありがとう湊。神様」

「いいよいいよ笑」

「じゃ僕はこのままソファーで寝る。そのブランケット貸して〜。ふぁぁ、ねむい…」

「え、ソファーからはみ出てるけど大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ、はい。困ったら声掛けてな。おやすみ」

「湊おやすみぃ」


春先とはいえ夜はまだ少し肌寒さが残っている。


「ねえ、湊…ねえねえ、ベット入れてほしい」


体を揺さぶられ半分寝ながら起きてみると憂太が目の前にいる。


「ん?なにぃ?」

「湊のベットに入れてほしい」

「んえぇ、布団一つしかないよ」

「ブランケットで大丈夫かと思ったけど、思ったより寒くてちょっと風邪引きそう」

「…入る?」

「うん、ありがと。でも男2人で1つの布団に入ったら狭いなあ」

「入れてもらって文句言うな笑」

「すんません、お邪魔します」


憂太がゴソゴソと布団の中に入ってくる。

「うっわ、足冷たすぎだろ」

憂太の足先の冷たさが自分の足元に伝わってくる。


「あーあ、冷え冷えの憂太がベットに入ってくるからなんか目覚めてきた」

「えーごめん、じゃあ眠たくなるまでなんか話す?」

「いいよ、じゃあ憂太は彼女いたことある?」

「うわ、いじわるしてくる〜」

「いいじゃん、実は前髪上げて眼鏡外したら意外と顔整ってるの俺は知ってるからな。その顔でいないは許せないだろ。本当はどうなんだよ」

「えー、いつそんな姿見たんだよ〜湊の方がかっこいいじゃん」


湊の質問はのらりくらりと躱される。


「本当に何の経験もないの?誰かを好きになったりとか」

湊は負けずに質問してみる。

「ないない、こんなモサモサはモテないから無いよ」

どうやっても適当に返事される。

「あはは、モサモサ自覚してんじゃん。じゃあー、いざとなった時どうすんの?」

「どうしよかな。なんとかなるもんじゃない?」

「絶対ならないでしょ!」

「なるなる」

「どうやって?」

「んー誰かに練習相手をしてもらうとか?」

「うわ、最低じゃん」


女性経験のない湊にとって、憂太のようにいざとなったら何とかなるなんて全く考えられない。
 
「…………じゃあ、もしも彼女ができた時のために練習してみる…?」


憂太に最低と言ったが、たしかに練習できていたらジタバタせずスマートに振る舞えるのかなと考えているうちにとんでもない言葉を発していた。

「え、何、その面白い提案。湊が練習相手になってくれるってこと?」

「え、う、うん。お、俺が練習の彼女役やってやるよ…」

「え…湊が…彼女役?今から…?」

「そ…う……」


自分の提案が恥ずかしすぎて、同じ枕に頭を乗せている憂太が今どんな顔しているのかまともに見れない。

2人の間に流れる沈黙が果てしなく長く感じる。

「(うわー俺、憂太相手にとんでもないこと口走ってるじゃん。この提案に乗ってきたらどうしよ。というか、この沈黙どうすんの、憂太なんで黙ってんの!こんな時どうしたら良いんだよ)」

彼女がいたこともなければ、手を繋いだこともなくて何もアドバイスできることはないが、憂太には絶対にバレたくない。

「じゃあ、お願いする。今から」

「お、おう、今からな…任せろ…」

憂太の彼女役として振る舞おうとしてみる。

「(ああーくそ、こんな雰囲気の時、普通の彼女ってどんな感じになるのかわからんんん〜)」

湊は一生懸命友人たちの彼女の話を思い出すが、もはや憂太が何かするまで待っているのが正解なのか、自分から何か仕掛けるのが正解なのか全くわからない。

それにこんなにも近くに人の顔があること自体も初めてで、どこを見たら良いのかさえわからなくなってきた。


「ね、キス…していい?」

憂太がこの何ともいえない沈黙を破った。
「ね、キス…していい?」

憂太が何ともいえない沈黙を破る。

「え、あぁ」

思わずびっくりして、変な返事をしてしまう。

「(くっそ。やっぱ男前じゃん、こいつ)」

眼鏡を外している憂太を見ると男だとわかっていてもドキっとしてしまう。


「湊、目閉じて?」

「ん…」

言われたとおり目を閉じると、憂太の手が頬に触れた感覚がした。

「(うう…これ以上近くに憂太がきたら俺の心臓の音聞こえる…)」


……チュ。


唇に柔らかい感触がした。

「(う、うわぁ…は…初めてした…)」

憂太の柔らかな唇がそっと離れる。

憂太とした初めてのキスは一瞬の出来事で、ほんのりお酒の匂いがしたが心地良かった。


「もう終わり…?」

暗くてはっきりと顔が見えないよく見えないが、憂太が少し驚いているのはわかった。


「え、僕煽られてる?」

「ち、違うちがう」

自分の発言が急に恥ずかしくなる。


「目逸らさないで、こっち向いて?」

耳元で憂太の優しい声が聞こえる。

そっと優しい声の方へ向くと、気のせいか憂太は少し余裕そうに微笑んでいる。

「んん……」

さっきよりも長めのキスをした。
「…なあ、憂太…お前ほんとにキスすんの初めて?なんか…慣れてる…気がする…」

憂太とのキスが心地よくて、つい思ったことを口にしてしまう。

「えーなに?それってもうちょっとこの先まで進んでも良いよってこと?」

「いや、そういうことじゃなくて、えっと…」

「えっと何?」

「キス上手い?感じがしたような…」

「百戦錬磨な湊に褒められるなんて」

「そんなんじゃねーって」

「じゃこんな時、彼女ならどうされたいの?」

憂太は意地悪そうな顔をしてこっちを見ている。



「ふぁぁ!」

憂太の手が湊の服の中にスルスルと入ってくる。

「きょ、今日はここまで!!」

服の中に入ってくる手を急いで止める。

「こういうのはちょっとずつ慣らすもんなの!」

自分に言い聞かせるかのように言い放つ。


「…うん、そりゃそうだね、ごめんごめん、もう寝よう」

「ま、まあ、憂太はこれから、ちょっとずつ練習していけば良いから…」

「ふふっ、彼氏としての作法を?」

「そ、そう」

「ほんと面白い提案」

「お前のことを思ってだな…」

「あはは、ありがとう。じゃあこれからいっぱい教わらないと」

「…おう、じゃ今日はこのくらいにしといといてやる」


そう言って憂太に背中を向ける。

「湊、おやすみ」

「おやすみ…」


練習とはいえ恋人役になった憂太の体温を背中に感じながら過ごす夜は
これまでの夜の中で1番長く感じた。
セミが夏の訪れを告げ始める時期になった。

それなのに、いつまで経ってもあの夜の事が頭から離れずにいる。

数日間は憂太の顔を見る度にキスのその先を想像してしまうぐらいだった。

どれだけピュアなんだよと情けなくなる。

それに、あの憂太相手にドキドキしていた自分に対しても驚きだった。


なのに憂太自身は全く覚えていないのか、何事もなかったかのような態度で接してくる。

自分だけがあの日に言った練習の恋人役を意識しているのかもしれない。

そう考えると、何となく悔しくて憂太と同じように何事もなかったかのように接している。

前期最後のゼミも終わり、普段通り憂太と昼ご飯を食べようと食堂へ向かっていた。


「あの…湊くん、今ちょっと時間ないかな?」

声をかけてきたのは結衣という将人の高校時代からの彼女だった。

将人は湊が高校まで入っていたサッカー部のチームメイトで、たまに大学に入ってからも会っている。

「わあ、結衣久しぶり!今、時間ないことはないんだけどー」

憂太と昼ご飯を食べた後、一緒に研究室の備品の買い出しに行く予定をしていた。

横にいる憂太の方をチラッと見る。

「いいよ、湊。こっちは別に急ぎじゃないし、先に食堂で食べてるから」

「あぁ、ごめん、ありがと。後で連絡する!」

「はいはい」

憂太はそう言って食堂へ向かって行った。
「で、急にどしたん?」

「あ、ごめんね。せっかくのお昼ご飯だったのに邪魔しちゃって」

「いいよ、大丈夫!この辺りのカフェでも行く?」

「いや、あんまり人が多くない方が良くて…」

「んーじゃあ、近くの公園とか?」

「…うん」


大学の外は強い日差しが降り注いでいて、歩くだけでも汗ばんでくる。

コンビニで冷たい飲み物を買って公園に向かった。


「さっきお友達と一緒だったのに、ほんと急にごめんね」

「大丈夫だって!とりあえず座るのこのベンチで大丈夫?」

公園の中にある唯一の日陰に座った。

「で、将人となんかあった?」

「うん…なんかね…」

俯きながら話し始める。

どうやら彼氏である将人と上手くいってないらしい。

しかも、バイト先の後輩と浮気してるかもしれないときた。

「だから最近、将人と会うと不安になって別れた方が良いのかなって考えちゃって…」

「浮気か…結衣の思い違いって可能性は?」

「その子とずっとLINEしてるくせに、私が怪しんでるだけだって。バイト先の子とは何もないしか言わない」

結衣の細く小さな肩が震えている。

「私と遊んでるときにも通知来て返事してるんだよ?なんでそんな姿見なきゃいけないの?もうほんといや」

「うん。それは…たしかに見るのは辛いな」


結衣の状況を自分に置き換えて考えてみようと思った瞬間、なぜか憂太の顔が頭によぎった。

練習の恋人だったとしても、憂太が誰か別の女の子と親しげに連絡を取り合っている姿を想像すると寂しい気持ちになった。

「どうしたらいいんだろうな。一緒に考えるよ」

とうとう結衣の目に溜まっていた大粒の涙が頬をつたう。

「と、とりあえずこれ…」

泣きだす結衣にタオルを差し出す。

「…ありがとう」

差し出した手に結衣の手が重なる。

「え…」

「別の人といる方が幸せになれるのかな…」

結衣は脚を湊に少しくっつけて、湊の胸元に寄りかかる。
……ぐいっ。

寄りかかってきた結衣の肩を持ってゆっくり離れる。

「結衣。これ以上、彼氏でもない男にくっついたらダメだ」

「え…」

「寂しいから、相手が浮気してるかもしれないからって言ってこんなことすると後で虚しくなるよ」

結衣はタオルで目元を押さえてさらに泣いていたが、くっつけていた脚の向きをそっと元に戻した。


「俺は将人が浮気するような奴じゃないと思ってるし、ちゃんと落ち着いて話した方が良いと思う」

「どうせはぐらかされて話せないもん」

「じゃあ俺がその話し合いに立ち会う!」

「え?…そんなん湊に迷惑かかるじゃん」

「それぐらい余裕!」

「大事な大事な友達たちの困りごとなんだから、乗り越えられるように助け舟でも何にでもなりますよ」

2人のことは高校の時からよく知っているからこそ、すれ違って修復できないような関係にはならないでほしいと思う。

「うわー俺めっちゃ良いやつじゃん」

「ふふっ自分で言うの、それ。もう…笑わさないでよ」

涙をいっぱい浮かべながら結衣は笑った。

「だから自分を大切にしないとダメだからな。わかった?」

「…わかった」

「本当に?」

「ほんとだってば、もううるさい!ちゃんと将人と話すってば」

泣き止んで悪態をつきながら結衣はスマートフォンを取り出している。

チラッと見えた待受画面には、お互いの方を向いて幸せそうに笑っている2人がいた。

自暴自棄になってるだけで、本当はめちゃくちゃ将人のことが好きで将人以外のことは見てないくせに…と頭をぐしゃぐしゃにしてやった。
「あれ、湊?」

結衣の頭をぐしゃぐしゃにしていると公園の前を憂太が通りかかった。

「あ、憂太。もう飯食ったん?」

「食べたよ、買い出し、僕1人で行っておくからゆっくりしてていいよ」

憂太はいつもより低いトーンでそう言って立ち去ろうとしている。

「あ、憂太くん!待って!」結衣が立ち上がって憂太を引き止める。

「もう、話は聞いてもらえて、大丈夫になった…から湊返す!」

「えぇ、いや、大丈夫ですよ。お話していてもらっても…」

泣き止んだばかりでまだ潤んでいる結衣の目を見ないで返事していた。

「湊…ありがと!ちょっとやけになってた…本当にごめん…」

「いいっていいって。結衣、泣きすぎて今めっちゃ目赤くなってる」

「しかたないじゃん」

「でもまあ、必要なら俺ちゃんと話し合いに立ち会うから声かけろよ、絶対に解決させるから」

「…ありがと」

「あ、また泣いちゃう?」

「もう…ほんとうるさい…。でも…落ち着いて将人と話そうっていう勇気出てきた。憂太くんもせっかくの時間だったのにありがとう。じゃあね!」

結衣の泣いて赤くなった目元は柔らかく垂れていたが、すっきりした顔でスマートフォンを持った手をブンブン振りながら去っていった。