組織であるチャトランガには、ボスとするシヴァ様の下に、幹部が在り、そして組員が存在する。
そして俺は他でもない、シヴァ様の『武器』だ。
あの日から俺は、シヴァ様のために生きている。
俺、里田大樹はシヴァ様のいるような進学校に通えるほど頭が言い訳ではなかった。
どちらかと言えば馬鹿の中でも更に馬鹿な方で、中学生のときからよくやんちゃしていたクソガキだった。
そんな俺がシヴァ様と出会ったのは「中学生のくせに生意気だ。」と高校生にボコられていた時だ。
当時まだ中学2年生で、背もまだ伸びていないシヴァ様は正直か弱い美少女と言われても違和感のない少年だった。
高校生だけではない。ボコボコに殴られていた俺でさえ、突然現れたシヴァ様を心の中では鼻で笑った。こんなヒョロヒョロしたガキなんて1発殴られて終わりだろう、と。
しかし、最初に飛びかかった高校生の拳は1発も当たることなく、ひらりと交わされ、まるで蝿を叩くように顔面に1発入れられ、伸びてしまっていた。
「……ああ、すみません。鬱陶しい蝿がいまして。」
なんて、儚い顔をして吐かれた言葉はあまりにも淡々とした言葉だった。
「なんだあれ……化け物かよ……! 」
倒された高校生の仲間がガタガタと震え出す。
中学生相手に高校生が怯えているなんてお笑い種もいい所だが、シヴァ様にはそうさせるだけの迫力と得体の知れない畏怖があったのだ。
地べたに這いずくばっている俺にもわかる。
こいつには勝てない。
たとえ何人がかりで飛びかかろうとも、彼にとってそれは蝿が飛んでいるようなものであっさりとあしらわれ、気づいた時には地面に倒れ伏しているのだろう。
「な、なんなんだてめぇは!?」
「こいつの、な、仲間か!?」
震えた声で持っていた鉄パイプの先を少年に向けた高校生達にはすでに先程のような威勢の良さは存在しなかった。
少年はふと、自身が伸した不良のポケットから落ちた折りたたみのナイフを手に取った。
そんな危険なものまで持ってたのかよ、とぼんやりとした頭で思う一方、彼が持てば例えナイフでも美しく見えるんだな、とよく分からないことを考えていた。
小さなナイフと鉄パイプ。
ましてや中学生と高校生。
分で言えば明らかに高校生が有利で、少年に勝ち目など無いように見えた。
しかも俺達がいるのは狭い廃屋のような場所で、他の第三者からの視界には入りにくく、助けなど来ない場所だ。
しかし、次の瞬間、ドッと壁になにか固いものが刺さるような音がした。
「……俺はただの中学生ですよ。喧嘩とは、無縁です。」
ギギギと、まるで油の切れたブリキ人形のようにぎこちなく首を動かし、自身の隣を見た高校生の1人。
その隣には顔スレスレのところの壁にナイフが刺さっており、そしてそのナイフは先程まで少年が手に持っていたものだ。
ナイフを迷いなく投げるその狂気さ。
そして狙った場所に確実に当てるそのコントロールの正確さ。
適うわけが無い。
喧嘩とは確かに無縁だろう。
彼を目の前にすれば、喧嘩なんてできるわけがねぇ。
まるで『王』だ。
圧倒的な力を持ち、人々を支配する『王』。
高校生達は情けない声を上げて、転びながらも必死に逃げていった。
彼はそれをつまらなそうに見やってから俺の方に近づいてきた。
「……大丈夫ですか?救急車呼びます?」
「問題ねぇよ……これくらい……!」
彼の問いかけに食い気味にそう答えたのはただの意地だった。強がりだ。
この圧倒的な強さに、せめて少しでも近づきたい、目の前の少年に自分が弱っちいちっぽけな存在で終わって欲しくない、そんな意地だった。
その後、俺は人が変わったように勉強した。
彼の下で、彼のために働きたかったからだ。
だが、馬鹿では役に立たないだろう。
ただ殴る蹴るだけできる道具では彼の役には立てない。
なぜなら彼自身が圧倒的な強さを持っているからだ。
ならばそんな彼をサポートできるように、勉強も喧嘩も、全てにおいて強くなろうと思った。
そして俺は地元の中でも有名な進学校へと入学。
もしかしたら彼もこの学校にいるのではないかと探すも、俺の期待は裏切られ、彼に会えないまま、俺は2年生へと進級した。
「新入生代表、芝崎汪。」
「はい。」
けれども、俺はようやく彼を見つけることが出来た。
初めてあった時よりも伸びた身長。低くなりだした声。少し声を出しにくそうにしているのを見ると声変わりの途中なのかもしれない。
彼はいつの間にか『チャトランガ』という組織のボスになっていた。
もちろん俺もすぐに入り、彼、シヴァ様とチェスを何局か対戦するほどの仲となった。
彼は俺を覚えていなかった。それでもいい。あんな無様な出会いより、俺はシヴァ様のために働き、守り戦う姿を見て欲しい。
「俺を、三叉槍に……?」
「ああ、お前のことはシヴァ様も気に入っているし、喧嘩での実力や裏でのお前の人脈は役立つ。幹部になり、シヴァ様を支えてくれ。」
蛇の地位を持つ神島洸太のその言葉に俺はようやく、シヴァ様の『武器』になれたのだと、ようやくお役に立てるのだと、歓喜した。
そんな風に幹部入りしたものの、学校でシヴァ様と会うことは早々なく、学年を考えれば当然だが、2年生と3年生では校舎の棟が違うこともあり、すれ違うことすらなかった。
「あ、シヴァさ……えぇっと、リーダー!」
そのせいか、思わず見つけたその姿に、声をかけてしまった。
思わず「シヴァ様」と呼びそうになったが、慌ててそれを誤魔化して、リーダーと呼び直す。
シヴァ様は背を向けていたものの、俺の声に振り返り、その場に留まってくれた。
「え、兄貴!?」
と、後ろで舎弟どもが騒いでいるのが分かるが、シヴァ様の御前だ。そんなものは無視をする。
恐らく舎弟どももまさか俺がかの有名な『王』をリーダーとしてしたっているなど知らなかっただろう。
こんな進学校には珍しい吹き溜まりな奴らのトップがまさか『王』だとは誰も思うまい。
「リーダーも飲み物買いに来たのか?」
「……ええ、まあ。……今日は少し暑いので喉が乾いてしまいまして。」
流石に校内だからなのか、いつもよりシヴァ様の言葉に壁があるような気がする。
理由は分かるが、距離が置かれているようで少し寂しくも思えた。
「なにを飲むんだ?」
と、尋ねればシヴァ様は少し考えるような仕草をした後
「そうですね……冷たい紅茶でも飲もうかと……」
呟くようにそう答えた。
「待ってろ!すぐ買ってくるからな!」
すぐさま片手に財布を装備し、自動販売機に走れば、シヴァ様は当然と言わんばかりの顔でその場で待っていた。
こういう所もなんとも王らしい。
「ほらよリーダー!」
「……ありがとうございます。」
アイスティーのペットボトルを差し出せば、それを受け取るも、蓋を開けることなく、シヴァ様は自動販売機へと視線をやった。
もしかしてこのアイスティーじゃなかったのか?と不安に思った時、
「ト……あー……先輩は何を買いに来たんですか?」
と、そんな言葉がシヴァ様から零された。
そういえばシヴァ様は俺の本名を知らないな、と思いいたり、
「里田大樹だ。俺はコーラでも飲もうかと思って来たんだ。そしたらリーダーが居たんだ。」
自分の名前とシヴァ様の質問の答えをまとめて言葉にした。
するとシヴァ様は自身の財布から小銭をを出し始め、それを戸惑いなく自動販売機に入れていった。
やはり、俺が買ったアイスティーはお気に召さなかったのか、と密かにショックを受けているとシヴァ様はコーラのボタンを押し、購入したコーラをそのまま俺に向けて差し出してきた。
「え、リーダー?」
「飲みたかったんですよね?」
アジトにいる時のような、少し緩んだ表情。
シヴァ様の不意打ちに感動と尊さが相まって体が震えてしまう。
シヴァ様が!俺のために!
(このコーラは家宝にしよう。)
感動のあまり震えてしまっている手にシヴァ様はペットボトルを持たせると「すみません、授業が始まるので。」とその場から退散してしまった。
舎弟どもが「兄貴!まさか『王』に気に入られているんすか!?」と騒いでいるが、うるさい今俺はシヴァ様の尊さを実感しているんだ。
***
もちろん芝崎汪から見た当時の真実は、本当に蝿が周りを飛んでいて偶然蝿を追い払おうとして振った手が勢いよく高校生の顎に当たってしまい、そして強く脳を揺らしたために気絶させてしまった故に起きたことだ。
彼自身が「手になんか当たった……?」と、振り返った時には高校生は地面に伏していたため、視界に入っておらず彼は人を気絶させたことにも気づいていない。
「……ああ、すみません。鬱陶しい蝿が今して。」
というセリフも彼を凝視していた他の高校生に「手を振ってる所見られた!変な人に思われてる!?」という、斜め上どころか180度違う解釈をしたため、「蝿がいたから手を振っていただけですよ!」という弁明であるし、
「な、なんなんだてめぇは!?」
「こいつの、な、仲間か!?」
そもそも彼はこの時点でようやく人が襲われていることに気がついたのだ。
相手は鉄パイプを持っているし、見るからに不良。
なんとか襲われている人を助けて自分も逃げる方法はないか、と辺りを見渡した時にたまたま視線が下に行き、気絶していた高校生に気づいた。
「きっとこの人は止めに入って返り討ちにされたんだ……!」と、更に曲がった解釈をした芝崎は襲われている人を助けて自分も逃げる、という案から、とにかく自分だけでも逃げて大人に助けを呼ぼう!という案に変わった。
しかし、不良達の気をそらさなければこのまま逃げても追われるだろう、と考えた芝崎は倒れている高校生のポケットから落ちた折りたたみのナイフに気づき、それを拾い上げた。
彼自身、これで応戦しようなどとは思っていなかった。
ナイフという危険物が投げられればどんな怖い不良だろうとも一瞬は身構えて目を瞑るだろう、という考えの元、本人は彼らの『天井付近に向かって』、ナイフを投げたはずだった。
ところがスルッと手から離れたナイフは人の顔の真横に刺さり、流石の芝崎もこれは焦った。
そして、ボコボコにされている人物がそれなりに名の知れた同じ中学生の不良だと気づいた時、「あ、これ俺も仲間と思われてボコボコにされるやつ……」と思ってしまったのだ。
「……俺はただの中学生ですよ。喧嘩とは、無縁です。」
喧嘩なんてしたことないです、と、仲間じゃなくてただの通りすがりの人ですよ、と言えば良いものを、彼の口下手がここぞとばかりに発揮された瞬間だった。
つまり、彼は本当に喧嘩とは無縁であり、全ては偶然の賜物である。
里田大樹こと、チャトランガの幹部、三叉槍は、この上なく上機嫌だった。
幹部と言っても、里田は毎日アジトに顔を出せていたわけではない。彼自身がリーダーを務める不良グループもあるし、チャトランガのフロント企業でアルバイトもしているため、どうしてもアジトに通える日数が限られてくる。
しかも、顔を出した日に限って自分がリーダーと崇めるシヴァ様が来ていない日もあったり、来ていても入れ違いになったり、なかなか会えない日も続いていた。
そんな彼に、学校で会えたのだ。
久々の会話。しかも、自分のために飲み物まで買って下さった!と、里田は今にもスキップしそうな勢いで上機嫌だ。
「んあ?なんだ?」
しかし、そんな彼の耳元に聞こえてきた騒音はあまりにも不快なもので、思わず里田は音のする方へと足を進めて行った。
それは聞き慣れた喧嘩の騒音だったが、罵倒する声は同じ人物からしか聞こえず、一方的に危害を加えているようだった。
案の定、騒音の場所にたどり着けば、身を縮めた少年が、一方的に蹴られ殴られ、そして罵倒されている様子が目に入った。
「おいてめーら!何してんだ!」
もちろん里田も喧嘩はよくする。
だがそれはあくまで不良同士の殴り合い。相手も殴ってくるし、こちらも殴る。
けれども今、目の前で行われているのはただの暴力だ。無抵抗の相手を一方的に痛めつけるなんて行為を、ましてやシヴァ様の管轄地であるこの場所で許せるはずがなかった。
里田の声に不良達は「やべぇ!槍の里田だ!」と、慌てた様にその場から逃げ出した。
向こうがやる気なら里田も応戦するつもりだったが、あまりにもあっさりと逃げ出した不良達に里田は舌を打つ。
そして、痛みに呻く少年に「おい、大丈夫か?」と声をかけた。
そこでようやく里田はその少年が自分と同じ学校の制服を着ていることに気がついた。
ネクタイの色から恐らく1年生と思われる彼は里田の手を借りながらなんとか立ち上がる。
しかし、その足取りがあまりにもふらついているので、里田は肩を支え近くの段差に座らせた。
「肋は折れてなさそうだな……あんまり痛むようなら一応病院行けよ?」
と、里田は少年に絆創膏を渡す。
少年はそれに小さく「ありがとうございます……」と言葉を返し、絆創膏を受け取った。
喧嘩なんて無縁であろう少年に、これは辛かっただろう、と里田は近くの自販機で水か何かを買おうかと辺りを見回した時、少年が「あの、」と言葉を切り出した。
「け、喧嘩!強いんですか……?」
下から恐る恐る、というように見上げてそう問うた少年に、里田は目を瞬かせる。
「あー……まぁそれなりに、な。」
と、ぼかすように答えると少年は「じゃ、じゃあ!」といきなり立ち上がり、そして腹の痛みに呻いた。
「おいおい大丈夫かよ!?」
里田は突然の少年の行動に驚きつつも駆け寄り腹を抱える少年の背中に手を添え支える。それに少年は「ありがとうございます……」と小声でお礼を言いながら、再びゆっくりと腰掛けた。
「ぼ、僕に、喧嘩教えてくれませんか!?」
意を決した様に里田を真っ直ぐ見つめ、そう言葉にした少年に、里田は目を丸くする。
里田自身も、自分の顔が怖いのは自覚していたし、助けたとはいえ、気の弱そうな少年が真っ直ぐ自分を見やったあげく、喧嘩を教えてくれなど言うとは思ってもいなかった。
しかし、少年はそのまま忙しなく言葉を並べ繋げる。
「僕は弱くて、自分の意見も怖くて言えないとか多くて!で、でもそんな自分がすっごく嫌で!だから、あの……」
と、徐々に尻すぼみになっていく言葉に比例して、少年が握る手のひらに力が籠っていく。
「強くなりたいんです……変わりたいんです……!」
変わりたい、という言葉に、里田は自身が崇拝するシヴァ様のことを思い出した。
彼がボスとして君臨する組織、チャトランガは現状を変えたいを願う者達が志願して入ってくることが多い。
それは自分のことであったり、周りのことであったり、理由や対象は様々だが、ほとんどは自分のいる現状を変えたいと願って所属している者達だ。
ちなみに他の理由としては里田の様にシヴァ様の力になりたい、というものが多い。
「……なぁ、お前、俺達の組織に入るか?」
「……え?」
里田は幹部だ。
彼が良しと言えば、組織入りは間違いなく通る。
何より、蛇が志願者に出す『現状を変えてみろ。』という試験には合格にあたるはずだ。
彼は今、現状を変えるために里田に自分の思いを伝えることが出来たのだから。
「俺のいるチャトランガという組織にはお前みたいに『現状を変えたい』と願う者が集まっている。お前が組織に入れば組織は全力でお前の力になるし、現時点でお前は俺に『現状を変えるため』に喧嘩を教えて欲しいと言った。その時点でお前は現状を変えるための1歩を踏み出している。後は俺たちが力になってやるよ。」
どうだ?と問う里田に、ぱちくりと目を瞬かせる少年。
ただ喧嘩を教えて欲しかっただけなのに、謎の組織への勧誘へと話が発展し、少年は大分困惑していた。
それでも、自分の恩人である彼が、どうしても悪い人には思えず、その組織のことも、悪いものには思えなかった。
「……あなたも、何か現状を変えたいと願ったんですか?」
「いや、俺はシヴァ様の力になりたくて入ったんだ。」
「シヴァ様?」
「ああ!あの御方はすげぇんだぜ!」
少年が言葉を繰り返すと、目をキラキラと輝かせて、少年の隣に座った里田は自分にとってシヴァ様がいかに素晴らしい人間かを語っていく。
「だから俺はシヴァ様のための武器になったのさ!」
と、まるで小学生が親に何かを自慢するように無邪気にシヴァ様を褒めたたえていく里田。
それに少年は「そんなに凄い方実在するんですね……」とどこか夢物語のように聞いていた。
「それにシヴァ様はチェスがめちゃくちゃ強くてよ!俺も勝てた試合は片手で数えられる程度だぜ。あの御人は一体何手先まで読んでいるのかわかんねぇ。本当にすげぇ方なんだ!」
ニカッと眩しい笑顔で楽しそうにシヴァ様を語る里田の様子に、少年は少し笑みを漏らした。
なんだか、飼い主のことが好きでたまらない!と言わんばかりに尻尾を振っている大型犬のように思えてきて、強面であるのに、里田が可愛く見えてしまう。
「さすがにそれは大袈裟じゃないかな。」
思わず、というようなクスリと笑う声が聞こえた。
「えっ……!?」
澄んだよく通るその美しい声は、里田だけではなく、少年もよく知る人物のもので、2人は勢いよく、声の方向へと顔を向けた。
「シヴァ様!?いつから聞いてたんすか!?」
「王様!?」
羞恥で真っ赤になっている里田の横で、少年は目の前に現れた人物に思わずフリーズしてしまう。
彼の通う学校で、王様__……芝崎汪の事を知らない人間はいないだろう。
彼の圧倒的なカリスマ性と、その容姿は留まることを知らず、彼が白を黒だと言えば本当に黒になってしまうほどの影響力がある。
少年にとっても、王様は憧れの存在であり、遠目からいつもその御身の尊さを眺めていたものだ。
そんな王様が目の前にいる。
「し、し、シヴァ様って王様のことだったんですか!?」
思わず自分の隣にいる里田の肩を強く揺すってしまう。もう蹴られた腹など気にしている余裕はない。
「チャトランガって王様の組織ですか!?僕、そんな凄いところに勧誘されてるんですか!?」
憧れの域を超え、最早崇拝していると言っても過言ではない王様のいる組織に勧誘されている。
そうなれば少年に断る理由なんてなかった。
「入ります!絶対入ります!」
ガクガクと容赦なく里田を揺らしながら、少年、松野翔はチャトランガに入ることを決意した。
その言葉に王様こと、芝崎が「メンバーが増えて嬉しいよ。」といつもあまり動かない表情を嬉しそうに緩めていたため、松野は完全に容量をオーバーし、その日どうやって家まで帰ったか全く覚えていない。
もしかして夢だったのでは、と思ったものの、自分のスマートフォンには連絡先を交換した里田の名前があり、その上には王様の連絡先もある。
「……僕、今日命日かもしれない。」
とりあえず、頬も抓ってみるも普通に痛かった松野は、現実を受け止めきれないまま、その日は就寝した。
今後、里田や他のメンバーと同じようにシヴァ様ガチ勢になっていくのはそう遠くない未来の話である。
チャトランガに新しいメンバーが増えた。
何だかんだで人数の多いチャトランガは気づけば新しい顔ぶれが増えていたりするけれど、何故かトップに祀り上げられている僕とはなかなか接点がない。
というより基本的に幹部のメンバーは変わらないし、幹部だけのアジトでいつも蛇さんとか三日月さんとかとチェス対戦している。あとはたまに三叉槍さん。
だからそもそもそこに新人が訪れること自体がない。
「それにシヴァ様はチェスがめちゃくちゃ強くてよ!俺も勝てた試合は片手で数えられる程度だぜ。あの御人は一体何手先まで読んでいるのかわかんねぇ。本当にすげぇ方なんだ!」
と、昨日の帰り道、聞きなれた声と名前に、思わず足を止めればそこには嬉しそうに笑いながら僕のチェスの腕前を褒める三叉槍さんが。
好きな物、しかもチェスの腕前をそこまで褒めてくれる三叉槍さんの様子にきっと僕の顔は緩みきって大変気持ち悪いことになっていただろう。
「さすがにそれは大袈裟じゃないかな。」
でも、同じようにチェスの強い三叉槍さんに、本当にすげぇ方なんだ!と豪語されるほどではないと思う。
そもそも三叉槍さんとの試合はいつも僅差で僕が勝てているようなものだし、蛇との試合では今のところ勝敗は五分五分らしいし、彼も有数の実力派だ。
「シヴァ様!?いつから聞いてたんすか!?」
「王様!?」
どうやら僕が思わずこぼした独り言が耳に届いたようで、2人が慌ててこちらを振り返った。三叉槍さんが、珍しく顔を赤くしていたので、きっとあの言葉は本心だったのだろう、と僕はまた顔をだらしなく緩ませていたと思う。
その後、何故か力強く「入ります!」と宣言した松野君。
チェスの話をしていたところを見ると、彼は恐らく三叉槍さんのチェス友達なのだろう。
チェス友達の三叉槍さんがチャトランガに所属しているため、恐らくこの組織に入ったのだろうけど、ここ、普通の組織じゃないんだよなぁ。
一応、チャトランガの拠点に案内しては見たものの、彼は不良組織には似合わないタイプの人間だし、とりあえずチェスに誘ってみた。
しかし大変言いずらそうに「すみません……チェスは初心者で王様と対戦できるほどの実力は……」と、どこか泣きそうな顔で告白された。
(あー、初心者なのもあってチェス友達の三叉槍さんから僕の話聞いたりしてたのか……)
もしかしたら、三叉槍さんは組織に所属するついでに他のチェス好きに色々指導してもらえ、的な感じで勧誘したのかもしれないけど……これ、松野君も僕みたいにただのチェスクラブと勘違いしているのではないだろうか。
(……うーん、でも三叉槍さんが誘った以上断れないし……組織のことには触れさせずにチェスだけ教えればいいかな……)
なんて考えては見たものの、完全に萎縮している目の前の松野君にチェスをやらせるのもなんとなく気まずい。
まずは松野君もできるチェス以外のボードゲームとかで緊張を解す所からやってみようか。
実は、僕自身他のボードゲームも好きで、オセロや将棋、囲碁なども嗜んでいる。
もちろん、1番好きなのはチェスだけれど。
次にチャトランガに顔を出す時は他のボードゲームも持ってこようかな、と自分の中で計画を立てていく。
それに、チェスの強い蛇さん達が他のボードゲーム……いわばマインドスポーツにて、どんな手法を用いて勝利を目指すのか見てみたい。そして是非とも対戦したい。
(ま、まあ、僕が不本意ながらもトップなんだし!少しくらい勝手してもいいよね!)
もちろん、松野君ともチェスをしたいので、まずはチェスの基礎を教えて、他のボードゲームも楽しみつつ、いつか対戦できたらいいな、と思う。冒頭でも触れたように、僕はあまり新人と接点がないので、珍しく接点の出来た後輩に少し浮かれつつ、そう考えていれば、いつの間にか解散モードになっており、その日はお開きとなった。
***
(目立ってる……)
今僕が立っている廊下は賑やかとは別の意味で騒がしい。
何故なら僕がいるのは一年棟と呼ばれる主に一年生の教室がある棟で、二年生のネクタイを締めている僕はとても目立つのだ。
しかもこの目付きの悪さが相まって、完全に不審人物ならぬ不審先輩扱いだ。
遠巻きにこちらを見てはそれぞれが口々に何かを言って騒いでいる。
まずは放課後、松野君と遊びつつ、チェスの練習ができたらいいな、なんて思い、都合がいいか聞きに来たのに、これではまず見つけるところから出来そうにない。
(……そ、そんなに僕の顔って怖いかなぁ……)
それでもここまで来てしまったので、引き返す訳にはいかない。
何としても松野君を見つけて、話しかけなければ!
そうは言っても僕は松野君のクラスを知らないので、誰か他の生徒に尋ねなければいけない。
しかし、もとより自分から意気揚々と話しかけに行けるような人種でもなければ、人と話すことが得意という訳でもない。
とりあえず、話しかけやすそうな人がいないかと辺りを見回すも、皆見事に僕から一定の距離を保ってこちらを見ている。
「はぁ……」
これは見つけるのは無理そうだ、と思った所で僕は気づいた。
そういえば昨日、連絡先を交換していたことに。
(僕のバカ!普通に連絡すればよかったんじゃん!)
わざわざ一年棟まで来て変な注目を浴びて不審者扱いされに来る必要なんてこれっぽっちも無かった。
とりあえず、「知り合い探しに来たんだよー」と周りに弁明をするかのようにスマートフォンを取り出し、載る人の少ない連絡帳から松野君の名前を選ぶ。
何度かコールした所で『王様!?どうしたんですか!?』と慌てた声が飛び込んできた。
何故か僕には学校で「王様」という呼び名が付けられている。
俺自身は何故そんな呼び名がついたのかわからないし、あったとしてもきっとろくな由縁じゃないとわかっているので、あまり好きではない。
あと考えられる理由があるとするなら名前の『汪』からさんずいを取ると『王』になるから、くらいなものだが、それも「お前そんな陰キャで王とか笑えるな!次から王様って呼んでやるよ!」くらいの理由だろう。
なんだろう、悲しくなってきた。
「……松野君を探していたんだけれど、見つからなくて。あと僕のことは『王様』じゃなくて『汪』で言いって言っただろう?」
と、なんとか敬語を使いそうになる所を先輩っぽく在りたいという小さな意地で留める。
『す、すみません……!今どちらにいらっしゃりますか?』
突然押しかけたにも関わらず文句一つも言わない後輩が本当に可愛い。
よし、僕が思うチェスのコツを全て伝授してあげよう。
なんて、心に決めながら、「一年生棟まで来ているんだけど、都合悪かったかな?」と、応えた。
そして何となく廊下の窓から下へと視線を滑らせると、ちょうど電話相手である松野君とその友達と思われる生徒が数人見えた。
中庭でもかなり隅の方のそこは普段ならなかなか目につかない場所だろう。
よく気づいたな僕、と内心感心しながら目を細める。
僕は運動神経や勉強は駄目駄目でも、視力だけは自信があった。
そのため、松野君達の近くを飛び回る虫が目に入った。
何の虫かまでは分からないが忙しなく近くを飛びまわるそれが、蜂にも見えなくも無い。いや蜂じゃなくても人を刺したりする虫かもしれない。俺は虫に詳しくないのでその辺はよくわからないが。
しかし、目に入ってしまったものは気になってしまう。
ちょうど相手とも通話していることだし、と虫がいるから談笑場所を変えたら?という親切な提案のつもりで
「虫がいるね。」
と、口走った。
口下手な僕が、見事にやらかした瞬間だった。
『……その虫が、例えば僕に害を成したら、王様はどうしますか?』
しかし、松野君には大まかな意味が伝わったらしい。
すごいよ、松野君。君絶対頭いい人だろ。
「……そうだなぁ、潰すとか?」
俺は蚊とかは見つけたら即座に潰してしまうのだけれど、思えば遠目から見ても分かるような大きさの虫を潰すのはいくら男子でもきついかもしれない。僕も素手で潰せと言われたら戸惑うだろう。
それに、窓の向こう側に見える男子たちの顔がサッと青くなったので「え?これ先輩命令?やれってこと!?」みたいな流れになってしまったのかもしれない。
「……害がなければ、放っておいていいと思うよ。僕はね。」
違うよー、先輩命令とかじゃないよー、となんとか弁明するも、松野君以外の男子達はどこか慌てたようにその場から走り去ってしまった。
「ああ、虫がいなくなった。」
そんな勢いに近くを飛んでいた虫も驚いたのかどこかへ飛んでいってしまう。
もしかしてあの男子達は虫が苦手だったのかもしれない。
それなら悪いことをしてしまったと、内心反省する。
しかし、僕は彼らと面識はないので、後で松野君経由で謝罪を伝えて貰おう。
「所で松野君。今日の放課後は暇かな?」
とりあえず、僕は友達と放課後遊ぶという念願の夢を叶えよう!
僕は、変わりたいと思った。
そして変わるなら今しかないと、そう思えた。
「で?ゆーとーせーな松野君が、俺たちに何の用?」
ニヤニヤと笑う目の前のクラスメイトは、僕を、いや他の人たちもいじめ、支配下に置いて楽しんでいる。
僕がここで、終止符を打つんだ、と拳に無意識に力が篭もる。
「やめてほしいんだ。もう。」
「はぁ?」
「クラスの中で誰かを無視するように指示したり、カーストを作ったり、前にも言ったけど、やっぱりこれおかしいよ。」
「おいおい、カースト最下位がなんか言ってんだけど?」
「最下位に人権はありませーん!」「おかしいって俺たちがルールだし?」「ほんとそれな!」とゲラゲラ汚らしく笑う彼らに顔が歪む。
何人が、一体何人もの生徒が彼らに心を踏みにじられたことか。
変わらないと。
僕がここで、変わらないと、現状は何も変えられない。
そんな時だった。
いつも鳴らないスマートフォンが着信を知らせたのは。
ポケットから少し出して画面を確認すればそこに書かれていたのは「王様」という文字。それに僕は目の前の彼らのことも忘れ、慌てて通話のマークへと指を滑らせた。
「王様!?どうしたんですか!?」
王様、という単語に、リーダー格のクラスメイトが「貸せっ!」とスマートフォンを奪い、スピーカー機能をオンにする。
それにより、静かな中庭に、王様の澄んだ声がよく響いた。
『……松野君を探していたんだけれど、見つからなくて。あと僕のことは『王様』じゃなくて『汪』で言いって言っただろう?』
まるで親しい友人に声をかけるような声色で、名前呼びを許容する王様のその台詞に、目の前のクラスメイト達ありえないと言うように僕に視線を向けた。
王様に敬称も付けず、しかも下の名前を呼んでいいなど、明らかに『特別な存在だ』と宣言しているようなものだ。
それが、カースト最下位の僕に向けて言われている。
なんとも言えない優越感と、幸福感が、内心を満たしていく。
「す、すみません……!今どちらにいらっしゃりますか?」
先程王様は僕のことを探していたと仰っていた。
それはつまり、僕になにか用事があったということだろう。それならば、目の前の彼らを放っておいても直ぐに駆けつけなければ。
正直、目の前の彼らはもう僕になにか大きなアクションを起こしてくることは無いだろう。
ここまであからさまな王様の『特別な存在』であるというアピールは彼らへの牽制ともとれる。
僕になにかすれば、今度は彼らが王様により処断される。きっと彼らはそう考えるはずだ。
『一年生棟まで来ているんだけど、都合悪かったかな?』
(王様がわざわざ一年生棟に!?)
それほどまでに重要な用事だったのだろうか、と見える訳でもないのに、思わず顔を自分の教室のある階へと向けてしまう。
すると、まるでそれを分かっていたかのように、見上げた窓の奥に王様が現れた。
そして、スっとその目が細められる。
『虫がいるね。』
それは、あまりにも冷たく、そして淡々とした声だった。
ヒュッと、リーダー格のクラスメイトの喉が引きつった音を鳴す。
「……その虫が、例えば僕に害を成したら、王様はどうしますか?」
虫なんて遠回しな表現をしておきながら、その対象はしっかりとわかる。
虫と比喩されたクラスメイトが救いを求めるように王様を仰ぎ見た。
しかし、
『……そうだなぁ、潰すとか?』
王様から吐き捨てられた言葉は残酷だ。
なんの価値もないものを見るかのようなその目に、クラスメイトの顔色は可哀想に成程血の気が引き、恐怖で歯をカチカチ鳴らす。
これは間違いなく、王様からの『警告』だった。
僕に手を出すような『害虫』は『潰す』と。
王様ほどの影響力を持つ人間が本気で人を潰しにかかれば、もう二度と立ち直ることの出来ない人生を歩むこととなるだろう。
『……害がなければ、放っておいていいと思うよ。僕はね。』
暗に何もしなければこ見逃してやると告げるその言葉に、クラスメイト達は勢いよく逃げ出した。腰も引け、情けない走り方だったが、王様に直接脅しをかけられたのだ。むしろ動けただけ凄い。
僕なら気絶しているだろう。
『ああ、虫がいなくなった。』
なんて呆気ない。
王様が一声、脅しをかけただけで彼らのこれから先の高校生活はより一層厳しいものになるだろう。目立たず、王様の機嫌を損ねないように、静かに息を殺すように過ごしていく。
彼らに残された残りの学校生活の過ごし方はもうそれしか無いのだ。
『所で松野君。今日の放課後は暇かな?』
まるで親しい友人にかけるような優しいその声色は、先程までクラスメイトに向けていたような冷たさは無い。
僕はその事にホッと安堵を漏らし、そして「はい、大丈夫です。」とその問いかけに回答を返した。
王様は僕を守ってくれたんだ。
変わりたいと言っても、力のない僕に、『王様の気にかけている後輩』という強みをくれた。
なんて強く、素晴らしい御人だろうか。
(……もっと、王様の役に立ちたい。)
いつの間にか僕にはそんな思いが湧いていた。
「チェスの基本はまず、駒の特性を理解することだ。」
放課後、松野君と遊ぶ約束を取り付けた僕は、今日も変わらず目の前にチェスのボードを広げていた。しかも場所はチャトランガの部屋である。
遊ぶと言ってもボードゲームしか浮かばなかった俺は本当にボードゲーム馬鹿。
しかし、松野君にもチェスのことを教えると約束したし、ある程度の基礎知識は覚えていて損は無いはずだ。
すぐには俺や蛇さん等の幹部を相手取るような試合は無理だろうが、チェスも経験が大切だ。
基礎知識から経験を重ね、応用し、策を練り、それぞれの状況に合った駒の動かし方を覚えていく。
そうして試合数を重ねていけばいつか松野君も強いチェスプレイヤーとなるはずだ。
「キングは試合の勝ち負けを決める駒だ。彼が追い込まれれば負け、彼を追い込めれば勝ちとなる。ただ、キングを盤上から退かすような事は勝敗を決める際にもしない。『取る取られる』、ではなく『追い込む追い込まれる』が勝敗だ。動かせるのは周辺に1マスのみ。」
と、簡易的な駒の説明に、「てっきりキングも最後には取るのかと思ってました……」と、松野君が興味深そうに盤上を眺めている。
「そして、クイーン。彼女が1番大きく動き、そして攻撃の要になる事ができる。上下左右斜め、どこにでも行くことが出来る。」
「えっ!それってほとんど無敵って事じゃないですか!」
「まあ、そうだな。彼女を取られればほぼ負ける。攻撃でも守りでも彼女は要だ。動ける範囲が広い分、可能性も多大だ。だからこそ、彼女を終盤まで残せるか否かも重要になってくる。」
「すごい駒なんですねぇ……」とクイーンへと関心を寄せる松野君を見ながら、思えば三日月さんの以前の名前がクイーンだったな、とふと思い出した。
その名の通り彼女の試合はクイーンが中心の攻守のバランスが取れたプレイヤーだ。クイーンの動かし方については彼女の方が知識は多いかもしれない。
そう思いチラリと三日月さんの方を見ると何故かこちらを凝視している三日月さんと視線がかち合った。
あまりの目の見開きようにどこか危機迫ったものを感じるが、そんなに変なことを俺は言っただろうか?
(……あ!もしかして同じクイーンだからって前の名前教えんじゃねぇぞってこと!?)
確かに、いくらチェスが好きだからって駒の名前をそのまま組織の名前として使っていたというのは名前を変えた今では恥ずかしい記憶なのかもしれない。
(大丈夫です!僕は言いません!言いませんよ!)
と、心の中でだけ勢いよく返事をするが、コミュニケーションが苦手な僕が女子相手に現実にそんなこと言えるはずもなく、とりあえず安心させるように微笑んでおいた。
その後、ビショップやナイトなどの駒やキャスリングやアンパッサンなどの特殊ルールなどを説明していき、今度は実際にボード上で擬似的な試合をしてみる。
いきなり新しい知識を詰め込まれた松野君だったが、さすが進学校に通うだけあって飲み込みが早かった。
僕のような偶然入れた人間じゃないから頭の良さが違う。
僕は本当に運良く入れただけで、そしてたまたま入学式の時には祝辞を述べることとなったが、あれも偶然頭の良い生徒が体調不良で欠席していたせいだろう。
廊下に張り出されている結果表には上位20位までの名前が載せられるが、そんな上位20名に入るわけがないと知っているので自分の心の安泰のためにも1度も見に行ったことがない。
たまに、廊下に出る時に何かの奇跡でギリギリ20位に入っていないかな、とちらりと見るも、その20位と書かれた数字の横に自分の名前が載ったことなど1度もなかった。
我ながら悲しくなってきた。
「シヴァ様!ありがとうございました!」
勢いよく頭を下げる松野君に苦笑を漏らす。
名前呼びでいいと、何度か言っているが、恐らく彼は学校では王様と呼び、ここではシヴァ様と呼び分けるのだろう。
何だかちょっと悲しいけど直らないのなら仕方がない。
「こちらこそ。楽しかったよ。今日教えたのはあくまで基本。これらを理解して経験を積み、応用していけばより優れたプレイヤーになれる。……それに、松野君は新人だし、色々な角度から物事が見れるかもね。」
チェスには色々な定跡がある。それをあえて崩すという戦法もあるし、そういう斬新なことは意外に始めたばかりの新人とかの方が出来たりする。
「はい!チェス頑張って覚えます!」
「楽しみにしてる。」
再び元気よく頭を下げて、帰路を走っていった松野君にヒラヒラと軽く手を振る。
うん、なかなか学生の放課後らしいことが出来たんじゃないだろうか?
そう1人満足していると、
「シヴァ様はやはり流石ですね……」
と、謎の言葉を三日月さんから頂いた。
え、それはチェスの腕前ですか?
それとも僕の口下手の方ですか?
(……また変な勘違いされてなきゃいいけど……)
とりあえず当たり障りのないように、
「僕なんてまだまだですよ。」
と言っておいた。
三日月の地位を持つ日向美夜は、新しくやってきたメンバーに、疑心を抱いていた。
同じく幹部である 三叉槍が勧誘し、シヴァ様が直々に本拠地であるこの部屋まで連れてきた彼は、緊張のあまり目を回す勢いだった。
調べれば調べるほどに平凡。
特記するような才能もなければ、成績も平均通り。広くも狭くもない友好関係。特に問題のない、平均的な家庭。
(……何故シヴァ様はこんなやつを……?)
ただ組織に入れるだけならわかる。
実際、彼はクラスでの現状を変えたいと願い、 三叉槍に、喧嘩を教えてくれと頼み込んだ。蛇が試験を与えたとして、それはきっと合格になるだろう。
だが、そうだとしても、わざわざシヴァ様が気にかけ、幹部しか知らないあの部屋にまで通した事が、どうしても納得できない。
シヴァ様のことを疑う訳では無い。
きっとシヴァ様にはシヴァ様のお考えがあるのだろうし、シヴァ様が目をかける存在であるのならば、私たちが邪険にする訳にも行かない。
それでも、やはり納得は出来なかった。
(あんな平凡なやつ……私や蛇は前の組織からいるけれど、それ以外の幹部は皆何かしら才能があるから幹部の地位にいるのよ……それなのに、なぜシヴァ様は……)
幹部の部屋に通したということはシヴァ様は恐らく、彼を幹部に据えたいと考えているはずだ。
三叉槍は武力と人脈を、私はハッカーとしての才能を、蛇はカリスマ性と組織をまとめる裁量を心得、その才能をシヴァ様のために使っている。
けれども、彼には何が出来る?
年齢に関しては問題ない。なんせ最年少幹部である川の名を持つ、宮川小鳥はまだ15歳の中学生だ。その分突飛した才能があるのだし。
そう、彼には突飛した才能なんて無いのだ。
まるで、今までの自分を否定されているようだった。
才能があるから選ばれたのだと、私の才能をシヴァ様が欲していると、そう思っていた私自身を。
(……やぁね、全く……蛇とチャトランガの前身である組織を作った時には、こんな気持ちでいたわけじゃないのに。)
私がこの組織に入った理由に、私の妹が関わった事件がその根幹にある。
私の妹はまだ小学生だった。
それなのに、殺されたのだ。小さな、あの子を私よりも年下の男の子によって。
彼は当時まだ中学生で、名前も報じられることもなければ、その顔が晒されることもなかった。そして大した刑期を受けることもせず、出所した。
許せるはずがなかった。
まだ彼が反省していたのならば、私の怒りも次第に収まったかもしれない。
だが、彼は全く反省なんてしていなかった。次のターゲットの子供に目星を付けるような行動も見られ、再犯も時間の問題だった。
そんな時だった、蛇である神島洸太と出会ったのは。
彼もまた、最愛の兄弟を他者に殺された1人だった。そして加害者が大した罰を受けずにのうのうと生きている点に関しても同じだった。
私たちはその憎しみと恨みに共感し、お互いがお互いの復讐を計画した。
罰を逃れ、免れた罪人に、正当な罰を。
自分勝手な理由だといえばそうかもしれない。でもこの世の中には罰から逃れた罪人が多すぎる。
だから、私たちはお互いの復讐を計画した。
バレないように、綿密に練られた復讐計画を。
それが、前身である組織『チェス』を作り上げるきっかけとなった。
同士が、世の不平等さを変えたいと願うもの達が、こんなにも集まり形となった組織。
法が全ての罪人を裁けないのはある意味仕方がないのかもしれない。
法を作るのも、人を裁くのも、結局は人なのだから。
それでも、法すらも無視して制裁が下されるのなら、それは見方を変えれば抑止力に繋がる。
だから私はシヴァ様に着いてきたのに。
(……前の組織の気持ちを引きづったままではシヴァ様の理想のために立っていることは許されないのかしら……)
ぐるぐると回る思考はどんどんマイナスの方へと向かっていく。
吐きそうなぐらい、胸の底が気持ち悪い。
「そして、クイーン。」
シヴァ様の穏やかな声が、突然耳に飛び込んできた。
(……あ、違う。私じゃない。駒の話だわ……)
松野翔はチェスを、畏れ多くもシヴァ様直々に教えて貰っている最中だ。
その中の説明でクイーンが出てきただけだと言うのに、何故かこのタイミングでその名前を呼ばれた事に、何故か胸がざわめいた。
なんとなく、私にも話しかけているかのような、そんな気がしてしまったのだ。
「彼女が1番大きく動き、そして攻撃の要になる事ができる。上下左右斜め、どこにでも行くことが出来る。」
「えっ!それってほとんど無敵って事じゃないですか!」
「まあ、そうだな。彼女を取られればほぼ負ける。攻撃でも守りでも彼女は要だ。動ける範囲が広い分、可能性も多大だ。だからこそ、彼女を終盤まで残せるか否かも重要になってくる。」
そう淡々と説明していくシヴァ様を思わず見つめていれば、分かっていたかのようにこちらへと微笑んだシヴァ様。
シヴァ様はチェスで負けない。
ここぞの勝負で負け筋なんて決して見せない、上に立つ強者だ。
つまりそんなシヴァ様が序盤でクイーンを落とすことなどするはずがない。
必ず終盤まで残す。
クイーンを。
私を。
そして私を。
最後まで。
(ああ!私が愚かだった……!)
まるで心を見透かすように、そしてその奥に巣食う不安を知っているかのように!
最後まで手放さないという意志を、さりげなくこちらに向けるシヴァ様のなんと崇高なことか!
(……そうよ、私は最後までシヴァ様にお仕えするのよ。それが三日月である私の務め……!)
懐深いシヴァ様が私たちを捨てるなんてありえないのだから!
「シヴァ様!ありがとうございました!」
勢いよく頭を下げる松野翔は、進学校に通うだけあり、飲み込みが早かった。
まあ、そもそも、シヴァ様に直々に教えて貰っておいて、わからないなんてほざいたものならバットでボコボコにしてやるけれど。
「こちらこそ。楽しかったよ。今日教えたのはあくまで基本。これらを理解して経験を積み、応用していけばより優れたプレイヤーになれる。……それに、松野君は新人だし、色々な角度から物事が見れるかもね。」
(……そういうことね。)
シヴァ様は、新しい幹部を『育てる』つもりなのだ。
新しい視点と、平凡な人間の感性。
シヴァ様に出会った時には既に組織として裏にいた私や、蛇とも、不良として裏を知っていた三又槍とも、復讐心から裏へと落ちた川とも全く違うそれら。
それを、シヴァ様は見出したのだ。
「シヴァ様はやはり流石ですね……」
走り去っていく松野翔の背中を見送りながらそう呟けば、シヴァ様は優しく微笑んで、
「僕なんてまだまだだよ。」
なんて仰る。とんだ謙遜だ。
(ああ、本当にこのお方には敵わない。)
今日も今日とて、人に避けられながら電車に揺られる僕。
早朝のこの人の多い電車の中、僕の立ってる周りだけぽっかり空いてるのって凄く悲しい。
(……僕、電車乗るの辞めようかな……)
ここまで人に避けられるなんて、僕の顔って凶悪犯罪者並みなのでは?と毎朝ひっそりと心に傷を負っている。
前回の人の腕を掴んでしまった事件以降から席には座らず、出入口付近でボーッと立っているのだが、入学して早一年以上。立っても座ってもこんな状態なら、正直電車に乗らない方が他の人達にも迷惑にならない気がしてきた。
(……明日から頑張って早く起きよう……)
ちなみに、前話にあった通り、乗客は皆「王様に近寄るなんて畏れ多い!見てるだけで幸せです!」精神で朝呼吸をしているので、明日からどこにも王様の姿が見えなくて発狂することにかるのだが、それは芝崎は一生知りえない事実である。
****
頑張って朝早く起きて、中学生以来、中々乗ることのなかった自転車に跨る。
初夏に向かっているこの時期の朝はまだ少し肌寒いものの、しばらくペダルを漕ぎ続けていればそんな肌寒さも気にならなくなった。
しかし、現実は無情。
「シヴァ様?なぜこちらに?」
「おっ!シヴァ様おはようございます!」
(あぃえなんでぇぇええ!?)
それなりに学校までの道のりが長いため、遅刻しないように急いでいた僕は、ばったり会ってしまった蛇さんと三叉槍さんの存在に内心盛大な叫び声を上げた。
ここはチャトランガのアジトから特段近いわけでもないし、蛇さんに至っては大学が反対方向だったはず。
「珍しいですね、シヴァ様。いつもは電車でのご登校だったと記憶しておりましたが……」
眉尻を下げ、どこか心配そうな表情に見える蛇さんに、「乗客にびびられてるんでチャリ通に変えました!」なんて恥ずかしくて言えない。
しかもこの顔面で怖がられてるなんて言えるわけが無い。
ここは上手く言い訳を考えなければ。
と思っていたが、よくよく考えれば、僕の口下手は筋金入り。「ちょっと自転車通学に変えてみたんです。そろそろ定期切れるからタイミングいいし!」なんて言おうとしたところで、
「……丁度いい、タイミングだったんだ。」
こうなる訳である。
何が??
何がタイミングいいの?主語ぶっ飛ばしてるよ、僕?
「なるほど、そういう事だったんですね。」
(ええええわかるの!!?)
深く頷く蛇さんには僕がすっ飛ばしてしまったワード『定期の期限切れ』が分かったらしい。
「ま、シヴァ様だもんな。」
と、何故か三叉槍さんまでウンウンと頷いている。
何に納得しているのかよくわからないけれど、たまに皆が呼ぶ『シバ様』の音がちょっと違う気がする。
そもそも様付けしないで欲しいのが本音なんだけど。
「シヴァ様がご察しの通り、現在、林懐高校の不良グループ『青龍』がやけにこちらを探っているんです。」
(なんて???)
今蛇さん、「ご察しの通り」って言ったよね?
なんだが嫌な予感がして、一言も聞き逃さないようにじっと蛇さんを見つめる。
蛇さんはその間も淡々と色々を説明していくものの、僕はそもそも、その話題に上がっている林懐高校を知らない。
名前はなんとなく聞いたことがあるものの、どこにあるのか。どの部活動が強いのかなどそういった詳しいことは何一つ分からない。
不良グループがあるというのも初めて知ったし、そのリーダーがうんたらかんたら言われても、僕にはどうしようも出来ない。
「……ということなのですが、如何されますかシヴァ様。」
(……え、むしろ僕にどうしろと?)
大雑把に言えば、その林懐高校の不良グループがチャトランガにちょっかいを出している、ということであっているはずだ。
それならむしろ、同じ不良である三叉槍さんの管轄なのでは、と隣に佇む三叉槍さんの方へと視線を向けた。
「三叉槍さん。お願いしてもいいですか?」
そして、打開策とかそんなもの浮かばないので、丸投げした。
我ながら最低である。
しかし、不良にはきっと不良のやり方があるだろうし、僕に出来ることなんて精々チェスくらいだ。ケンカなんて無縁もいい所。
丸投げする以外に方法がないだろう。
(あ、でも、もしその不良グループのリーダーさんがチェスできるのなら……)
と、ふとその考えが頭を過ぎれば、チェスバカの僕は、ボソリと
「……まぁ、チェスしてみるのもありか。」
そんな呟きを落としてしまった。
完全に無意識に零した言葉だったが、それをしっかり聞き取っていた三叉槍さんは、
「よし、任せろシヴァ様!きっちり連れてきてやるぜ!」
そう元気よく宣言したのだ。
(えっ!?)
驚いているのもつかの間、蛇さんも「シヴァ様がそう言うのであれば頼みます。しくじるなよ、三叉槍。」と、そんな感じで話が纏まってしまった。
もしかしなくとも、これ、相手がチェス出来なければ僕がその不良にボコボコにされるパターンでは?
(あ、無理。)
やっぱり電車通に戻そうかな。
「林懐高校の野々本?」
「ああ、最近やけにチャトランガの周りを嗅ぎ回ってる。何か知らないか?」
俺の言葉に、三叉槍である里田がうーん、と唸る。
「林懐高校の青龍って不良グループがあんのは蛇も知ってんだろ?」
「ああ。」
林懐高校は不良校で有名だ。その中でもその荒くれ者達をまとめる不良グループ『青龍』はそれなりの規模を誇る、手を出しにくいグループだ。
「野々本ってやつはおそらくそこのリーダーの野々本春ってやつだと思うぞ。」
「危険か?」
「それなりに。」
里田は自分の不良グループを持っている。彼らに関しては里田の方が詳しいだろう。
その里田が『危険』と判断する人物。
(シヴァ様に何も無ければいいが……)
やつらの狙いが何であるか分からない以上、下手に接触するのも悪手になりかねない。
「野々本春は入学早々に当時の青龍のリーダーをボコボコにしてその座を奪い取った血の気の多いやつだ。俺も直接は会ったことねーけど、下っ端同士が何度か小競り合いを起こしたことがあったはずだ。」
里田のその言葉で野々本というやつがいかに野蛮な輩かがわかる。
そんな野蛮なやつがシヴァ様に近寄るなど許されることではない。
しかし、目的にもよるがこのまま何もせずに居れば、やつらが調子づくのも時間の問題だ。
「……ひとまず、シヴァ様に判断を仰ぐべきか……」
「そうだな。青龍はそこそこの規模があるし、伝統も長い。俺たち幹部だけで判断するには少し相手が悪い。ましてや相手の目的が分からない以上はシヴァ様のお耳に入れておくべきだろう。」
そう、同意を示した里田に、「だな。」と俺も頷き返す。
(となれば、早急にシヴァ様と話がしたいな。)
メールで伝えるには内容が内容だ。誰が見てしまうかもわからないような伝達はできない。
直接会うしかないが、そうなれば、大学生の自分より同じ学校の里田の方が怪しまれずに話せるだろう、と口を開こうとしたその時だった。
向こう側から見慣れたお姿が自転車に乗って現れたのは。
「シヴァ様?なぜこちらに?」
「おっ!シヴァ様おはようございます!」
まるで図ったかのようなタイミングだ。
それに、確かシヴァ様は電車通だったはず、と内心首を傾げる。
「珍しいですね、シヴァ様。いつもは電車でのご登校だったと記憶しておりましたが……」
もしや、すでに何かあり、急遽自転車通学に変更したのだろうか。
そうなれば、この蛇なんたる失態。シヴァ様の身を守ることこそが側近であり幹部である自分の役目だと言うのに。
しかし、シヴァ様は俺の問に淡々と
「丁度いい、タイミングだったんだ。」
そう答えた。
タイミング。
そうか、図ったかの『ように』ではなく、青龍の動きが怪しいこのタイミングだからこそ、シヴァ様は幹部との接触を図ったのだ。
「なるほど、そういう事だったんですね。」
思わず深く頷き感心を顕にしてしまう。
流石シヴァ様。我々が手にした情報はすでに耳に入っていたらしい。
「ま、シヴァ様だもんな。」
と、同じく状況を理解した里田もウンウンと頷いている。
シヴァ様が青龍のことに気がついているのならば話は早い。
急遽ではあるが、ここで今後の方針を決めてしまおう。
「シヴァ様がご察しの通り、現在、林懐高校の不良グループ『青龍』がやけにこちらを探っているんです。」
そう切り出せば、一言も聞き逃さないとでも言うようにじっとこちらを見つめるシヴァ様。恐らくこの事はシヴァ様も大変危惧してらっしゃるのだろう。
あらかたこちらの手に入っている情報を提示していくのをシヴァ様はじっと聞いている。
きっと、シヴァ様の手に入れた情報とすり合わせをしているのだろう。それにより、シヴァ様の優れた脳内でどれだけの思考が組み立てられているかなんてきっと我々のような凡人には理解ができない。
「……ということなのですが、如何されますかシヴァ様。」
情報を出し切り、そうシヴァ様に判断を仰げば、シヴァ様はスっと里田へと視線を移した。
「三叉槍さん。お願いしてもいいですか?」
シヴァ様は三叉槍という駒のみを動かすことに決めたらしい。
シヴァ様の中で、里田1人で事が足りる、と判断されたようだ。
しかし、ここでシヴァ様が予想外の言葉を零された。
「……まぁ、チェスしてみるのもありか。」
チェスをする。
つまりはシヴァ様と相手が同じ机を囲むということ。
(仲間に引き入れるつもりなのだろうか……?)
それとも、同盟を?
シヴァ様の優れた脳内でどんな作戦が練られているかなど俺らには分からない。
だが、1つ確かなことはシヴァ様は相手と対話する機会を欲しているということ。
ならばそれに全力で応えるのが、部下である俺らの仕事だ。
「よし、任せろシヴァ様!きっちり連れてきてやるぜ!」
「シヴァ様がそう言うのであれば頼みます。しくじるなよ、三叉槍。」
元気よく応える里田の背中を軽く小突く。
シヴァ様は、里田の返答に満足したのか、「じゃあ、学校行ってくる。」と、そのまま颯爽と居なくなってしまった。
「……さて、じゃあ俺はメンバー集めてくるわ。」
シヴァ様のお姿が完全に見えなくなり、里田がそう言ってスマホに何やら打ち込み始める。
「ああ。サポートが必要なら呼んでくれ。」
と、俺の持つスマホを降って見せれば、
「まさか!シヴァ様は俺1人で十分だって言ったんだぜ?ならそれに応えんのが幹部だろーよ。」
椅子に座って待ってろよ、なんて笑って言いながら、学校とは反対方向へ消えていった里田。その背中に少し苦笑を漏らしながら、俺も自分の大学へと向かって歩き出した。
里田から連絡が来たのは大学の講義が終わる少し前だった。
早く終われという雰囲気が流れ出した教室内で、教授にバレないように机の下でスマホの画面を確認する。
そこには、『制圧完了!ちょっくら野々本拉致ってくるわ☆』となんとも軽薄な文章と、積み上げられた不良の山の前でピースしている里田の写真が送られてきていた。
一応敵陣に乗り込んだというのにそのマイペースっぷりに呆れつつも、『了解。』とだけ打ち込み、スマホの画面を暗くする。
すぐに講義の終了を知らせるチャイムがなり、一斉に立ち上がる生徒に便乗して教室を出ていく。
そのまま今日の講義がこれで全て終わったことを確認し、大学から出、家とは違う方向へと歩き出した。
目指すは俺らチャトランガのアジトだ。
途中、見慣れた姿を見かけ、「日向。」と声をかけ小走りで近づけば、向こうも気がついたらしく振り返って「蛇じゃない。」と少し驚いた顔をしていた。
1つ年下の18のこいつはまだ高校生だ。
今の時間ならまだ授業中のはずだというのに何故こんな所にいるのかと思えば、顔に出ていたのか、「今日はテスト期間だから、午前中で終わりなのよ。」と苦笑された。
「そうか。これからアジトか?」
「ええ。どうせ蛇もでしょう?一緒に行きましょ。」
と、歩き出した日向の横に並んで俺も歩き出す。すると、そういえば、なんて思い出したように日向が口を開いた。
「三叉槍から連絡が来たわ。まさか情報を手にしてこんなにすぐ動くと思わなかったわ。」
と、元々の情報源である日向は肩を竦めた。
「ああ、俺もそんなつもりはなかったが、シヴァ様が早急に指示を出されたからな。」
「シヴァ様が?すでに青龍の動きをご存知だったのね……流石だわ。」
最近うろちょろしている害虫が、林懐高校の生徒で、それが野々本の指示だと判明したのはそれこそ昨日の話だ。
色々な監視カメラをハッキングして情報を集め、もう1人の幹部川が相手を尾行し、調査し続けようやく判明したのだ。
しかし、それをすでにシヴァ様が知っていたとするならば、その情報の速さと正確さには舌を巻くものがある。
「私も負けてられないわ……!もっとチャトランガのためになる情報を集めてみせる……!」
と、拳を握りしめ決意を固める日向に「無理はするなよ。」と声をかける。が、完全に自分の世界に入っている日向には聞こえていないようだった。
その後、アジトにつけば、すでに里田がおり、足元には拘束された野々本と思しき人物が転がされていた。
「意外に早かったな。」
「嗚呼、なんか俺が里田だって聞いたらなんか動揺しだしたからそのまま1発入れて連れてきちまった。」
動揺?と里田に聞き返すも、それに関しては分からないと里田は肩を竦めてみせる。
「情報がこちらに漏れていたことに驚いたのかしら?」
「いや、だが里田は別グループのリーダーとしては有名だが、チャトランガの幹部であることは知られていないはずだ。」
「まあ、幹部ってのはまだしもチャトランガと仲がいいってのは隠してないからどっかから知ったのかもしれねぇな。」
なんて推測を論じても、結局のところそこは本人に聞かなければ分からないだろう。
気絶している野々本は本当に1発で気絶させられたらしく、目立った傷や汚れもない。
まあ、これならそのままシヴァ様にお通ししてもいいだろう。
「あとはシヴァ様がいらっしゃるまでこいつが大人しくしてくれるかだな。」
****
結局、野々本は目を覚ましてからも静かにしており、むしろ何を尋ねても黙りだった。
そうとう血の気が多い性格かと思いきや、意外に冷静らしい。
(それにしても、何か理由があって里田に動揺したとしても入学して早々に不良グループのリーダーに成り上がったやつがこんなにあっさり捕まるか……?)
そんな疑問が違和感として浮上すると、次第に相手のこの冷静さも何かあるのではないかと勘ぐってしまう。
里田曰く相当な人数で殴り込みに行ったらしいが、かなりギリギリの乱闘だったようだ。
里田が先陣を切って、相手の大将を一撃で仕留めてからは相手の戦意が下がりなんとか勝てたが、次は勝てるかわかならない。そう里田に言わせるほど。
あとはシヴァ様の采配に従えばいいとわかりつつも、グルグルと考えてしまう。
カツリ、とコンクリートに質の良い靴が当たる音がして振り返れば、そこには待ち望んだ我らのリーダー、シヴァ様がおられた。
「……早いな。」
「シヴァ様!」
「おう!なんてったってシヴァ様直々のご命令だったからな!」
褒めて褒めて!と言わんばかりの顔を向ける里田は、どう見ても大型犬だった。
それに、シヴァ様は労うように「流石三叉槍さん。」と微笑んだ。
里田が胸を抑えて蹲ったのを、日向が「半分は私の情報のおかげでしょ?なら今のシヴァ様の微笑みは半分は私に向けられたものよね?調子に乗るなよ槍野郎。」と恨めしそうな目を向けている。
お前らシヴァ様の御前だぞ。見苦しい。
「……シヴァ様……」
ポツリと消えそうなほど小さく呟かれたその言葉。出処は拘束されている野々本だ。
(……こいつ、シヴァ様を知っている?)
目を見開き、じっとシヴァ様を凝視するその様は、神を目撃したかのようで、敵意の欠片もない。
「……チェスはできますか?」
スっと視線を合わせるようにしゃがみ込んだシヴァ様が野々本にそう尋ねる。
「は、はい。」
吃りながらもすぐに頷いた野々本に、シヴァ様は嬉しそうに「なら、一局やりましょう。」と、告げた。その声に俺は、すぐさまシヴァ様愛用のチェス盤と駒をセットし、里田が野々本の手の拘束を取る。
しかし、完全に拘束を解く訳には行かないので、足だけはそのままだ。
なので、里田が持ち上げ、無理やり椅子に座らせたのだが、野々本は全く抵抗しない。
完全に野々本に逃げる気はなかった。
まるで夢を見ているかのようにぽーっとチェス盤を眺めている。
先行は譲られ、野々本からだった。
チェスができるというのは嘘ではないようで、次から次へと動かされるチェスの駒たちに、思わず俺らもじっと見入ってしまった。
シヴァ様の駒が取られてはハラハラし、野々本の駒が取られれば里田に至ってはガッツポーズしている始末。
「チェックメイト。」
対局の結果は、シヴァ様の勝利だった。
だが、試合そのものはシヴァ様も楽しめたようで、とても満足気に笑っていらっしゃる。
野々本は未だどこかぽーっとしており、ただ白いナイトを手に握りしめていた。
「……夢みたいだ。」
ポツリと呟かれたその言葉は、シヴァ様にも聞こえたらしく「どうして?」と優しく尋ねられた。
「シヴァ様が、俺を見てる。シヴァ様が俺とチェスをしてくれた。シヴァ様が、目の前にいるなんて、」
夢みたいだ。
呆然と呟かれるそれに、幹部である俺たちは顔を見合せ頷いた。
こいつ、俺らと同類(信者)だ、と。
「これからは何度でも対戦しよう。ちょうど、最近チェスを覚え始めた子がいるんだ。その子とも対局してみるといい。」
シヴァ様は初めからそのつもりだったかのように簡単にそう答えた。
つもり、ではなく最初からその気だったのだろう。この情報を手に入れた時から。
これから何度でも対戦する、というと言うのはシヴァ様が彼らをその懐に歓迎されたと言うことだろう。
最近チェスを覚え始めた、というのは松野のことで間違いない。日向の話によると、シヴァ様は松野を新しい幹部として1から育て上げるつもりらしい。その部下としての候補が恐らくこの青龍のリーダー野々本なのだろう。
俺たちは名のある不良グループ故に警戒していたが、シヴァ様にはそんな色眼鏡、最初から取っぱらって物事を見ていたのだろう。
「……流石です。シヴァ様。」
シヴァ様に指示を仰がなければ、しなくてもいい警戒をずっとしていなければならなかった。時間も人員も監視のために割かねばならないし、それだけでも俺ら幹部、特に情報を常に集めている日向には負担になる。
シヴァ様は一気にその負担を解消させ、チャトランガの規模を広げ、未来の幹部への土台を確かなものへと布石を打った。
これを、流石なんて陳腐な言葉でしか言い表せない自分に腹が立つ。
シヴァ様の素晴らしさを称える言葉が見つからない。
(ああ、本当に、)
これだから、シヴァ様を崇拝する事を辞められないのだ。