――幕間


 彼女は少しだけ考え、そして目を狐のように細めて笑いながら言った。

「アタシを食べてほしいかな!」

 僕はなんて答えていいのかもわからずに、その場で黙りこんでしまった。

「あ、ちがうちがう! そういう、エッチな意味で言ったんじゃなくて!」

「な、なんだそうなのか。もう少しで君をベッドの上で押し倒してしまうところだったよ」

「それはタイヘン! 見回りの看護師さんが来たとき、どういう言い訳をするつもり?」


 ――どう説明するも何も、そんなことをするわけがない。暗い空気になってしまわないようにと時折バカみたいにはしゃいでみせる彼女に合わせておどけているに過ぎないのだ。

「いくら食べても太らない体質だから」という言葉を口癖に、手当たり次第に身の回りの物を食べあさっていた彼女が功を制して料理人という職業を選び、それからわずか数年で《いくら食べても太れない》体に想い悩まされる状況を誰が予想しただろうか。

「でね、アタシは思うわけよ。アタシはアタシがいなくなった後の世界に、何が残せるんだろうって…… 
 アタシはもうじき死ぬ…… そして、子供もいないアタシはそれっきりなのかなって思うとやっぱり思うところがあるのよねえ。
その点、男ってのはうらやましいわ。たとえ死ぬ前でもやることさえやって受精させちゃえばどうにか遺伝子を残すことができるんだもの。でも、女はダメね。たとえ今すぐ受精しても、その子が生まれるまで生きていられないわ。それに、アタシの体の中じゃ、赤ちゃん育たないだろうし……」

――こんな時、彼女にかけてやる言葉がすぐに思い浮かぶような器用な人間だったならと思う。

 でも、そんな言葉はまるで思い浮かびやしない。

「僕の心に、君は生き続けるさ」なんて、そんな言葉はきっと思い浮かぶだけで最低のクズ人間なんだと思う。僕にできることは、せめて黙って彼女の手を握りしめることぐらいだった。

「君がアタシを食べて、君の中でアタシは生き続けることができる。そう考えることは許されないことなのかなあ?」

「ざんねんだけど…… この国の法律では人間の肉は食べてはいけないことになっているんだよ……」

「くっだらない法律ね。そんな法律なんて存在しない世界があればいいのに……」

「……」

「ねえ、もしそんな世界があったとしたならば、君はアタシのことを食べてくれるのかな?」