――幕間


 りんごの頭頂部付近に果物ナイフを差し込み、ナイフを持った右手は動かさず、左手のりんごの方をゆっくりと反時計回りにまわす。

 料理人だった彼女の言うとおりにすると、不器用な僕でもするすると上手に皮がむけた。

 らせん状に削り取られていく赤い皮はいびつにねじれながらも切れることなくリノリウムの床まで垂れ下がる。最近では一度も千切れることもなくりんご一個の皮を全部剥けるようになった。


「ねえ、りんごって皮と身の境のところに栄養が一番あるって知ってる?」

 僕の隣、ベッドの上に横たわる彼女は自信満々の笑みでそういった。

「リンゴの皮に含まれるケルセチンがアセチルコリンに働きかけて、脳の老化を防いでくれるのよ。それなのにあんたはそうやって皮をむいてしまうなんて、なんてもったいないことを…… いい? 旧約聖書でアダムとイブが食べた禁断の果実はりんごなわけ、つま
り、りんごこそが知恵の実なのよ」

「ちがうよ……」僕は小さな声で言い返した。「旧約聖書の中には禁断の果実がりんごだなんて一言も書かれていない。それどころか温暖なユダヤの地でりんごがあったとは思えない。諸説色々あるようだけど、おそらく禁断の果実の正体はいちじくじゃないかな。いちじくなら温暖なユダヤの地にあったとしてもおかしくないし、知恵をつけたアダムとイブが裸であることを恥ずかしいと感じ、いちじくの葉で隠したというところから考えてもやっぱり……」

「あー、もう、うっさい、うっさい。あんたはそれ以上知恵なんてつけない方がいいわね。その皮をむいたりんごはあんたが食べればいいんだわ。アタシはそっちの皮付きのりんごを食べて賢くなるんだから!」

 そう言って彼女は皮付きのりんごを手にとり、豪快にかじりついた。

いまさら賢くなってどうするんだよ…… つい、そんなことを考えてしまうが、口に出すほど迂闊な僕ではない。

「まあ、でもあれだよね。目の前に食べ物を置かれて、食べちゃダメですよなんてひどい話よ。それが食べたことがないものならなおさら。その味を知らずに死ぬなんてあたしは絶対にヤダな……」

つぶやいて、彼女は大きな口を開けて皮付きのりんごにかじりつく。

静かな部屋の中にシャキッっという軽快な音がが鳴り響く。

もごもごと口に物を入れたままの彼女が突如としてこんな話を始めた。

「ねえ、死ぬ前にひとつだけ好きなもの食べていいって言ったら、何が食べたい?」

 いわゆる。最後の晩餐という話だ。

 しかし、その話をするにはいささかタイミングが悪すぎる。なぜならそれは――

「じゃあ、逆に聞くけどさ君なら何が食べたい?」

「そうね。アタシはどうせだから、自分で好きなものを好きなだけ作って食べたいかな」

 プロの料理人である、彼女らしい答えだった。

「じゃあ、僕もその意見に賛成だ。最後の晩餐は君の作る料理がいいな。君は、僕に何をつくってくれるのかな?」

「そうねえ」

 彼女は少しだけ考え、そして目を狐のように細めて笑いながら言った。

「アタシを食べてほしいかな!」