朝一番に学校に来たのにはわけがある。

 理都は誰にも見られない時間を見計らい、自分一人だけの教室でリボンをつけてみることにしたのだ。部活の早朝練習で登校してきている生徒を除けば、帰宅部でこんな朝早くに教室にいるのは理都ぐらいの者だろう。
 問題は、誰かに知られたらどうしようという件である。

 理都は慎重に、引き戸を開いて教室に入った。
 部活組はとっくに朝練に出かけたらしく、中は無人だった。心の中でガッツポーズをすると、さっそく自分の席について準備に取りかかる。

 鞄から出したのは、折り畳み式のミラーとリボン、そしてヘアピン。
 どれも色はピンクに水色など、パステルカラーの配色でまとめた。自分を高めてくれる色だ。

 ウキウキしながら鏡を組み立て、手始めに髪の手入れをする。どの角度で髪を留めたら綺麗に見えるか、念入りにチェックして位置を定める。

 理都の前髪は少し長めで、教師に注意されるかされないかギリギリのところでセーブしている。美容院に頻繁に通わないおかげでそうなっているのだが、これはヘアピンをするのにうってつけの理由だなと、理都はほくそ笑んだ。

 五分弱ほどで、髪型が決まった。右側の髪を留め、残りの毛先を軽く流す。ヘアサロンの雑誌でよく見かける髪型である。名前は何というか知らないが、理都もやってみたいと密かに憧れていたスタイルである。

 ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌い、ついでに色つきのリップクリームを唇に乗せた。今までの自分より数段華やかな雰囲気をまとった顔が、そこにある。
 最後に、ネクタイを外して、リボンをつけた。

 鏡に映るのは、普段よりいくらかイケてる自分だ。

 これだ。これをやってみたかったんだよ、俺は。

 理都の気分はすっかり上々で、せっかくだしスマホで自撮りでもしようと鞄をあさった。

 教室の引き戸が開かれる音。

 びくりと飛び上がった先に、見えたのは向田葉奈の姿。
 きょとんとした彼女は、理都の今の格好を見ても特に表情を変えず、

「おう」
と、男らしい挨拶をした。

「お、おう」
 ドギマギしながら、理都は冷や汗を浮かべる。

「リボン、さっそくつけてるんだ」
「お、おお」
「髪型ちょっと変えた?」
「ヘ、ヘアピンを、少し」
「そうなんだ。うん、似合ってるよ」

 向田はしれっとした表情で褒め言葉をかけてくれた。普段は女子とうるさいくらい騒ぐのに、このクールぶりはいったい何だろう。

「あの、あんまり言わないでね。特に男子には」
「別に言いふらしたりしないよ。音羽はこっちの方が音羽っぽいし」

 俺っぽいとは? と疑問が頭に浮かぶが、とりあえずうなずいておく。

「自撮りしておいたら? あ、何なら撮ってあげようか?」
「む、向田が?」
「他に誰もいないよ」
「そうっすね」

 緊張しながら彼女にスマホを手渡す。向田はまるで自分の持ち物のように慣れた手つきでカメラを起動し、こちらにレンズを向けた。

「ちゃんとロックかけた方がいいよ」
「はい」

 とにかく微笑んでいれば良い写真が撮れるだろうと、理都はニコッと笑ってみるが、

「証明写真みたいになると嫌だから、角度変えるね。ちょっと斜めを向いてくれる?」

 向田にあえなく却下された。
 ヘアピンを目立たせる形で顔の角度を決め、「あまり笑い過ぎないで。ちょっと口角を上げる程度」と向田から厳しい指摘をもらいつつ、理都の写真は出来上がった。

「おお……。すごい」
「少し加工するね」

 向田は機敏な動作で画像の鮮度を上げ、後ろの背景をぼかした。

「完成」
「すごい……。ありがとうございます」

 スマホを返され、液晶画面に見るのはいつもの自分ではなく、バージョンアップされたお洒落な男子生徒。

 こういう表情、できるんだな、俺。
 理都は何だか、こそばゆい気持ちになった。

 向田葉奈は、人を撮影するのがとても上手だ。
 全員が彼女みたいに撮れるわけではないだろう。向田は、カメラの才能があるのかもしれない。

「向田、写真撮るの、すごくうまいな。センスあるよ」

 かっこつけて言い、振り返った時には、向田葉奈の姿はとうになく、教室を出て行った後だった。


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