放課後、理都は人がまばらになった教室に残った。

 本当は売店に行って、こっそり女子制服のリボンを購入しようと目論んでいたのだが、なかなかこちらの思惑通りに人の数は減ってくれず、売り場には生徒たちが途切れ途切れに来店している。

 仕方なく教室に戻った理都は、さてどうしようと頭をひねる。江國からの助言で行動を起こそうという気にはなったが、いざ人の目があると委縮してしまうのが人情だ。自分に強いハートはない。

 クラスメイトは各々の部活動に行ったらしく、教室には理都が一人残された。ぽつんとなった空間はいつもより広く感じられた。三十ほどある席がずらりと並ぶ景色は、ちょっとした異空間を演出させる。

「リボンつけたい」

 理都ははっきりと口に出した。しんとした教室に自分の声が響き、不思議な解放感が身を包む。気をよくした理都は再び声を大きくして、言った。

「あー! リボンつけて学校行きたいー!」

 ガラッと、引き戸が開かれる音。

 顔を出したのは、クラスメイトの女子生徒だった。
 硬直している理都と、真正面から目が合う。

「……音羽?」

 名前を呼ばれた理都は、蒼白な顔で女子生徒と対峙した。

「……む、向田《むこうだ》」

 向田葉菜《むこうだ はな》だ。女子グループの中心的人物。
 別名、女子のボス猿。向田ボス。

 ――やばい、聞かれた。思いっきり。

 理都は普段使わない脳みそを必死にフル回転させて、窮地を脱出する方法を考え抜いた。

(今のは俺の言葉じゃなくて、演劇の台詞の練習で。いや、誰も信じないだろこんなの。もっとうまい嘘を……!)

「リボン好きなの、あんた?」

 向田は単刀直入に聞いてくる。変に構えないところは彼女の美点だが、今それをやられると反応に困ることこの上ない。

「いや、え、えっと」

 理都はきょろきょろと逃げ場所を探して目をうろつかせる。穴があったら入りたい気分だ。
 だめだ。まったく気の利いた嘘が思いつかない。自分のポンコツな頭は緊急事態の時でもポンコツなままらしい。

「む、向田。これには深いわけがある。俺は決して変態じゃない」
「別に変態なんて思ってないよ」

 向田はしれっと返答し、理都に近づく。身を固くした理都の脇をあっけなくすり抜け、自分の席をあさり始めた。

「忘れ物しただけだから」

 机の中から新品のビニール袋に入れられた、深紅のリボンが出てきた。やっぱり綺麗な色だなと理都は心の中で彼女を羨ましがる。当たり前のように可愛いものを身に着けて、誰からも違和感を持たれない向田の性別が、まぶしい。

 理都がぼうっと自分を見ていたのに気づいたのか、ふっと向田は振り向いた。再びかっちりと目が合った二人は一瞬、無言のまま互いを見つめる。

「音羽」

 口を開いた向田は、しどろもどろになる理都の返事を待たずに、胸元のリボンをピッ、と外した。

「使用済みのやつだったら、あげるよ。リボン」
「……え?」

 ぽかんとする理都を尻目に、向田はポイっとぞんざいな手つきでリボンを放る。あわてふためいてキャッチした理都に「ナイス」と言い放つと、そのまま教室を出ていった。

「……えーっと」

 リボンが、ある。
 自分の手の中に。

 向田が使っていた例のものは汚れも糸のほつれも見当たらず、まるで新品のように綺麗な形のまま、美しい赤を見せていた。

 心臓がドキドキと脈打つ。突然ふってわいた幸運に、まだ頭が追いつかない。理都は挙動不審になりながらも、一人きりの教室で小さくガッツポーズをした。

 ただ一つ、向田葉菜に自分の趣味を暴露してしまった、想定外の不安だけが気がかりだった。