「泰兄が彼女を病気で亡くした時、僕がまだ物心つく前でね」

 しばらくの沈黙があった後、先輩がポツリと口を開いた。

「僕の記憶にある泰兄は、いつもぼんやりとしていた。幼い僕が話しかけても、心ここに在らずってのがわかるくらい、生きることに執着がない。いつかここからいなくなるんじゃないかって思うくらい、不安定な感じ」

 当時のことを思い出しながら話をする先輩の表情は少し暗い。あまりいい思い出ではないのだろう。幼心に落合先生のことを心配していたことが窺える。

「でも、大学受験直前になって急に『教師になる』と言い出したんだって。それまで志望校もどこでもいいって感じだったらしかったんだけど、大学は教育学部に進路を変えて、教員採用試験も一発合格。で、ここに就職したって聞いてる。多分、香織ちゃんの叔母さんとの思い出がある、ここから離れたくなかったんだろうね」

 先輩の言葉に、私も頷いた。

 ここは私立高校だ。姉妹校もないここなら、よっぽどのことがない限り異動はない。退職まで、ここにいられる。叔母との思い出が残るこの学校で……

「僕はね、そんなふうに一途に一人の人を想い続ける泰兄のことを誇りに思う反面で、泰兄にもいい人が現れて幸せになってほしいとも思っている。……余計なお世話かもしれないけどね」

 落合先生は、私の知らない叔母のことを知っている。家に飾られている、制服を着用した叔母の写真は、きっと落合先生が撮影したものだろう。今までそんなことを気にしたことなかったのに、先輩の話を聞いて、落合先生の話も聞きたくなった。

「先輩が言わんとすることはわかります。……でもこればかりは、周りが口にすることではないので……」

「うん、そうだよね。……それはいやってくらいわかってるけど、泰兄を見ていると、そう思わずにはいられないんだ」

 その言葉に、先輩だけが知っている落合先生の苦悩が窺い知れる。

 亡くなった者と、残された者――

 どちらが辛いかなんて、比べようがないけれど、それだけ落合先生が叔母のことを思っている。落合先生だけでなく、母も、祖父母もきっとそうだろう。

 もうすぐ叔母の十七回忌がある。

 もしかしたら、声を掛けたら落合先生も来てくれるだろうか。

 そう思っていた時に、先輩が口を開く。
「そう言えば……、毎年七月の月末ごろに泰兄がふらっといなくなる日があるんだけど……。帰宅すると、決まって線香の匂いがする。これってもしかして、香織ちゃんの叔母さんと何か関係があったりするのかな」

 その言葉に、私は驚いた。なぜならそれに、心当たりがあるからだ。

「はい。叔母の命日は七月の月末なので、私も両親と一緒に命日の前後の週にお参りへ行くんですけど。そういえば……、命日の日、またはその後にお参りへ行くと、綺麗なお花が供えられていました。まさか、それって……」

 私の言葉に、先輩が頷いた。

「うん。多分それ、泰兄だろうな。母から聞いた話だと泰兄、毎年月末近くに有給休暇を取って出かけているって。きっと、香織ちゃんの家族の人と鉢合わせしないよう、時間をずらしてお参りに行っているんだろうね」

 たしかに命日前後にお参りした時は、一度として供え花の相手と鉢合わせをしたことがない。ずっと、叔母のことを忘れずにいてくれている落合先生のことを考えると、一度きちんと話をしたい。そして……

「今年、叔母の十七回忌なんです。節目の年に当たるので、法事をするんですけと……。両親に相談してからになりますが、もし、許可が下りたら落合先生にもお声かけしていいでしょうか。こうしてずっと、叔母の元に通ってくれているなら、一度きちんと家族もお礼を伝えたいと思うので……」

 これからは隠れるようにお参りに来るのではなく、一度家族みんなに会ってもらいたい。そして、堂々と叔母へ会いに行ってほしい。

 そんな思いから出た言葉だった。