やさしいなかにも、力強さが感じられる微笑みを浮かべている。圧倒されてしまうほど、そこには一点の陰りもなかった。
小春さんは純粋過ぎる人だから、板倉のことを信じ切っているんだ。
しかし男の多情な質というのは、結婚したからってそうそう変わるものじゃないと、何人もの先輩達から聞いている。
実際、そういう男友だちや仕事関係の人間を僕は知っている。
でもね、と僕がくちばしを容れようとしたとき、小春さんはとつぜん、
「ふふっ……」
と軽やかな笑い声を漏らし、ちいさく首をすくめた。
「じつはわたし……3年くらい前からずっと気になってた男性がいたんです。その人は2歳年上で、優しくてまじめで、仕事熱心で、みんなに気づかいできて……。
毎朝お話していて楽しいし、とってもおだやかな気持ちになれたんです。
もっとその人のことを知りたいなー、プライベートでも会えたらいいなーって思ってたんですけど……なかなか距離を縮められなくて……。
勇気をだしてわたしから誘ってみようって何度も思いはしたんです。でも迷惑がられたらどうしようって、すぐに弱気になって……。そのくり返しで……」
どくどくどくどく……。
高鳴る胸の鼓動が、耳の奥でも力強いドラムを叩いていた。
車の走行音や、すれ違う歩行者たちの声が消されていく。
じぶんに都合のいい期待が、ゆっくり膨らんでいった。
いま小春さんにじぶんの思いを伝えたら、運命の流れを変えられるんじゃないか。
僕は誰よりも小春さんを幸せにする自信がある。悲しい思いはさせない。そう伝えたら。
言えっ!と発破を掛ける声が、頭の奥で響いた。
でも、
「板倉主任から……」
と話しだした小春さんの声が、喉にのぼりかけた僕の言葉を押しとどめた。
「1年ぐらい前から何度も食事の誘いを受けるようになって……、ずっと断ってたんです。つまみ食いなんてされたくないって、警戒してましたし。
でも、あまりにもしつこい……いえ、熱心に誘ってくるものだから真意が気になって、1回だけなら食事してもいいかなっていう気持ちになったんです。
じっさい魅力的な人ですし……ね」
小春さんは板倉主任とのなれそめを、思いのほか淡々と語りだした。
何度かふたりだけの食事をかさね、休日にデートするようになったこと。
女性の影がちらつくのを感じたが、気にしないようにしていたこと。
劇的な転機は、板倉主任が大阪へ転勤してから起きたという。