「おっじゃましまーす!」
 放課後、敬二が例の漫画を持ってうちにやってきた。
「おばさん、また若返りましたね!」
「やだ、敬二くんったら!」
「おい、早く二階上がってこい!」
 うちの母親にまで愛想を振りまく敬二にいらついて、ぶっきらぼうに二階へ来るよう促した。敬二は「お茶とかおかまいなく! 俺飲み食いするもの買ってきたんでー」とコンビニ袋をぷらぷらとさせて階段を上ってきた。「悪かったな、うちまで来てもらって」
 俺は礼を言う。学校でなければ、多少はこいつに優しくなれた。敬二は「なんだよ、俺とお前の仲じゃん、水くさいなー」と俺の肩を叩いた。
 敬二が持ってきたのはコミック二冊だ。最近話題になっている少年漫画だった。
「読んでいいか?」
「うん。俺もテキトーにしてるから、読んでいいよ。そしたら感想語り合おうぜ!」
 敬二の許可も下りたので、俺は早速ページをめくりはじめた。
「こりゃ続きが期待できるな!」
 二冊だけなので一時間もせずに読み終わった。その間敬二はイヤホンでYouTubeを見ていたようだ。ぼりぼり菓子を食いながら。
 敬二はにっと歯を見せて笑った。
「だろー? これ今俺もイチオシでさあ」
「おい、菓子こぼれる」
 俺はとっさに敬二の口元のスナック菓子の残骸をつまんで敬二を見上げた。
「ん?」
 違和感に、俺はふと首を傾げた。
「なに? 和くん」
 敬二はにこにこと笑っている。
「いや……」
 俺は言葉を濁した。
 気のせいか? 今こいつの目が怒っていたような。
 そんな気持ちがふっとわいてきたが、漫画の感想を語り合ううちに忘れてしまった。
「なあ、和くんは、マニーとミラのどっちが好み?」
 マニーとミラはこの漫画のヒロインだ。主人公がどっちとくっつくかも、この漫画の魅力のひとつではあった。
 が、俺はあんまり恋愛ネタには興味がなかった。
「んー。どっちも特にかな」
 すると敬二はずいっとこちらに身を乗り出した。
「え、和くんってそうなんだ!? マニーは小動物みたいにかわいいし、ミラはナイスバディで凜々しいじゃん。じゃあ和くんはどういうのがタイプなの?」
「どういうのって……」
 よくわからない。どういうタイプが好みか考えるのが面倒だったので、俺は二択で選んだ。
「いや、どっちかっつーとミラかな。マニーは、かわいさがしつこくてちょっと見てていらつく」
 誰かに似ているようで。
 そう思って適当に答えた。そしてふと顔を上げ、俺は息を飲んだ。
「……どうした?」
 敬二はいつにも増して叱られたうさぎのようにしょんぼりとしていた。
「いや、和くんてかわいいのタイプじゃないんだって思って」
 ぶつぶつと敬二が呟く。
「いや、どっちかっつーとってだけの話で。かわいいのは好きだぞ。でもナイスバディのがいいかなって思っただけだ」
 俺は焦った。なんでこんな自分の性癖暴露大会みたいなことをしなきゃならないんだ。
「ナイスバディじゃないと嫌いなの?」
「いやいやいやいや! そんな俺をまるで変質者みたいに!」
「じゃあ、ナイスバディじゃなくても好き?」
 そう敬二に問われ、「ああ、貧乳も好きだ!」と答えようと口を開きかけた。その時。「ん!?」
 俺は目を見開いた。
 敬二が俺の口に自分の口をくっつけている。 は?
 時が止まった。
 これ一般的に言うキスというやつでは?
 俺は頭がこんがらがってきた。こんがらがりつつも、このままではまずいだろうと本能が告げていた。
「待て!」
 俺は敬二を力一杯突き飛ばした。敬二はマットにごろんと倒れ込んだ。
「あ、わ、悪い!」
 慌てて俺は立ち上がり、倒れた敬二の顔を覗き込んだ。
「うっ!」
 襟を掴まれ、俺は二度目のキスを経験してしまった。
 何ですかコレは。
 頭が破裂する。
 俺は手足をばたつかせ、なんとか起き上がった。
「だから! なんなんだよ、お前!」
 立ち上がって敬二を見下ろす。敬二は仰向けに寝転がったまま前髪を掻き上げた。
「いや? 和くんかわいいのあんまりタイプじゃないみたいだから?」
「いや、意味わかんねえよ!」
 俺が唇をごしごし擦りながら慌てているさまを、敬二はにやりと笑って見上げた。
「かわいいキャラはやめて、ガツガツ和くんを攻めていこうと思っただけだよ?」
「な……っ!?」
「敬二くーん。お夕飯食べていかない?」
 コンコンとドアがノックされた。敬二はゆっくりと半身を起こした。ドアの外に向かって声を張り上げた。
「ありがとうございます! わー、おばさんの手料理久しぶりだなー。楽しみ!」
「まあ、嬉しいわ! じゃあ下に降りてきてね」
「はーい!」
 そうして、母親が階段を降りていく音が聞こえた。
 俺は呆然とそのやりとりを見ていた。
 敬二はこちらにくるっと振り返った。目を細めて微笑む。
「じゃ、そういうことで。今日のところはお夕飯だけいただいていこうかな」
「いやいやいやいや、今日のところはってなんだよ!」
 そう言いつつも、その言葉と敬二のにやりとした笑顔の意味がわかってしまった俺は、心臓がばくばくと破裂しそうになった。
 今、俺の顔色は何色だろう。
 青であることを願うが。
「和くん、顔真っ赤。ほんといつもかわいいね!」

おわり