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 九月の北海道でも、まだ暑い。異常気象は続いてるようで、気温計の数字は三十度を越えていた。

「あっついねぇ」

 自動車を持って行くために、フェリーで北海道に来た。フェリーの中でも文香は、ぽつんっと宙を見つめて黙り込む。私の方が寡黙だったはずなのに、この数日は私の方が喋り続けていた。

 苫小牧の海は、ザプンっと白波を立てて揺れている。北海道を選んだのは、修学旅行で訪れたからだった。あの頃は私には文香以外の理解者は居らず、クラスでは孤立していた。今はといえば社会人にもなり、取り繕うことにも慣れてきたからそこまで嫌われていないと思ってる。真実はわからないけど。

「まず、札幌向かう? 修学旅行で観光したよね、すすきのとか。ジンギスカンのタレが飛び散って、私のせっかく買った洋服ダメにしちゃったの、懐かしくない?」
「そうだね」

 ぐすっと文香が、やっと笑った。あの時はこれから観光なのに、と絶望を覚えていたけど。当時の写真には、ばっちりシミ付きのTシャツで、不機嫌そうな顔の私が写っていた。

 文香はちらりと、窓の外を見つめて、ぼんやりとする。

「札幌でまずは、ジンギスカン食べるか!」

 私の提案に、小さく頷いてくれたから。それで、良い。文香が少しでも明るさを取り戻して、笑えるならなんだってよかった。

 北海道の道を走らせながら、ふと気づいたことは……広すぎる。道路があまりにも広い。一車線のはずなのに、本州の二車線分くらいはありそうだ。不思議に思いながらも「広いなぁ」と、つぶやく。

 文香は答えはしないものの、話は聞いていてくれたらしい。ぽつり、ぽつりと私のつぶやきに答えを与えてくれた。

「雪が降るから、横に避けるために広くなってるみたいだよ」
「えっ、そうなの?」

 急に答えてくれるから、バッと文香の方をつい見てしまう。文香は困ったように眉毛を下げて、小さく頷く。そして、前を見てと指さした。

「文香って昔から物知りだったよね。いつだって私が分からないこととか教えてもらってて」
「そんなことないよ」
「文章書くの好きだったじゃん。まだ書いてたりしないの?」

 どうやら地雷を思い切り、ぶち抜いたらしい。そんなことに気づくのは、いつだって言葉を放ってしまってからだった。文香の瞳から涙がこぼれ落ちて行くのが、横目に見て取れる。後悔しても遅い。言葉は、Ctrl+Zで取り消しできなかった。

「ごめん、本当にごめん」
「結梨が、悪い、わけじゃ、ない、から」

 ひっく、ぐすっと、途中に嗚咽を挟みながらの言葉に、私の息が詰まる。後ろから片手でティッシュを取り、手渡せば「あり、がっと」と歪な感謝の言葉が耳に届いた。理由を聞いて良いのだろうか。また、無意識に地雷を踏み抜きそうで、ためらってしまう。

 察してなのか、話しても良いと思ったのか、文香は一人で、理由を語り始める。

「可愛くないんだって」
「文香、が?」
「文章とかにうつつを抜かして、偉そうにしてる私が」

 ぶちんっ、と頭の血管が切れる音が聞こえた。文香に怒っても仕方ない。仕方ないんだけど、腹の奥が煮え渡る。私の可愛い文香のどこが可愛くないんだ、見る目のないやつが、傷つけてんじゃねーよ。

 荒くなりそうな口調を無理矢理飲み込んで、ふぅっと呼吸を深くする。誰が言ったかなんて、聞かなくてもわかった。婚約破棄して正解だよ、と力強く言ってあげたい。でも、それすら傷口に塩を塗り込むことになりそうで、言葉は出てこなかった。

「家庭的なことをして、ニコニコ笑い続けて、自分の趣味より俺を大切にしろって、私はそれができないから、他の女にするって、言われたんだ」
「価値観ふっる! なんだその男!」

 我慢しきれずに出た言葉に、文香は「本当にね」と笑った。それは自虐的にも聞こえたし、相手への怒りにも聞こえた。私になら話しても良いと思ってくれたんだろうか。それとも、私に気を遣ってくれた?

 わからないけど、それを聞くことすら重荷になりそうだった。

 北広島という看板を通り過ぎたくらいから、車通りが多くなってくる。札幌が、近づいてきてるのだろう。すれ違う車のナンバーは苫小牧、室蘭がほとんどだったのが、今では札幌ナンバーばかりに囲まれている。