ひゅっと喉が閉まって、作り笑顔が上手くできない。

「久しぶり! 相変わらず仲良いんだね、二人」

 見たことのある顔だし、高校の同級生なのはわかる。文香が仲良かった人だってことも。でも、名前は思い出せそうにない。一緒にご飯を食べたことだって、あったはずなのに。

 取り繕った笑顔で「久しぶり〜」と手を振れば、文香はぐいっと私の手を引く。そして、意外な言葉を口にした。

「めっちゃ久しぶり! こんなとこで会うなんて思わなかった! また連絡するね!」

 ずいずいっと歩きながら、私の手を引っ張っていく。相手もそれ以上引き留めることもせず、「またねー」と手を振っている。文香とあの子だったら、立ち話を始めそうな勢いだと思ったのに。

 驚いている私に何も言わず、文香は公園の方へと進んでいく。すれ違う人たちは、公園を観光し終わった人だろうか。ソフトクリームを持った子どもや、手を繋いで歩くカップル。いろんな人が私たちの横を通り抜けていった。

 大きな沼というよりも、もはや湖。洞爺湖よりは小さいんだろうか。洞爺湖はもはや、海だったもんな。

「遊覧船だって」

 目についた言葉を口にすれば、文香は小さく「うん」と答える。調子を取り戻してきたと思ったのに、また、無口になっていた。あの子が何か原因なんだろうか。全然関係性も名前も、変わらず思い出せない。

 今は聞くべき時なのか、考えてみても答えは出なかった。

「よし、乗ろう!」

 建物の真ん中には次の回の時間だろうか、時計が表示されている。スマホを確かめれば、ちょうどあと十五分ほどで出るようだ。

 文香の手を引いて、答えも聞かずに建物に近づく。二人分の遊覧船のチケットを買えば、もうすぐに乗れると案内された。

 大沼に浮かぶほどほどの船に乗り込めば、人はまばらだ。家族連れが一組くらい。文香は私の隣で、じっと手を見つめている。

「もうちょっとで、出るらしいよ」
「そうだね」

 心ここに在らずな言葉に、何を言えば良いかわからない。どうしたら、文香の心を聞けるんだろうか。聞いたほうがいいんだろうか。

 私は、聞いてもらえた時、救われたよ。だけど、私は口下手だし、余計なことばかり口にしてしまうから、悩んでしまう。

 ガイドさんと船長が乗り込んで、遊覧船が動き始める。大沼と小沼の説明を聞きながら、開けた窓から吹き抜ける風に身を任せた。

「気持ちいいね、水がチャプチャプしてる」
「うん」
「そういえば文香は、文章書き始めたの?」

 ブログでも始めたらいいじゃん、と言ったことをふと思い出して問う。一瞬、表情をいつもの文香に戻して「始めてみたよ」と答えてから、また俯いた。

「ねぇ、どうしたの。あの子仲悪かったけ?」
「悪くはない、けど」
「けど?」

 文香がもごもごと口を動かして続きを話そうとした瞬間、ガイドさんの「写真撮るチャンスですよ!」という声が重なる。顔を上げれば、駒ヶ岳がちょうど晴れてよく見えていた。文香も顔を上げて、山をじいっと見つめる。

「結梨はどうして、何も聞かないの」

 文香の言葉に、一瞬返答に悩む。聞かないわけじゃなく、聞くのが上手くないだけで、聞こうとはしてて……

「責めてるんじゃなくて、こう、なに、黙って隣に居てくれるじゃん、いつも」
「でもほら、婚約破棄とかのことは詳しく聞いたでしょ」
「それは、話せるタイミング、察してでしょ?」

 地雷を踏み抜きたくはない。私のせいで文香を悲しませたくはないから、それくらいは考える。どれだけ、自由な私だってそれくらい考えるよ。

「結梨は、いつも待っててくれるから、ありがたいんだよ。無理しなくていいの」

 それは、私も一緒。文香は寄り添ってくれるし、私のことを考えてくれる。そして、私が文香にしてきたことは、全部、全部、文香が私にしてくれたことだ。

「他の子たちは、野次馬みたいな感じでぐいぐい聞いてくるから。今の私は、あんまり見られたくなくて逃げちゃった」

 文香の先ほどの行動が腑に落ちる。あぁ、私は心を許されてるんだなと思ってから、恥ずかしくなって目線を背けた。そして、冷静さを取り繕って気にしてない風に答える。

「そっか」
「元気ちょっと出てきたし、そろそろ帰ろうかなと思ってたんだけどね」

 文香の言葉に、帰らないで、と言いたくなった。一人が楽で、私は一人でいるくせに。それでも、文香が帰っていいかなと思えるなら、私は背中を押さなくちゃいけない。

「そっかぁ函館から新幹線でも乗る?」
「結梨はまだ、北海道を回るの?」

 何も考えていなかった。せっかく北海道まで来たのだから、ゆっくりと一周をするのもいいかもしれない。さすがに、雪道の運転は自信がないから、雪が降るまでだけど。

 雪が降りしきって大沼が凍る様子を想像して、体がぶるりと寒さに震えた。ちょうどガイドさんは「凍るとね、ここでわかさぎ釣りができるんですよ!」と、説明をしてる。

 わかさぎ釣りをしにくるのも、良いかもしれない。

「多分、まだ回るかなぁ」
「そっかぁ」

 文香は小さく答えてから、木々に目線を移す。リスやシマエナガなど、小動物が見られることもあるらしい。私の目には、映りはしなかったけど。

 乗り込んだ場所まで遊覧船が戻り、みんな降りていく。これを降りたら、新幹線の駅まで文香を送り届けなきゃいけない。そう思うと腰が重く、ずしんっと全体重が足にのしかかった。

「降りないと」
「そう、だね」

 文香と旅ができたら、いい。文香となら一緒に居て楽しい。でも、文香には文香の人生がある。思わず連れ出してしまったけど、いつまでもこの時間は続かない。

 わかっていて、目を逸らし続けてきた事実に、何も答えられなくなった。無理矢理に立って船を降りれば、まだふわふわとしてる気がする。

「函館、ホテル取ってないよね?」

 もう帰る、という意味だろう。文香の背中を押さなきゃ。押さなきゃ……また、一人で? でも、一人がいい。一人は寂しい。私は……どうしたらいいの?

「取ってないよ」
「どこに泊まろっか」
「え?」
「えっ?」

 二人で顔を見合わせる。気づけば、大人になってから始めて、涙を人前でこぼしていた。

「な、なんで泣くの、待って、とりあえず車! 車戻ろう!」

 わたわたとしながら、文香は私の手を引く。力強い手に、先ほどとは逆だなという感想が浮かんだ。車が近づくにつれて、さっきの子がいたらどうしようという思ってしまう。私と関わりは薄かったけど、泣いてることを茶化されたり理由を聞かれたりしても、うまく答えられない。