私は今日も沢山の積み上げられた本に囲まれながら、息をしている。
 祖母の残した本屋を継いだのは、つい最近。本当は四年制大学を卒業と同時に大手企業に就職したのだけれど……まぁ、普通にただのブラック企業だった。入社して約一年後、会社を辞めて、そこからずっと一人暮らしのアパートで休んでいた。
 そんな時、小さい頃によく遊んで貰った祖母が亡くなり、祖母が営んでいた小さな本屋だけが残った。誰も継ぐ人がいない本屋はそのまま畳まれるかと思ったが、ある日、母から電話がかかってきた。

「三咲(みさき)。あんた、今無職でしょ? とりあえず、本屋店員にでもなれば?」

 母のそんな楽観的な雰囲気に今まで救われてきたが、今回の母はまぁまぁ強引で。私はそのまま小さな本屋の店長になった。

 そして、今日も私は店長として……というか、私しか店員がいない本屋で1日を過ごしている。残念なことにお客さんもあまりいないのだけれど。

「まぁ、この店、実家から近いしな……」

 実家暮らしに戻った私は、給料もほとんどない中で、ただ本屋店長の肩書きだけを現在持って生きている。
 お客さんもほとんどいないし、今日も一日のんびりと……

 チリンチリン。

 本屋店長になって一週間、私は初めて店のベルが開店後すぐに鳴ったのを聞いた。

「こんにちは」

 入ってきたのは、30代くらいの男性。私は慌てて、立ち上がった。

「こ、こんにちは……!」

 お客さんよりも店長がオドオドしている不思議な構図が出来上がっていた。それでも、今まで来たお客さんはこのお店の常連で、祖母が亡くなったことを聞くと、本を見て、会計をして帰っていく。しかし、その男性は本棚を端から端まで見て回り、最後に私の方へ近づいてきた。

「すみません、この本ってありますか?」
 男性はスマホに表示された写真を私に見せてくれる。
「えっと……」

 男性に見せて貰った本の題名とISBN番号(国際標準図書番号)を確認する。しかし、うちの本屋には置いていない本だった。

「すみません、この本はうちにはなくて……」
「そうですか。ありがとうございます」

 男性は丁寧にお礼を言ってくれたが、顔は曇ったままだった。私が不安そうに男性の顔を見ていると、男性は申し訳なさそうにニコッと笑った。

「すみません。実は、この本屋が9軒目なんです」
「9軒目……!?」
「はい。実はこの本は父が書いた本でして……父はこの一冊しか出版出来なかったのですが、ずっと父が本を出版していたことを知らなくて。先日、父が亡くなって、実家を整理していて初めて父が出版社と繋がっていたことを知りました」
「あの、失礼を承知で言うのですが、お父様の本を出版した会社に問い合わせてみては……」
「あ、違うんです。本はあるんです」
「え……?」
「父の本が『本屋に並んでいるところを見てみたかった』んです。馬鹿みたいですけれど、父の本が『偶然』本屋に並んでいるそんな風景を見てみたかった。そして、お金を払って買ってみたかったんです」
 
その時の男性の顔がどこか苦しそうで、何故か力になりたいと思ってしまった。

「ちなみに現在も出版されていますか?」
「いえ、去年で絶版になったそうです」
「では、現在在庫を持っている本屋があるかと言うことですね。最後に確認なのですが、古本屋などでも良いですか?」
「え、ええ……売られている現場が見られれば……あの、探してくださるのですか?」
「出来る範囲でですが……これでも、割と今忙しくないので」
 プライドがあってオブラートに包んだが、本当は暇だし。
「えっと、今日は10月21日ですから、10月の終わりまでには探しておくので、また来て頂くか電話番号を……」
「いえ、また来ます。10月の31日に来ても大丈夫ですか?」
「はい」
 
男性が帰った後にすぐに私は、祖母の本屋の知り合いを当たって在庫を調べた。しかし、やっぱりどこにも置いてなくて。
 探しても、探しても、「置いてあります」と答えてくれる本屋はなかった。
最後に問い合わせた古本屋が祖母の昔からの知り合いで詳しく話を聞いてくれた。そして、こう提案するのだ。

「それは難しいな。その本は出版部数も少なかった。ただ一冊だけ俺の知り合いが持っていて売っても良いと言ってくれている。俺の本屋に置いてあったことにするか?」
 
それはきっと最大限の優しさで。それでも、あの男性の顔を思い出すと、すぐに了承出来ず私は返答を保留にした。


「はぁ……」
 
夕飯の時に大きなため息をついた私に母が注意した。

「こら、夕飯時までため息をついて。何かあったのなら、言えることならさっさと相談しなさい」
「んー、ありがと。でもなぁ……」

 私が首を傾げて、唸っていると母が私の頭をペチンと叩いた。

「三咲。あんたはまだ半分休暇中。前の会社の傷もまだ癒えてないでしょ。抱え込まない」

 母の優しさはいつも通りで、つい私は話してしまったのだ。母がどれだけ楽観的かを忘れて。

「あら、置いて貰えばいいじゃない」

 母は簡単にそう答えた。
「違うのー!それじゃあ、なんか……うーん……」

 母は反論する私に、真剣な顔でこう続けた。

「ただその秘密は墓場まで持って行きなさい。それと、絶対にバレないようにすること。それが優しさだわ。出来ないなら、始めから素直に言いなさい」
「分かってるよー。分かっているけど……」

 母がカレンダーを見ながら、日付を数えている。
「今日はもう25日だけれど、まだ6日あるじゃない。ゆっくり考えなさい」

「まだ6日じゃないよ。もう6日だよー。はぁ……」
「あら、何事も考え方次第ってことよ。さ、夕飯食べなさい」

 そう言って、母は台所に戻っていってしまう。私はぼーっとカレンダーを見ながら、もう一度考えを巡らせていた。

「あと6日……31……丁度ハロウィン……関係ないよ、私。はぁ……」

 その時、急にあることを閃いた。


「あー!!!!」


 台所にいた母が驚いて、振り返っている。

「急に大声出すからびっくりしたじゃない。急にどうしたの?」
「いや、もう大丈夫!良いアイデア思いついた!」

 きっと31日は最高のハロウィンになる。


 10月31日。
 うちの本屋はいつもより賑わっていて。その男性は、正午過ぎに店を訪れた。

「あの……」

 いつもより店の人が少し多くて、戸惑っている男性に私は説明した。

「本日はハロウィンフェアを行なっていて、少しだけいつもと違う本が置かれているんです。昨日のうちにチラシを街で配っておいたので、お客さんも多くて……もし、よければ見て行きませんか?」

 男性はそっとハロウィンフェアのブースを覗いた。

「っ……!」

 驚いている男性に私は説明していく。

「ハロウィンではお菓子を配る方も多いので、沢山の『お菓子のレシピ本』を集めたんです。お父様の本も素敵なお菓子のレシピ本でしたので置かせて頂きました」

 私は、男性と目を合わせて微笑んだ。

「確かに完全に偶然ではありませんが、店主である私が置きたいと思って置いた本です。そして、もっと見せたい景色をきっと貴方に見せることが出来る。しばらく一緒に店番を手伝ってくれませんか?」

 その日の店は今までで一番賑わっていて。男性に店番を手伝ってもらってから、一時間。ある女性のお客さんがレジに本を持ってきた。

「この本下さい」

私は「その本」のレジを男性に任せた。
男性は店が閉まると、私に深く頭を下げた。

「本当にありがとうございます。貴方のおかげで『父の本をお客さんが買ってくれる瞬間』を見ることが出来た」
「いえ、貴方のお父さんの本が素敵だから、売れたんですよ」

 それは紛れもない事実で。
 それにきっと母が言っていた通りなんだと思う。

「あら、何事も考え方次第ってことよ」

 今日という日を特別に出来るかはきっと自分次第なんだ。


 Fin.