教室へと戻ったが気持ちが落ち着かず、もしも自分の部屋ならば叫んでいたかもしれない。

 これはひとりで抱えきれるものではない。

 相談できる人はひとりだけ。連絡先は知らないが、知っている人が同じクラスにいる。席を立つと尾沢彰正《おざわあきまさ》のもとへと向かった。

「何か用か」

 先に声をかけてきたのは彰正のほうで、

「尾沢の兄貴に連絡を取りたいんだけどさ」

 連絡先を教えてくれないかと頼んだ。

「いいけれど、本当に兄貴と知り合いなんだな。だから田中のことを聞いてきたのか」

 葉月のことは女子からといっていたが、弟にも聞いていたのか。

 嘘をついたことには腹が立つが、弟を巻き込みたくなかったのかもしれないとそう思うことにした。

「そうなんだ。例の件か」
「いや。付き合っていた女子はいるかと」
「はぁ!」

 数少ない恋愛遍歴など知ってどうするつもりなのか。

「そんなもん聞くなよ」

 どうせ冬弥には到底かなわないのだから。

「総一さんに教えたいそうなんだ」
「え、総一さんに?」

 ふたりは友達だから橋沼から既に聞いているかもしれない。

 あの人は橋沼のことになると余計なことをする。それを話してどうするというのか。

 嫉妬して、その先は何をされるかわからない。想像し、頬が熱くなってきた。

「田中、顔が赤いぞ」
「尾沢、ごめん。キャンセル」

 やはり冬弥は駄目だ。面白がって何をするかわからない。

「別にかまわないが、大丈夫か?」

 彰正の手が肩に触れ、まるで労わるように撫でられた。

 今まで用事があるときくらいしか話したことはないし、しかも葉月の仲のよい人なのだから田中のことは許せなかっただろう。それなのに親切で優しい。

 そのとき、スマートフォンのバイブ音が聞こえて、

「兄貴からだ」

 と彰正が呟いた。なんとタイミングのよいことか。

「田中、これ」

 スマートフォンの画面をこちらへと向ける。

 そこには、

<彰正、田中にみせて>

 と書かれた文字と、可愛い動物のキャラクターがムフフと笑うスタンプが貼りつけてある。

 相談をする前に揶揄われた。

「ムカつく」

 きっとスタンプと同じような顔をしてこれを打ったのだろう。

「兄貴に嫌なことでもされたのか」
「あぁ。いじられた」

 とスタンプを指さした。

「まったく。もしものときは俺にいうといい。説教には自信がある」

 説教に自信とは、冬弥はどれだけ彰正に怒られることをしているのか。

 正座をして説教を食らう冬弥の姿を想像し、おもわず吹き出してしまった。

「ぶはっ、すげぇな尾沢って。頼りにさせてもらうよ」

 なんとも心強い。そのときは素直に頼ることにして、ありがとうといい田中は席に戻った。





 ポケットからスマートフォンを取り出して、同じような体験をした人はいないかと検索をかける。

 その途中、着信音が鳴り、相手は橋沼からで放課後にデートをしようというお誘いだった。

 連絡先を交換したが、橋沼が部活に復帰したということもあって遊びに誘うことはなかった。

 だから放課後に遊びに行くのははじめてだ。

「嬉しいけれど、アンタのことで悩んでいるてぇのに」

 唸り声をあげながら頭を抱えていると、こつんと頭に何かが当たる。煩いと誰かが文句をいうのに何かを投げたのか。

 後ろから投げられたのでそちらを向くと葉月と神野に目が合う。

「さっきから煩い」

 今度は額に何かが当たり掌に落ちた。飴玉が二つ、いちごとメロン味だ。

「なんだよ、女子から貰ったのか」

 相変わらずモテるなと飴を握りしめる。

「お前ごときにと思ったけれど、悟郎がいうから。ありがたく食え」

 田中に対する神野の扱いはぞんざいだが、睨まれたり無視をされたりするよりはいい。

「仰せのままに」

 飴を掌にのせて高く持ち上げて頭を下げる。

 優しい人たちだ。悩む田中を気にかけてくれたのだろう。彰正もそうだ。皆、いい人。それに気づくことができなかった自分は本当に大馬鹿者だ。

 橋沼から貰った飴のように優しさがつまった飴玉を口の中に入れれば甘さが広がっていく。なんだかほっとした。

 田中と橋沼の好きは違うものだ。今はそうであってもこれから先にどうなるかなんてわからない。

 だけど一緒にいたいという気持ちは同じだと思っている。