アホ・バカ・ナス炒めを食してから数週間後。すずなの職場は秋だというのに、冬将軍が来たかのように冷え切っていた。

「あのさ、このミス一体何回目? 一回目ならいいよ。誰だって間違いはあるから。だけど、そこからは気をつけてもらわないと、こっちの信用も無くなるんだよ」

 頬杖をつきながら、佐田が手にしたペンを軽くデスクに打ちつけた。佐田の横には入社二年目の大森が180センチ以上ある大きな身体を萎縮させて立ち尽くしている。佐田がため息をついた。そのため息が、北風が吐いた息の如く、居室の雰囲気をぴしぴしと凍らせていく。

「……すみません」
 大森が頭を下げた。

「謝られたところで状況は変わんないわけ。そうでしょ」
 すずなは佐田の吐き出す毒に身を強張らせた。もともと尊敬できる上司とは言い難いが、さすがにこんな棘のある物言いをすることは珍しかった。

 パソコンに向かって書類のファイルを開いているものの、さっきから一行も文章は進んでいない。空気がぴりぴりしているせいで、全く仕事に集中できなかった。

 周りも似たようなものなのか、コーヒーを啜る音が普段より多く聞こえる。

 ミスをした大森が悪いのは分かっているが、部下を育てるべき上長の発言としては頂けない。すずなは青ざめた顔で俯いている大森が不憫でならなかった。先輩として助け舟を出してやりたいけれど、大森がしたミスの内容が分からず、ただことの成り行きを目ならず耳で聞き届けるしかなかった。

 十人強が同じ空間にいながら、誰も大森に救いの手を差し伸べることができない。おの如何ともし難い状況を変えたのは部長の鏑木(かぶらぎ)だった。

「あれ、大森くんどうしたの、やらかした?」
 鏑木はにこにこと微笑みながら、ずんずんと佐田の元へと進んで行った。佐田の顔つきが一瞬で変化したのをすずなは見逃さなかった。

 救世主現る。

 すずなはそっと胸を撫で下ろした。鏑木は開発部の神と崇められており、佐田とは違い部下からの絶大な信頼を得ている。部下がミスをしたときも、叱ることはあっても感情任せに怒ったりは絶対にしない。鏑木の居室はここではないが、偶然タイミング良くやってきたらしい。

「あっ部長。いや、大森くんが取引先に送ったメールに不備があったので注意していたんですよ」
 すぐさま立ち上がると、佐田は取り繕った笑みを浮かべた。

「どんなミス?」
 鏑木が佐田と大森へ交互に視線を向けた。

「えっと、その……」

 しどろもどろになる佐田に対して、
「あの、お世話になっておりますっていうのを誤変換してしまったんです」
 と、大森が姿勢をぴっと正してはきはきと答えた。

「なんて誤変換したの?」
 鏑木がさらに問いかける。大森が大声で返事した。



「お世話になってオリオン座です!」



 あちこちで悲鳴が上がった。コーヒーを飲んでいた数人がパソコンに向かって吹き出したらしかった。