「さむっ」
 会社から外へ出た途端、夜風に襲われた。すずなは首をすくめ、胸の前でぎゅっと腕を組んだ。駅へ向かおうと一歩目を踏み出すと、腕を誰かに掴まれた。突然だったのと相手の力が強くて声が出なかった。

 なんとか振り払おうとして、腕を激しく動かそうとしたら、相手が顔を上げた。


「すずなさ———ん」


「ゆ、結愛ちゃん?」

 すずなは声を上擦らせた。結愛の顔は泣き濡れて、メイクはぐちゃぐちゃ、頬には涙と一緒に流れ落ちたマスカラの跡が残っている。

「今日は半休じゃなかったの?」
 結愛は生理が重いタイプらしく、今日は午後から休みを取って帰ったはずだった。

「い、家に帰ったらぁ、お、女が、い、いたんですっ」

 なんとか言葉にすると、結愛は人目も憚らずまたおいおいと泣き出した。

 なるほど……。要は、普段よりも早く家に帰ったら、同棲中の彼氏が女を連れ込んでいたということか。

「それで家を飛び出してきたの?」
 結愛がどこに住んでいるかは知らないが、昼過ぎに早退して彼氏の浮気現場を目撃、家を出てきたにしては時間がかかり過ぎている。

「お、お、大暴れして、か、彼氏と女は追い出したんですけど、ひ、ひ、ひとりで部屋にいたら苦しくなっちゃって」


 大暴れ?


 すずなは首を傾げた。修羅場ということだろうか。いずれにせよ、二人を追い出し、家にいたけれど一人でいることに耐えられなくなったらしい。

「それで、とりあえず会社に来たの?」

「き、き、気がついたらここに。そ、そしたら、す、すずなさんが見えたからっ」
 二十代半ばの結愛が幼い子供のように見えた。放っておくことはできない。

「分かった、分かった。状況はとりあえず分かった。だけど、私も今日はこれから予定があるから、とりあえずいらっしゃい」

「も、も、もしかしてデートですか? そ、そ、それだったら私」

「いいから、つべこべ言わずについてきなさい」
 すずなは駅前に停まっていたタクシーを見つけると、手を挙げた。