「東京いいなぁ!」
「ねー!」
「遊びに行くならいいけど、転校となると、けっこうなプレッシャーよ!?」
二学期の最終日。
今日を最後に転校する侑史を囲んでクラス総出でやってきたカラオケルームは、冬とは思えない熱気に包まれている。
その片隅に座る本日の主役は、ノリノリでアイドルソングを歌っている男子の声とシャンシャンと鳴らされるタンバリンの音に負けじと、大声を出していた。
「なにが、そんなにプレッシャーなの!?」
「だって、都会の高校生ってみんな大人な感じするしさ!!」
俺はウーロン茶にささったストローを口にくわえたまま、怒鳴るように会話をする侑史と女子たちの様子をうかがう。
――意外と恋愛系の話にならないもんだな
今日が最後のチャンスなのに、と焦れったい気持ちで最後の一口を飲み干す。いざとなったら自分で恋愛の話題を出すしかないかもしれない。でも、不自然になる気しかしないから、できれば便乗したいというのが本音だ。
「確かにさ、侑史って、高二にもなって、小学生みたいだなって思うくらいお子様だもんね!!」
「でかい声で悪口言わないでくれん!?」
「褒めてるよー!」
「どこがだよ!!」
わーわー言い合っているところに、歌い終えた男子がポーズを決めて「サンキュー!」と叫び、みんなで拍手をする。
次の曲は春に流行った失恋ソングだった。静かに歌う女子につられるように、みんなが喋る声も小さくなる。
「でもさ、東京に行ったら侑史のことを知ってる人なんていないんだから、俺も大人ですけど? って顔しておけばよくない?」
「大人ですけどって顔ってどんなよ」
「なんかこう……顎をあげて見下す感じ?」
「それ、ただの嫌なやつ」
「そもそも何をもって大人っていうのかって話しよ」
一人の女子の問いに、近くにいたみんなが正解を探すように黙る中、ここしかない、と思った俺は「恋愛経験だろ?」と内心の緊張を隠しつつ何気ない顔で言ってみた。
途端に、視線が一斉に俺に集まる。
「塁、それはみんな思ってたけど言わなかったやつ」
「彼女がいたことのない侑史がショック受けちゃうからやめてあげてよ」
フォローしているように見せかけて明らかにいじられた当の本人はというと、「ダル」と言って俺をじろりと睨む。余計なこと言うなよ、と思っているのだろう。
短いまつ毛。色素の薄い茶色い目。小さい鼻。ほくろのある頬。いつも口角があがっている唇。
睨んでも、怖さより愛嬌が勝っている顔を見ながら、俺は笑ってみせる。
「いや、実際の恋愛経験の有無はともかくとして、付き合ってた人がいたとか言えば、少しは大人ぶれるんじゃないかって思っただけ。東京では侑史のこと誰も知らないんだから、嘘ついてもバレないだろ」
「そんなんすぐばれるって。侑史、嘘つくのいかにも下手そうだし」
「じゃあ、嘘をできるだけなくすとかさ」
せっかくつかんだきっかけを無駄にしないためにも、友人相手の悪ノリだと思われるように、慎重に言葉を続ける。
「例えば俺を恋人ってことにすれば、どんなデートしてたのって聞かれたときに、登下校をいつも一緒にしてたとか、学校の帰りに公園でアイス食べたとか、図書館に一緒にいって勉強したとか、映画を見にいったとか、お互いの部屋も行き来したとか、そういう具体的な話が嘘なくできるし、なんといっても」
「なんといっても?」
「名前をうっかり口にしても『るい』なら性別不明でおすすめだけど、どう?」
「え、天才」
「その発想はなかった」
女子たちから賞賛される中、さっきまで俺を睨んでいた侑史の顔には困惑が広がっていった。
いったいこいつは何を言い出すんだ、と今度は思っているのだろう。分かりやすい。
「いや、ちょっと待て」
さっきまでアイドル曲を歌っていた男子が会話に参加してくる。
「そんなん、友達とでもできることばっかだし、全然大人ぶれなくね?」
思わぬ援護射撃をもらって心の中でこっそりガッツポーズをした俺は、ひそかに考えていた計画をついに遂行すべく「じゃあ」とにやりとしてみせた。
「多少は大人ぶれるように、カップルっぽいことをして侑史のレベル上げしてやるか。ちょっと席代わって」
侑史の隣の席の女子に言うと、オッケーと楽しそうに立ち上がってくれる。
ますます困惑度を深めつつ「え、なんなん?」と言う侑史の隣にドスンと腰かけ、周りを見回す。
「侑史の経験値あげるためにもさ、カップルといえばこれ、みたいなのなんか言って。やってみるから」
「さすが他校に彼女がいる男は違う」
「余裕があるわ」
去年、同級生に告白されたとき、断る本当の理由を言えるわけもなく『恋愛に興味がない』と答えたら、お試しでもいいから付き合ってとゴリ押しされそうになった。仕方なく、実は他校に彼女がいるから無理と苦し紛れに言ったら、それがいつの間にやら広まってしまっていた。
だからと言って、否定していろいろつつかれるのも嫌なので噂を放っておいたら、今ではすっかり事実として扱われている。
――正直、侑史の目の前でさっきみたいに「彼女」って言われるのには少し抵抗もあるけどな
でも、だからこそ、あくまでも親友としてのノリで、最後にこうして堂々と侑史といちゃつけるチャンスをものにできたと思えば、現実にはいない「彼女」に感謝すべきなのかもしれない。
「まずはポッキーが無くなる前にポッキーゲームをしようか」
「マジで言ってる?」
クラスメートからの提案にやや引いている侑史に「がんばれー!」と声をかけた女子が、隣の子に話しかける。
「ね、なんて言うんだっけ、こういうの。劇じゃなくて、えーっと」
「なになに」
「ほら、あの英語の授業でやるやつ。設定と役割を与えられて」
「あ、ロールプレイ?」
「そう、それそれ!」
なるほど、と思う。
確かにこれからするのは、侑史と付き合っているという設定を与えられ、彼氏という役割をするロールプレイでしかない。少なくともみんなにとっては。
そう思うと少しだけ虚しいけど、いつもはただのクラスメートで親友でしかない自分が彼氏として振る舞えるのはそれ以上に嬉しく、俺は差し出されたポッキーを笑顔で受け取った。
*
無理強いはよくないということで、侑史が嫌がったポッキーゲームは却下となったが、「手に持ったポッキーを相手に食べさせる」とか「一つの飲み物に二本のストローをさして飲む」とか「ラブソングに出てくる名前をお互いの名前に変えて歌う」とか、いくつかのカップルらしい行動のミッションをこなす頃には、侑史も開き直ったのか「えー」と言いながらも乗ってきてくれるようになった。
そして帰るとき、手をつなぐ経験もしとく?と冗談めかして聞いてみたら、周りが面白がってそうすべきというので、俺は侑史の手をとってカラオケから外に出た。
藍色の空にはもう、星が出始めていた。
その星の間を飛行機のライトが点滅しながら飛んでいくのを見つつ、つないだ手をわざとブンブンと振ると、隣で侑史が「肩抜けるって」と笑った。でも手を離そうとはしないので、調子に乗ってさらにブンブンと振ってみる。
「なんか、段々と本物のカップルっぽく見えてきた」
「わかる」
後ろで女子たちが話すのが聞こえて、そうだろそうだろ、と満足した俺は、侑史の手を握り直す。
そのまま、クラスメートたちと一緒に駅まで手をつないで歩いた俺たちは、駅前に設置された地味なクリスマスイルミネーションの前で、最後のカップルらしい行動として、二人の手でハートを作り写真を撮ってもらった。
「かわいい!」
「お似合い!」
「侑史もこれで東京に行っても大人ぶれるね!!」
クラスメートたちからそんな声掛けをされる俺たちのことを、通りすがる人たちも笑って見ていた。
「せっかくなんで、彼氏を家まで送ろうかな」
俺の言葉に、もう誰も何もつっこむことなく、ぜひそうしてくださいと言われたので、侑史と一緒に電車に乗り込む。
同じ路線の数人のクラスメートが、まだカップルとして扱ってくるので、「いつまですんの?」と言いつつ、結局電車の中でも手をつないでいた俺たちは、侑史の家の最寄駅でも手をつないだまま下車し、カップルらしく寄り添ってクラスメートたちを見送る。
電車が去っていくころには、もうすでにホームには人がいなかった。
自分たちだけが取り残された静かな世界にもう少しだけいたくて、握る手に力をこめると、ゆっくりと握り返される。
「なあ」
侑史の口から白い息が舞い出た。
「ん?」
「なんだったの今日」
「侑史が前に言ってただろ」
微妙な表情を浮かべる侑史の顔を俺はのぞきこむ。
「一度でいいから、制服でみんなみたいに堂々とデートしてみたかったって。だから頑張ってみた」
「……でも、俺は今日が最後だからいいけど、これで塁がみんなにいろいろ言われたりしたら」
「みんな恋人役を演じてたって信じてると思うし、もし言われても噂になっても全然いい。俺もどうせ高校卒業したら東京行くんだから」
もう一度辺りを見回し、小さな駅のホームにまだ誰もないことを確認したあと、侑史に軽くキスをする。
「それに俺、楽しかったよ。みんなの前で堂々といちゃつけて」
「うん」
「彼氏って言えたのも嬉しかったし」
「俺も言われて嬉しかった」
侑史がようやく笑顔になったところで、向かいのホームで電車が通過するというアナウンスが流れた。それを合図に、侑史の手が名残惜し気にゆっくりと離される。俺も引き留めることはしなかった。
改札に向かいながら「東京に行ったら、もうちょっと堂々と手をつなげるかな」と呟くと「だといいな」と侑史が答える。
「あと一年三か月か」
「うん」
「な、塁っていう恋人がいるって、東京にいったらちゃんと話せよ」
「ん」
「浮気とかすんなよ」
改札の直前で小さい声で囁くと、「しねーよ」と後ろから呆れた声がかえってくる。
駅舎を出て、再び隣に並んできた侑史は、俺を見て苦笑した。
「泣くなし」
軽く足を蹴られた俺は、侑史を肘で小突く。
「そっちこそ泣くなよ」
「お前が泣くからさー」
同じ制服を着た大好きな恋人と一緒に歩く、最後の帰り道。
手を繋げない俺たちの代わりに、街頭に照らされた二人の影だけが、ぴったりと寄り添っていた。
「ねー!」
「遊びに行くならいいけど、転校となると、けっこうなプレッシャーよ!?」
二学期の最終日。
今日を最後に転校する侑史を囲んでクラス総出でやってきたカラオケルームは、冬とは思えない熱気に包まれている。
その片隅に座る本日の主役は、ノリノリでアイドルソングを歌っている男子の声とシャンシャンと鳴らされるタンバリンの音に負けじと、大声を出していた。
「なにが、そんなにプレッシャーなの!?」
「だって、都会の高校生ってみんな大人な感じするしさ!!」
俺はウーロン茶にささったストローを口にくわえたまま、怒鳴るように会話をする侑史と女子たちの様子をうかがう。
――意外と恋愛系の話にならないもんだな
今日が最後のチャンスなのに、と焦れったい気持ちで最後の一口を飲み干す。いざとなったら自分で恋愛の話題を出すしかないかもしれない。でも、不自然になる気しかしないから、できれば便乗したいというのが本音だ。
「確かにさ、侑史って、高二にもなって、小学生みたいだなって思うくらいお子様だもんね!!」
「でかい声で悪口言わないでくれん!?」
「褒めてるよー!」
「どこがだよ!!」
わーわー言い合っているところに、歌い終えた男子がポーズを決めて「サンキュー!」と叫び、みんなで拍手をする。
次の曲は春に流行った失恋ソングだった。静かに歌う女子につられるように、みんなが喋る声も小さくなる。
「でもさ、東京に行ったら侑史のことを知ってる人なんていないんだから、俺も大人ですけど? って顔しておけばよくない?」
「大人ですけどって顔ってどんなよ」
「なんかこう……顎をあげて見下す感じ?」
「それ、ただの嫌なやつ」
「そもそも何をもって大人っていうのかって話しよ」
一人の女子の問いに、近くにいたみんなが正解を探すように黙る中、ここしかない、と思った俺は「恋愛経験だろ?」と内心の緊張を隠しつつ何気ない顔で言ってみた。
途端に、視線が一斉に俺に集まる。
「塁、それはみんな思ってたけど言わなかったやつ」
「彼女がいたことのない侑史がショック受けちゃうからやめてあげてよ」
フォローしているように見せかけて明らかにいじられた当の本人はというと、「ダル」と言って俺をじろりと睨む。余計なこと言うなよ、と思っているのだろう。
短いまつ毛。色素の薄い茶色い目。小さい鼻。ほくろのある頬。いつも口角があがっている唇。
睨んでも、怖さより愛嬌が勝っている顔を見ながら、俺は笑ってみせる。
「いや、実際の恋愛経験の有無はともかくとして、付き合ってた人がいたとか言えば、少しは大人ぶれるんじゃないかって思っただけ。東京では侑史のこと誰も知らないんだから、嘘ついてもバレないだろ」
「そんなんすぐばれるって。侑史、嘘つくのいかにも下手そうだし」
「じゃあ、嘘をできるだけなくすとかさ」
せっかくつかんだきっかけを無駄にしないためにも、友人相手の悪ノリだと思われるように、慎重に言葉を続ける。
「例えば俺を恋人ってことにすれば、どんなデートしてたのって聞かれたときに、登下校をいつも一緒にしてたとか、学校の帰りに公園でアイス食べたとか、図書館に一緒にいって勉強したとか、映画を見にいったとか、お互いの部屋も行き来したとか、そういう具体的な話が嘘なくできるし、なんといっても」
「なんといっても?」
「名前をうっかり口にしても『るい』なら性別不明でおすすめだけど、どう?」
「え、天才」
「その発想はなかった」
女子たちから賞賛される中、さっきまで俺を睨んでいた侑史の顔には困惑が広がっていった。
いったいこいつは何を言い出すんだ、と今度は思っているのだろう。分かりやすい。
「いや、ちょっと待て」
さっきまでアイドル曲を歌っていた男子が会話に参加してくる。
「そんなん、友達とでもできることばっかだし、全然大人ぶれなくね?」
思わぬ援護射撃をもらって心の中でこっそりガッツポーズをした俺は、ひそかに考えていた計画をついに遂行すべく「じゃあ」とにやりとしてみせた。
「多少は大人ぶれるように、カップルっぽいことをして侑史のレベル上げしてやるか。ちょっと席代わって」
侑史の隣の席の女子に言うと、オッケーと楽しそうに立ち上がってくれる。
ますます困惑度を深めつつ「え、なんなん?」と言う侑史の隣にドスンと腰かけ、周りを見回す。
「侑史の経験値あげるためにもさ、カップルといえばこれ、みたいなのなんか言って。やってみるから」
「さすが他校に彼女がいる男は違う」
「余裕があるわ」
去年、同級生に告白されたとき、断る本当の理由を言えるわけもなく『恋愛に興味がない』と答えたら、お試しでもいいから付き合ってとゴリ押しされそうになった。仕方なく、実は他校に彼女がいるから無理と苦し紛れに言ったら、それがいつの間にやら広まってしまっていた。
だからと言って、否定していろいろつつかれるのも嫌なので噂を放っておいたら、今ではすっかり事実として扱われている。
――正直、侑史の目の前でさっきみたいに「彼女」って言われるのには少し抵抗もあるけどな
でも、だからこそ、あくまでも親友としてのノリで、最後にこうして堂々と侑史といちゃつけるチャンスをものにできたと思えば、現実にはいない「彼女」に感謝すべきなのかもしれない。
「まずはポッキーが無くなる前にポッキーゲームをしようか」
「マジで言ってる?」
クラスメートからの提案にやや引いている侑史に「がんばれー!」と声をかけた女子が、隣の子に話しかける。
「ね、なんて言うんだっけ、こういうの。劇じゃなくて、えーっと」
「なになに」
「ほら、あの英語の授業でやるやつ。設定と役割を与えられて」
「あ、ロールプレイ?」
「そう、それそれ!」
なるほど、と思う。
確かにこれからするのは、侑史と付き合っているという設定を与えられ、彼氏という役割をするロールプレイでしかない。少なくともみんなにとっては。
そう思うと少しだけ虚しいけど、いつもはただのクラスメートで親友でしかない自分が彼氏として振る舞えるのはそれ以上に嬉しく、俺は差し出されたポッキーを笑顔で受け取った。
*
無理強いはよくないということで、侑史が嫌がったポッキーゲームは却下となったが、「手に持ったポッキーを相手に食べさせる」とか「一つの飲み物に二本のストローをさして飲む」とか「ラブソングに出てくる名前をお互いの名前に変えて歌う」とか、いくつかのカップルらしい行動のミッションをこなす頃には、侑史も開き直ったのか「えー」と言いながらも乗ってきてくれるようになった。
そして帰るとき、手をつなぐ経験もしとく?と冗談めかして聞いてみたら、周りが面白がってそうすべきというので、俺は侑史の手をとってカラオケから外に出た。
藍色の空にはもう、星が出始めていた。
その星の間を飛行機のライトが点滅しながら飛んでいくのを見つつ、つないだ手をわざとブンブンと振ると、隣で侑史が「肩抜けるって」と笑った。でも手を離そうとはしないので、調子に乗ってさらにブンブンと振ってみる。
「なんか、段々と本物のカップルっぽく見えてきた」
「わかる」
後ろで女子たちが話すのが聞こえて、そうだろそうだろ、と満足した俺は、侑史の手を握り直す。
そのまま、クラスメートたちと一緒に駅まで手をつないで歩いた俺たちは、駅前に設置された地味なクリスマスイルミネーションの前で、最後のカップルらしい行動として、二人の手でハートを作り写真を撮ってもらった。
「かわいい!」
「お似合い!」
「侑史もこれで東京に行っても大人ぶれるね!!」
クラスメートたちからそんな声掛けをされる俺たちのことを、通りすがる人たちも笑って見ていた。
「せっかくなんで、彼氏を家まで送ろうかな」
俺の言葉に、もう誰も何もつっこむことなく、ぜひそうしてくださいと言われたので、侑史と一緒に電車に乗り込む。
同じ路線の数人のクラスメートが、まだカップルとして扱ってくるので、「いつまですんの?」と言いつつ、結局電車の中でも手をつないでいた俺たちは、侑史の家の最寄駅でも手をつないだまま下車し、カップルらしく寄り添ってクラスメートたちを見送る。
電車が去っていくころには、もうすでにホームには人がいなかった。
自分たちだけが取り残された静かな世界にもう少しだけいたくて、握る手に力をこめると、ゆっくりと握り返される。
「なあ」
侑史の口から白い息が舞い出た。
「ん?」
「なんだったの今日」
「侑史が前に言ってただろ」
微妙な表情を浮かべる侑史の顔を俺はのぞきこむ。
「一度でいいから、制服でみんなみたいに堂々とデートしてみたかったって。だから頑張ってみた」
「……でも、俺は今日が最後だからいいけど、これで塁がみんなにいろいろ言われたりしたら」
「みんな恋人役を演じてたって信じてると思うし、もし言われても噂になっても全然いい。俺もどうせ高校卒業したら東京行くんだから」
もう一度辺りを見回し、小さな駅のホームにまだ誰もないことを確認したあと、侑史に軽くキスをする。
「それに俺、楽しかったよ。みんなの前で堂々といちゃつけて」
「うん」
「彼氏って言えたのも嬉しかったし」
「俺も言われて嬉しかった」
侑史がようやく笑顔になったところで、向かいのホームで電車が通過するというアナウンスが流れた。それを合図に、侑史の手が名残惜し気にゆっくりと離される。俺も引き留めることはしなかった。
改札に向かいながら「東京に行ったら、もうちょっと堂々と手をつなげるかな」と呟くと「だといいな」と侑史が答える。
「あと一年三か月か」
「うん」
「な、塁っていう恋人がいるって、東京にいったらちゃんと話せよ」
「ん」
「浮気とかすんなよ」
改札の直前で小さい声で囁くと、「しねーよ」と後ろから呆れた声がかえってくる。
駅舎を出て、再び隣に並んできた侑史は、俺を見て苦笑した。
「泣くなし」
軽く足を蹴られた俺は、侑史を肘で小突く。
「そっちこそ泣くなよ」
「お前が泣くからさー」
同じ制服を着た大好きな恋人と一緒に歩く、最後の帰り道。
手を繋げない俺たちの代わりに、街頭に照らされた二人の影だけが、ぴったりと寄り添っていた。